artscapeレビュー

Chim↑Pom 10周年記念・緊急企画展「耐え難きを耐え↑忍び難きを忍ぶ」

2015年09月01日号

会期:2015/08/07~2015/08/15

Garter[東京都]

Chim↑Pomが結成10周年を迎え、急遽開催した個展。ところが、その内容は「記念」という言葉から連想される祝祭的なものではまったくなく、むしろいつにもましてリアルタイムな問題を来場者に投げかけるものだった。
展示されたのは、彼らがこれまで発表してきた作品の数々。多少のマイナーチェンジが施されてはいるが、基本的には過去作である。だが、あわせて掲示されたテキストを読むと、それらが美術館や主催者からの「作品改変要請」という文脈に位置づけられていることがわかる。この背景には当然、東京都現代美術館で開催されている「ここはだれの場所?」展における会田誠の檄文をめぐる作品撤去要請の騒動があることは言うまでもない。
例えばChim↑Pomの代表的な作品のひとつである《BLACK OF DEATH》。これは録音したカラスの鳴き声を拡声器で拡散しながら各地でカラスの大群を呼び寄せる映像パフォーマンスだが、そのロケーションのなかに読売新聞の会長である渡邉恒雄の自宅マンション前が含まれており、この作品が東京都現代美術館に収蔵される際、美術館から該当部分の削除を要請されたという。美術館はいったいどんな事情があって作品の改変を強いたのか、その理由は知るよしもないが、Chim↑Pomはその要請を条件付きで受け入れたという経緯は明記されていた。
アーティストが表現した作品の内容に踏み込み、その改変を強いることは、要請というかたちをとっているにせよ、実質的には自主規制であり、明らかな検閲である。その経緯と過程は、通常は当事者しか知りえない「裏事情」とされるが、今回Chim↑Pomはそれを白日のもとに晒した。言ってみれば「暴露型の展覧会」である。
その暴露は、しかし、美術館や政府をただたんに糾弾するものではない。Chim↑Pomが、これまでの作品においてつねにそうしてきたように、彼らの批判的な問題提起にはつねに自分たちの身体が賭けられていた。批判の刃をおのれの胸に突き刺し、背中に抜けたその刃先を相手の急所に深く埋めるようなやり方だと言ってもいい。いくつかの不条理な「要請」を受け入れたことを、自ら「黒歴史」として公表していることは、そのもっとも典型的な現われである。
むろん、明示的であれ暗示的であれ、あらゆる検閲は明らかに憲法違反なのだから、徹底して退けなければならない。だが、本展でChim↑Pomが示唆していたように、とりわけ安倍政権下において表現規制の権力が強化されつつある事実を鑑みれば、検閲に対する抗議や反対運動は必要ではあるが、それだけでは不十分であると言わざるをえない。なぜなら自民党の改憲案では、検閲を禁じた日本国憲法第21条は「公益及び公の秩序を害する目的」と判断された表現活動には表現の自由を認めないという項目が追加されているからだ。つまり当人にその意図がなくとも、そのようにお上に判断されれば、たちまち検閲の対象となり迫害されかねないというわけだ。街中にカラスを集結させる作品が公益や公の秩序を害するとみなされる恐れは、非常に高い。
もし、そのような状況に悪化したとき、アーティストはどのように振る舞うのだろうか。江戸時代の浮世絵師たちのように、幕府に対する辛辣な批評性を、一見するだけではわかりにくいような暗示的な方法で作品の奥底に埋め込むのだろうか。それはひとつの態度や方法としてありうるだろうが、より根本的には、美術館や文化行政が牛耳る「現代美術」の世界を見限る身ぶりを整えておくことが必要だと思われる。検閲にさらされようが補助金を打ち切られようが、美術の本質はアーティストが表現した作品を、鑑賞者が見るという、極めて単純明快な原則にしかないからだ。この原則が不本意にも蔑ろにされるのであれば、現代美術のもろもろの制度は遠慮なく廃棄され、私たちはすすんで荒野に立ち返るだろう。Chim↑Pomという同時代を走るアーティスト集団は、そもそもそのような原野から生まれたのだ。

2015/08/12(水)(福住廉)

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