artscapeレビュー

障害(仮)

2015年12月01日号

会期:2015/09/12~2015/12/13

鞆の津ミュージアム[広島県]

同館のキュレーター、櫛野展正は、現在のところ日本でもっとも野心的かつ挑戦的な企画を打ち出している学芸員である。死刑囚、ヤンキー、老人など、従来の「障がい者」にとどまらない、さまざまなアウトサイダーたちによる造形や表現を紹介してきた。「アウトサイダー・アート」や「アール・ブリュット」というより、むしろ「美術」そのものの外縁を拡張した功績は非常に大きい。
今回の展覧会は、「障害(仮)」。末尾の「(仮)」に、櫛野の批評的な問題提起が込められている。それは、障がい者によるアウトサイダー・アートやアール・ブリュットが抱え込む純粋で無垢な性質に対する根本的な疑いである。例えば山下清の作品がそうであるように、アウトサイダー・アートやアール・ブリュットの作品には、そのような純粋性によって語られることが非常に多い。アール・ブリュットの生みの親であるデュビュッフェも、精神障がい者による表現行為のなかに純粋無垢な精神性を求めていたことは間違いない。けれどもデュビュッフェの前提には、西洋近代が標榜していた普遍的な美の概念への対抗心という一面があった。その純粋性は、いわば敵対関係に位置づけられていたのだ。
逆に言えば、そのような敵対性を見失った純粋性は、個性の無批判な賞揚や優劣を退ける批評嫌悪に結びつきやすい。言うまでもなく、健常者による作品が玉石混交であるのと同じように、障がい者による作品に優れたものとそうでないものがあるのは当然だ。障がい者という属性が自動的に作品の質を底上げすることにはならないし、なってはならない。アウトサイダー・アートやアール・ブリュットが美術の現場に定着するにつれ、それらの純粋性はいつのまにか非常に偏ったものになってしまったのである。
そのような偏りを是正するという意味で、アウトサイダー・アートやアール・ブリュットという概念のリハビリテーションを試みたのが本展である。参加したのは、「アイ・プロジェクト」で知られるチンパンジーのアイをはじめ、好きな施設職員の痕跡が残るあらゆる物を収集している武田憲昌、フェルトや毛糸などで食品サンプルを制作している三浦和香子など14名。基本的にはなんらかの障害をもつ人々が中心だが、現代美術から会田誠と百瀬文を招聘しているところが大きな特徴である。というのも、このような展覧会の構成は、同館でも開催した全国規模の巡回展「TURN」展と相似形をなしているからだ。それゆえ今回の企画展は、前述したような障がい者をめぐる偏った純粋性を再生産しかねない「TURN」展に対する櫛野展正からの批判的応答と言ってよい。
とりわけ注目したのが、小林一緒とあそどっぐ。小林はもともと調理師として働いていたが、アルコール性神経炎を患い、歩行困難となる。以来、自宅で毎日の食事を非常に緻密に描いたイラストレーションを描き続けている。展示されたおびただしい数の作品を見ると、小林の執着心のある視線がひとつひとつの食材はおろか、パッケージやラベルのデザインにまで及んでいることがわかる。あまりにも細かい場合はシールをそのまま転載したり、「めくり」を入れて紙面を重層化するなど工夫が凝らされている。
小林の作品が面白いのは、それが食事とその記録という主従関係をみずから反転させているように見えるからだ。本来であれば食事の記録としてのイラストレーションは、あくまでも食事という出来事の副産物だった。けれども小林のイラストレーションは非常に緻密に描き込まれるため、多大な時間を費やすそれが食事そのものを圧倒しているようにも見える。食事のイラストからイラストのための食事へ。そのような反転が起こりうるほど、小林にとってのイラストレーションは彼自身の生と分かちがたく結びついているのである。
あそどっぐは熊本県在住のコメディアン。脊髄性筋萎縮症をもつため顔と指をわずかにしか動かすことができない。24時間介助を必要とする寝たきりだが、みずからの障害をネタにした自虐的なコントをYoutubeなどで精力的に発表している。むろん、その笑いは自身の身を削るという意味で、ブラック・ユーモアである。けれども本展で展示された新作のコントを見ると、彼のネタが非常に緻密に練り上げられた構成であることがよくわかる。ストレッチャーや布団の上に身体を横たえているため、画面的にはほとんど動きがない。しかし物語の構成と言葉の選定を研ぎ澄ますことによって見事にオチまで鑑賞者を導くのだ。彼のある意味不自由な身体によるネタと比べると、いわゆるお笑い芸人の芸がいかに無駄な身体の動きと不必要な言葉によって飾られていることか。あそどっぐの芸の醍醐味は自虐的なネタによる障害問題の焦点化だけではなく、必要最低限の身体と言葉によるミニマル・コメディーを追究している点にあるのだ。
2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、東京都はアール・ブリュットの拠点を整備することを明言している。つまりアウトサイダー・アートやアール・ブリュットは、この先さらなる再編成の過程に巻き込まれると考えてよい。そのとき、「社会包摂」という名のもとで、いったい何が排除されるのか。

2015/11/03(火)(福住廉)

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