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artscapeレビュー

パトリシオ・グスマン『光のノスタルジア』『真珠のボタン』

2016年02月15日号

会期:2015/12/19~2016/01/08

第七藝術劇場[大阪府]

乾燥した砂漠の大地と、豊かな水をたたえた海。対照的な二つの自然を舞台に、宇宙の始原への探究と砂漠の下に隠蔽された現代史、先住民の抑圧と独裁政権下での虐殺、といった時を超えたエピソードが交差し、チリの複雑な歴史が映像詩として語られる。ドキュメンタリー映画だが、政治的告発と大自然の映像美が稀有な共存を見せ、そこに内省的な思索の言葉が綴られていく。
『光のノスタルジア』の舞台は、チリ北部のアタカマ砂漠。標高が高く、極端に乾燥した気候のため、世界中の天文学者が集まる天文観測拠点となっている。火星のような褐色の大地の中に立ち並ぶ、SF映画のような巨大なドーム型の天文台。いっぽうでそこには、先史時代の壁画やミイラ、19世紀の鉱山労働者たちの宿舎や工場、軍事独裁政権時代の収容所など、古代から現代にいたるさまざまな歴史の痕跡が残されている。「天文学者が受け取る星の光は、遠い過去のものだ。過去の光を見つめることで、宇宙と生命の起源に一歩近づく。アタカマ砂漠は最も過去に近い場所だ」と言う天文学者。「だがこの国は、最も近い自国の過去を見ようとしない」とグスマン監督は指摘する。宇宙と生命の起源を求めて遥かな空に巨大望遠鏡を向ける天文学者たちの傍らで、砂漠のどこかに埋められた肉親の遺骨を探して、30年近くもシャベルで地面を掘り返す女性たちがいる。軍事独裁政権時代、政治犯として収容所に送られ虐殺された人々は、「行方不明者」のままだ。「天体望遠鏡で地上を見渡せればいいのに。砂漠中をくまなく探せるように」と女性の一人は語る。彼女たちが天文台の中で望遠鏡をのぞき、星を見るラストのシーンはあまりに美しい。無限遠の過去への眼差しと、地中深く隠蔽された近過去への眼差しが交差し、星くずのような煌めきが微笑む2人の姿に重なり合う。
『真珠のボタン』では、灼熱の砂漠とは対照的に、チリ最南端の氷河の山並みと海が舞台となり、「水の記憶」によって歴史の忘却に抗う声が紡がれていく。タイトルの「真珠のボタン」は、植民地時代のインディオへの抑圧、軍事独裁政権時代に海に棄てられた遺体、という二つの記憶を結びつける。19世紀、「文明化」するためにイギリスに連れていかれたインディオの男は、真珠のボタンと引き換えに故郷・言語・アイデンティティをすべて奪われる。その後、入植者たちによって開始される凄惨な「インディオ狩り」。いっぽう、海底から発見されたレールに付着していた「真珠のボタン」は、遺体が重しのレールとともに海中に棄てられていたことの証となる。驚くべき符合で重なる二つの「真珠のボタン」、それは絶対化されたイデオロギーによる一方的な簒奪のメタファーである。
2作とも、静かな告発の中の映像美に加えて、音響の美しさも際立っていた。砂漠にある廃墟化した収容所跡に残された、錆びたスプーンが風鈴のように風に揺られて、鐘の音のようなハーモニーを奏でる。インディオの末裔から「水の言葉」を習った人類学者は、モンゴルのホーミーの倍音のように、同時に複数の高低の音を響かせる。自然の中に朽ちていく人為の残響と、人間が自然から受け取った豊穣な響きは、そこに孕まれた記憶に耳を傾けるように促していた。

2016/01/07(木)(高嶋慈)

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