2018年01月15日号
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artscapeレビュー

烏丸ストロークロック『国道、業火、背高泡立草』

2016年03月15日号

会期:2016/02/06~2016/02/07

AI・HALL(伊丹市立演劇ホール)[兵庫県]

共通のテーマや登場人物を扱った短編作品の上演を数年にわたって積み重ね、長編作品へと集成させる創作形態をとる劇団、烏丸ストロークロック。本作も、互いに関連する短編の上演を2010年から積み上げてきた集大成的な作品であり、約2時間半にわたって、テンポのよい関西弁による会話劇が展開される。
舞台は、国道沿いの架空の町、「大栄町」。高度経済成長期に地元出身の国会議員の土木利権で繁栄した町だが、バブルの崩壊後、政治家の死とともに経済基盤や活気を失っている。そこへ、20年前に山火事を起こして町から追放されるように去った男、「大川祐吉」が突然帰ってくる。前半では、「ビンボーのユーキチ」と呼ばれ、忌み嫌われている男の帰還にとまどう住民たちの姿を通して、彼の過去が次第に明らかになっていく。正方形の枠で囲まれた舞台装置が秀逸だ。それは、スーツケースを引きずる主人公がグルグルとあてどなく歩く国道になるとともに、閉塞感で閉ざされた町や出口のない状況を象徴する。また、床との「段差」は、それぞれに身を置く登場人物どうしの力関係や優越感を示す。火事の焼け跡に、寂れた風景の中に生い茂り、風に揺れる「背高泡立草」。それは、戦後日本の象徴として作中で言及される。終戦後、アメリカから渡来した背高泡立草は、アメリカの庇護の下での経済発展とともに大繁殖するが、根に毒があるため、50年後、60年後には自らの毒で弱っていき、自滅の道をたどるというのだ。また、タイトルのもうひとつの単語、「業火」は、劇中の「火事」と「業(ごう)」の両方を意味する。登場人物はみな、何かしらの業を背負い、地方の疲弊を体現する人物として描かれる。助成金や補助金頼みの地方の経済、派遣切り、若者の貧困、離婚やアルコール中毒、親の介護、痴呆、右翼の活動家、カネと性への執着……。息苦しいまでに閉塞した現代の日本社会の縮図ともいえる地方の小さな町が、現在と過去を行き来しながら描かれる。
後半では、町に帰ってきた「祐吉」の目論みが、人々を巻き込んで展開する。マルチ商法で金持ちになった「祐吉」は、町の人々に金儲けのプロデュースを行なう。離婚してアル中になった中年の男が、会えない娘を想って彫った稚拙な木彫りの人形を、「ここには本物の心がある」と評価し、商品化に乗り出す。新規就農者に支給される補助金で暮らすヤンキーの若者や、地元再生を期待されて町議選に出馬する元国会議員の娘といった人物を巻きこみながら。同時に、彼の台詞が急に宗教・説教臭くなっていく。「売るものに魂を込めているか」「どうすれば(資本主義のシステムから)自由になれるのか」「父親になるんだから、自分で考えろ。それが自由だ」といった具合だ。だが、木彫りの量産を頼まれた中年の男は、「つくる度に娘への想いが軽くなっていく」「娘が欲しがるものを買ってやって、これ以上何をしてやれるのか」と疲弊していく。そして、大人のオモチャとの「コラボ」を勝手に進めた若者に「祐吉」は激怒し、悲喜劇の終盤を迎える。
彼の語る言葉の「胡散臭さ」を強調することで、「資本主義の価値観が元凶」というメッセージは非常に分かりやすく提示される。ラストで「祐吉」は、どんなにカネがあっても「たった1人の母親さえも幸せに出来なかった」ことに絶望し、首吊り自殺を図るが死にきれず、高校時代の元恋人の手で縄を絞められる。しかし、皆が退場したあと、彼はゆっくり起き上がり、再びスーツケースを引いて歩き去っていくのだ。「祐吉」という「亡霊」は再び何度でもよみがえることが示唆される。それは、戦後日本の資本主義社会が罹患した病である。
だが、ストレートな資本主義社会批判だけが本作の主題だろうか。むしろ真の主題は、親=先行世代から否応なしに背負わされた負の遺産という構造にあるのではないか。それはメインの登場人物3人に仮託されている。分かりやすいのが、「祐吉」の元恋人が、彼の首を絞めるラストシーンで歌う軍歌だ。この軍歌は、寝たきりで痴呆になった父親を彼女が絞め殺すシーンでも歌われていた。彼女の父親は、元右翼の活動家であり、家に街宣車や日の丸の旗があったと話されていたので、父親が歌っていた軍歌を物心つく前から聴いて覚えてしまい、感情が高ぶると口をついて出てしまうのだろう。「いざ行け つわもの 日本男児」のリフレイン。その回帰性は、親=先行世代から背負わされた負の重荷を象徴する。「カネさえあれば豊かで幸せになれる」という「祐吉」の幻想は、母子家庭に育った貧困から来ており、元国会議員の娘は「私たちは親の世代のツケを払わされている」と冷静に自覚しつつも、資金集めに奔走する。個人が親から背負わされてしまうものと、社会が前の時代から受け継ぐ重荷や保守的な価値観。群像劇という手法で重層的な構造を描いた力作だった。

2016/02/06(土)(高嶋慈)

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