2018年01月15日号
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artscapeレビュー

福留麻里『多摩動物公園』(「Hino Koshiro plays prototype Virginal Variations」東京公演)

2016年04月01日号

会期:2016/03/13

VACANT[東京都]

日野浩志郎の新プロジェクトによる演奏がメインアクトの公演で、福留麻里がオープニングアクトとして踊った。福留は10年以上前からほうほう堂で活躍してきた、日本のコンテンポラリーダンスの代表的なダンサー。一昨年から自作のソロ公演を行なうようになったのだが、どの作品にも共通するのは、どこかの土地(地域)に端を発しており、その土地のリサーチをベースにしているところである。『川に教わる』(STスポット、2014)は福留が親しんできた多摩川を調べた作品だし、『そこで眠る、これを起こす、ここに起こされる』(世田谷美術館、2015)は砧公園を含む世田谷美術館周辺に取材した作品である。今作も、その点は類似している。なんせタイトルには「多摩動物公園」とある。暗転したなか、福留はまず会場の印象的な階段のあたりに現われた。黒い服に白い豆電気がいくつか輝く、その手には小さなラジカセがあって、そこから動物の声が聞こえてくる。動物園で撮られたものだろう、その音声は原宿の会場をジャングルのような雰囲気に変えた。こうしたフィールド・レコーディングの素材を直に舞台空間に持ち込むことで得られる効果は大きい。あるいは、今回は用いられなかったが、映像の素材にも同様の力はあることだろう。さて、そうした素材とは異なり、今回のダンスに持ち込むのはダンサーだ。ダンサーはそこ(多摩動物公園)にあったかもしれないが、ここ(VACANT)にもあるという存在だ。ダンサーという媒体にもなにほどかが記録(記憶)されているかもしれないが、それを物理的に、客観的に、ここに置くこと(つまり、記録媒体のように、記録ないし記憶を踊りによって再生すること)はとても難しい。ダンサーはここで、音を持ち込み、音にあるものを気づかせる役を担う。ときには、奇妙な生き物と化して、観客の胸をかき混ぜる。それもひとつの方法だろう。けれども、ダンサーは別の役割もできないだろうか、フィールドを再生させるような役割が。もちろん、福留が目指したのがそれであるかは不明だが、先に述べたような難しさを無視せぬまま、その克服の可能性を求めても良いように思うのだ。

2016/03/13(日)(木村覚)

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