2018年07月15日号
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artscapeレビュー

ボリス・シャルマッツ / ミュゼ・ドゥ・ラ・ダンス「喰う」

2016年04月15日号

会期:2016/03/26~2016/03/27

京都芸術劇場 春秋座[京都府]

「KYOTO EXPERIMENT 2016 SPRING」公式プログラム観劇8本目。
ほぼ剥き出しで何もない舞台空間上に、13人のダンサーたちが点在する。年齢、性別、肌の色、体型もさまざまなダンサーたち。舞台と客席の垣根はなく、観客はダンサーと共有した空間内を自由に移動しながら、鑑賞する。原題の「manger」は「食べる」を意味し、「美術館の中でダンサーの身体を見せる」というコンセプトで始まった「ミュゼ・ドゥ・ラ・ダンス」の名前がクレジットされているように、本作は「食べる行為に没頭する人間の身体を見る」体験を軸としながら、さまざまな連想や思索を喚起させ、荘厳な美しさと挑発性をたたえた作品だった。
A4ほどの大きさの白い紙を手にして立つダンサーたち。彼らはおもむろに、紙の端から食べ始めたり、小さくちぎって口にしたり、くしゃくしゃに丸めて飲み込み始める。無心に食べ続ける者、吐き出した白い塊を何度も飲み込もうとする者、床に横たわったり座り込んで咀嚼する者……。動物のような鳴き声がどこかから聴こえる。憑りつかれたように、食べる行為を止めないダンサーたち。自分の手足を舐めたり、まくり上げた服を噛み始める者もいる。やがて彼らはトランス状態に陥ったかのように、目を閉じたまま手足を軽く揺らし、ハミングのような音を口から漏らし始める。その音は離れたダンサーどうしの間に伝播し、音の共振を生み、やがてオーガニックな歌唱のハーモニーを形成していく。


ボリス・シャルマッツ / ミュゼ・ドゥ・ラ・ダンス「喰う」
Photo: Yuki Moriya

「食べる」「舐める」「吐く」、「歌う」、「声を出す」。内部への摂取と外部への表出。「口」のさまざまな運動に従事するダンサーたちは、孤独な行為と集団的な共振のあいだを行き来する。静かな時間と全体が活性化する時間。観客もまた、ダンサーの動きの動/静や時間の活性化の度合いに応じて、一カ所に留まった注視を迫られ、あるいは運動体としてかき混ぜられる。そこで目撃するのは、「何かを食べる」というシンプルな動作が引き起こす、身体の変容だ。食べることへの欲望と、それが度を越したときの不快感。もはや立ち上がれず、地べたを這うような鈍い動き。痙攣したような身体。忘我のトランス。ぶつかった身体どうしが折り重なり、激しい愛撫なのか相手を力で支配しようとする欲望なのか定かでないコンタクトを繰り広げる。特権的な中心が無いなか、ひとつの声が全体に波及し、共鳴し、哀悼を捧げるような聖歌のハーモニー、楽しげなポップソング、クラブで踊っているようなノリのダンス、それぞれの言語で口々に語りかける行為を発生させる。床に身を横たえながらも何かを語りかけ、白紙の紙を掲げる人は、デモの痛ましい犠牲者の姿に重なる。また、複数の声部が重なり合って、レクイエムのような合唱を響かせるシーンでは、自らの身体をかき抱くようなダンサーの身振り、すすり泣きのような声、暗めに落とされた照明効果とあいまって、感情的な強度が極限まで高まり、激しく感情を揺さぶられた。
食べることの快楽と嫌悪。宗教的恍惚感と、ビートにノったダンスやドラッグ摂取によるトランス。政治的抗議と犠牲者への哀悼。個人と集団。拒食症や過食症といった病。ダンサーたちが口にする「白紙」が抽象的な存在であるからこそ、宗教的な恍惚感、クラブや祝祭などの非日常的な空間、ドラッグの摂取によるトランス、デモの一体感などの、むしろ同質性こそが浮上して見えてくる。とりわけ、聖歌のような歌唱や、「食べる」儀式で共同体が形成されることには、西欧社会の根底にあるキリスト教への含意が強く感じられた。「血と肉」の共有、ビート音楽、覚醒物質、イデオロギー。摂取するものこそ違えど、体内に取り込むことで「一体感」を醸成するさまざまなものへの示唆が、「白紙」に込められている。そして、共鳴するハーモニーの美しさと、共鳴体の一部に取り込まれてしまうこと。ダンサーとの身体的な近さもあいまって、感情的な共振作用が非常に強いと同時に、「入退場不可」という密閉された空間の中、エモーショナルな空気の集団的感染力に自身の身をさらし、「観客」であることを手放させる危うい危険性もはらんだ作品でもある。私たちの身体と感情はそれほど脆く、集団的な伝播作用を受けやすいものであり、そこでは宗教的な恍惚、ドラッグやクラブで踊ることの快楽、政治的抗議、といった「正しさ」の判断や倫理はもはや関係ないのだ。
ただし最後に、本作が提起する問題のうち、「拒食症や過食症」と女性の身体についての疑問を記しておく。「食べること」への脅迫的な衝動や吐いては食べる動作の反復は、明らかに拒食症や過食症の問題を示し、「ダンサーの身体」へ向けられる社会的期待を露わにする。それが感取されやすいように、ガリガリに痩せた女性と、豊満な体型の女性の出演者が登場し、体型的なコントラストを形成していた。だが、そうした「出演者の選別の意図」は、一様に引き締まった体型の男性出演者には見られなかった。ここには、女性の身体と「美」や「健康」の基準をめぐる問題が、なお根深く横たわっている。

ボリス・シャルマッツ / ミュゼ・ドゥ・ラ・ダンス「喰う」
Photo: Yuki Moriya

2016/03/26(土)(高嶋慈)

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