artscapeレビュー

アピチャッポン・ウィーラセタクン「世紀の光」

2016年05月15日号

会期:2016/04/30~2016/05/20

シネ・ヌーヴォ[大阪府]

タイの映画監督・映像作家、アピチャッポン・ウィーラセタクンの長編映画「世紀の光」(2006年)の日本初公開。
軍隊を辞めて病院に再就職しようとする青年医師と、面接にあたった若い女性医師の会話。同じエピソードが、前半は緑豊かな農村部の病院を舞台に、後半は近代的な都会の病院を舞台にして繰り返される。よく似ているが細部や固有名が微妙に食い違うエピソードの反復は、カメラアングルの差異という映像のトリックを境にして、女性視点の物語と男性視点の物語へとそれぞれ分岐していく。前半では、窓の外で樹々が風に揺れ、アマチュアの歌手でもある歯科医は治療中に歌を披露し、牧歌的な雰囲気のなか、女性医師の恋愛の進展が描かれる。一方、後半では、青年医師の恋愛も描かれるものの、地下の病棟には軍関係者のみが収容され、義手や義足の工房部屋にはノイズと煙が立ち込め、真っ白でクリーンな建物の中を不穏な空気が浸透していく。
前半/後半ともに俳優は衣装を変えて同じ役を演じ、似たような会話が反復され、病院の敷地内にある仏像が再び映し出されるが、背景が異なっている。開放感ただよう緑の敷地内と、近代建築の直線的なスロープが横切る空間。時空を超えて反復しながらも、完全に同一には重なり合わない、平行世界のような物語。夢を見ていたのか、あるいは記憶違いを思わせる反復とズレは、相似形を描く夢と現実、記憶と現実のどちらにも定位できない感触を呼び起こす。あるいは、劇中で「前世と現世」「現世と来世」について語られるように、この反復とズレは、地方と都会という空間的な差異ではなく、近代化・都市化される以前の前世の光景と、管理と資本主義が浸透した現在=現世とを描いているのかもしれない。そして、朝の公園でジョギングや体操をする人々が映し出され、「目覚め」「夢からの覚醒」が示唆される。恋愛の成就や気持ちのすれ違いを繰り返しながら、彼らはいくたびも転生し、あるいはその輪廻自体が壮大な夢だったのだ。だとすれば、それは誰が見ていた夢なのだろう。

2016/04/30(土)(高嶋慈)

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