2018年10月15日号
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artscapeレビュー

森村泰昌:自画像の美術史 ─「私」と「わたし」が出会うとき─

2016年06月01日号

会期:2016/04/05~2016/06/19

国立国際美術館

大阪を拠点に活動する美術家、森村泰昌の大規模個展である。世に知られた数々の自画像をテーマに森村が画家や美術家に扮した作品、130点あまりが出品されている。ゴッホ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ファン・エイク、カラヴァッジョ、レンブラント、フェルメール、ダリ、マグリット、ゴヤ、フリーダ・カーロ、ウォーホル、シンディ・シャーマンなど、そうそうたる美術家たちの自画像が並んだ。
森村の作品を初めて見たのは《肖像(ゴッホ)》(1985)だったと思う。世に認められないまま自ら命を絶った悲劇の画家ゴッホ。耳を削ぎ落とした姿の自画像はあまりにも有名だ。そのゴッホに森村が扮して撮影したわけだが、当初は仕掛けも撮影方法もよく理解できず、有名な絵のパロディといった程度に受け止めていた。その後作品の意図や制作の労苦を知るようになっても、彼の作品にとって諧謔が欠くべからざる重要な要素であるには違いないと思っていた。その考えが180度一転したのは、ベラスケスの《ラス・メニーナス》をモチーフにした「侍女たちは夜に甦る」シリーズ(2013)を見た時だった。絵画がまだ一部の貴族階級だけに許されたメディアだった時代、絵画の内の世界と外の現実世界とが額縁を境界に確固として隔絶されていた頃、そのお約束を玩ぶかのようなあの問題作をとりあげて、森村は二次元を三次元に還元しただけでなく、美術館という芸術の殿堂をして空っぽの遺構にしてみせたのである。ここに至って初めて、彼の作品にみられた数々の挑戦は微塵たりとも笑いごとではなかったのだと気づかされた。本展のために制作されたヴィデオ・インスタレーション《「私」と「わたし」が出会うとき ─自画像のシンポシオン─》(2016)のなかで、森村は自身の行ないを”絵画殺し”と呼んでいる。これは、絵画を空間に置き換え撮影して再現するという制作方法自体を指しているのかもしれない。しかし、「侍女たちは夜に甦る」シリーズがあの《ラス・メニーナス》は美術館という近代的な空間に収まりきらないことを示しているのだとしたら、その意味では絵画を「美術」の呪縛から解放したといえるのではないか。言い換えれば「絵画の再生」ではないか……。とはいえ、森村は文字通り身を挺して美術作品を制作し続け、依然として彼の作品は美術館の壁を飾っている。本展では、森村の美術への執拗なまでの情熱と先達の画家たちへの深い愛情をあらためて感じることができた。[平光睦子]

2016/05/14(土)(SYNK)

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