artscapeレビュー

渡邉尚×Juggling Unit ピントクル『持ち手』

2016年08月15日号

会期:2016/07/29~2016/07/31

アトリエ劇研[京都府]

ジャグリングとダンスという異ジャンルを接触させることで、「身体と物との関係を再度問い直す」企画。2組のジャグラー+ダンサーによる、男女デュオ作品の2本立て公演が行なわれた。創作条件は、ジャグリング用の道具を使うことのみ。好対照な2作品が上演された。
ジャグラー・山下耕平とダンサー・川瀬亜衣による『ながい腕』は、「クラブ」と呼ばれるジャグリング用の道具(ボウリングのピンを細長くしたような形状)を用いて、ジャグラー/ダンサーそれぞれの動きをシンプルに対比的に見せていた。冒頭、慣れた手つきで、3本のクラブを次々と空中に投げ、キャッチを繰り返す山下。握ったクラブの感触を確かめ、ゆっくりと身体になじませるように動かす川瀬。特に、クラブを起点に身体を動かしながら、左右の手に持ち変えたり回転させるユニゾンのシーンでは、ダンス的な運動の中に両者の対比が際立つ。次の動きへの流れに無駄がなく、身体の動きのラインがクリアに見える川瀬に対して、山下の場合、クルクルと小気味よく回転するクラブの動きが前景化する。どちらも身体を使うが、身体の動きを見せる/モノを動かす(モノの動きを見せる)という、微妙な意識のズレが浮上する。
同じ道具を使いつつも平行線を見せるダンスとジャグリングだが、ふっと両者が接近する瞬間がある。ユニゾンによって運動の熱が伝播するかのように、山下がクラブを扱う手さばきをどんどん高速化させることで、前後左右に激しくドライブする身体が、モノの制御から半自律化した「ダンス的な動き」を描き始めるのだ。だが、ダンスへの接近は、制御可能な速度を超えた動きについていけず、「クラブを手から落とす」というアクシデントによって、何度も中断させられてしまう。
ダンスとジャグリングの関係を、平行線/接近と度重なる中断として見せていた本作には、やや物足りなさを感じた反面、より掘り下げればもっと面白くなる可能性を感じた。具体的なレベルでは、例えば、両手をクロスさせてクラブをキャッチするなど「左右の軸の交差」、放り投げたクラブを一回転してキャッチする際の「身体の回転軸」といった身体感覚はどう意識されているのか。ダンサーの意識との相違点はあるのか。抽象的なレベルでは、「身体のコントロール、訓練を通して規律化された動き、身体の矯正」といった観点から考えることが可能だろう。それは、「ダンス」へのさまざまな問いを誘発するに違いない。ダンサーは、身体のコントロールに向かうのか、制御を逃れたところに運動の自由さを見出そうとするのか。制御やコントロールを外れた動きは「ダンス」と言えるのか。モノ(もしくは他者)は、動きを誘発するのか抑制するのか。ある動きを「ダンス」と規定する文脈はどこにあるのか。ダンスが身体の訓練・矯正としての側面を持つならば、ダンスの内部からの自律的な要請(「振付」と呼称される)/外部から規定される振る舞い(法令や規則など明文化されたルール、ジェンダーや文化的慣習など社会的に形成された観念、スポーツの応援や軍事パレードなどにおける身体的同調性)とはどう異なるのか。そうしたさまざまな問いを喚起することで新たな対話が始まれば、ダンス/ジャグリングにとって刺激的な試みになるに違いない。

一方、渡邉尚と倉田翠の『ソラリス』では、ダンス/ジャグリングという区別はいったん括弧に入れられ、ジャグリング用の白いボールは道具としての役割から解放され、シーンによって様々な見え方や連想を誘っていた。四つん這いで動く2人は、ヒトから獣へと自在に変貌するが、4本の足は、大地を踏みしめるのではなく、床に転がった白いボールの上を飛び石のようにしか移動できない。それは、奇妙な野生の獣の習性を眺めているようだ。点々と転がる白いボールは、2匹の獣の足跡のようにも、口にくわえた獲物のようにも見える。そうした連想の自由さを支えるのが、2人の肉体の強靭さとしなやかさだ。とりわけ、ジャグリングとダンス、双方の経験を持つ渡邉の肉体は、驚異の柔軟性と軟体変化を見せる。
地を這う動物の水平的世界から、人間のもつ垂直的な構築性へ。動物への擬態によって表わされる攻撃性や防衛本能、縄張り意識から、共同作業へ。本作の流れはそう概観できるだろう。「持ち玉」として抱え込み、相手に投げつける白いボールは、領土の比喩であるとともに、相手を物理的に攻撃する弾丸となる。しかし相手を攻撃すればするほど、領土は縮小し、手持ちの物資は少なくなっていくという皮肉をはらむ。そうした対峙の関係は、終盤、2人が口と手を使ってボールを柱のように積み上げていくシーンにおいて、垂直的な祈りのような行為へと昇華されていた。

2016/07/31(日)(高嶋慈)

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