2018年01月15日号
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artscapeレビュー

鈴木ユキオほか「公共ホール現代ダンス活性化事業」

2016年10月01日号

会期:2016/08/01~2016/08/03

東京芸術劇場[東京都]

上演作品だけが舞台芸術批評の対象ではないはずだ。例えば、ワークショップ(以下WS)というものがある。批評の埒外とされがちだが、作品の内在分析にとどまらず、作家の狙う芸術と社会との関係性を批評しようとする際、WSはその重要な1項目となるのではないか。WSは、アーティストの芸術観や思想が凝縮された形で、しかも、一般の参加者にも理解できるような仕方に整理された上で表現される場である。そもそも、上演作品は観客を受動的にするのに対して、WSは観客を能動的な参加者にする。その点で、WSには観客のあり方(もちろん、それに基づいた観客とアーティストの関係)を更新する可能性が秘められてはいないか。ぼくは今後、機会を見てWSを見学あるいは参加し(あるいはBONUSで企画し)、批評に試みてみようと思う。以下は、その最初の試みである。
「ダン活」の全体研修会(アーティストプレゼンテーション)を見てきた。「ダン活」とは一般財団法人地域創造による「公共ホール現代ダンス活性化事業」のことである。地域の公共ホールにダンス作家を派遣して、公演を行なったり、WSを行なったり、WSを経た後地域住民と公演を行なったりする活動である。この日は、派遣登録した6組の作家がプレゼンテーションし、客席側の公共ホールの関係者たちと実際に体を動かした。作家は、鈴木ユキオ、田畑真希、赤丸急上昇、東野祥子、田村一行、セレノグラフィカ。WSというものは「動かす/動かされる」という権力関係の発生する場である。ダンスは自由で生き生きとした表現の場と見られる一方、動きを支配する教師側と支配される生徒側とに分かれ、生徒側に自由はないということが起きる。学ぶとはそういうものだと言う者もいるだろうし、生徒とは嬉々としてそうした関係の渦中で学ぶ者だと言うこともできよう。体を動かすだけで十分に快楽がある。すると、作家の促しに答えるだけで満足は得られる。ただし、WSが単に受講者に与えるだけではなく、受講者とともに作るものとするなら、この状況は受講者を受け身にしすぎている。興味深かったのは、鈴木ユキオと田村一行という舞踏をルーツに持つ二人が、ともに「動かされる」自分を意識して欲しいと受講者に促していたことだ。受け身である(リアクションの状態)とはどういうことなのか。さらに興味深かったのは田村が、ひとを構成するのは多様なアクションに対するリアクションではないか、社会との多様な刺激への応答こそ自分であると言えるのではないかという趣旨の発言をしていたことだ。ダンスが社会へ貫通していることを示すこうした言葉こそ、ダンスの作家は発明しなければならないはずだ。

2016/08/02(火)(木村覚)

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