キュレトリアル・スタディズ11:七彩に集った作家たち:artscapeレビュー|美術館・アート情報 artscape

2018年08月01日号
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キュレトリアル・スタディズ11:七彩に集った作家たち

2016年10月01日号

会期:2016/07/27~2016/09/19

京都国立近代美術館[京都府]

店頭におけるファッションの引き立て役であり、優秀な販売員でもあるマネキン。日本における洋装マネキンの製造は1925年、島津マネキンの創立にはじまる。手がけたのは島津良蔵(1901-1970)。島津製作所社長・島津源蔵(二代、1869-1951)の長男で、東京美術学校の彫刻科に進み、朝倉文夫に学んだのち島津製作所に入社する。当時島津製作所の標本部は人体模型の制作や輸入マネキンの修復を手がけていたが、マネキンの製造販売を行なうことが決定され、良蔵がその担当者となった。1937年、ここに作家として加わったのが良蔵と同じく東京美術学校彫刻科出身の向井良吉(1918-2010)だった。第二次世界大戦中の1943年にマネキンの製造を中止した島津製作所は、戦後その製造を復活させなかったが、島津良蔵と向井良吉は共同して1946年、マネキン会社「七彩工芸(現・七彩)」を設立。戦時中ラバウルに出征した向井良吉が島津良蔵と交わした「生還の暁にはマネキン創作活動を復帰する」という約束を果たしたことになる。社名の名付け親は向井良吉の兄で画家の向井潤吉(1901-1995)。「七つの異なった色が織り成すハーモニーと、空に架かる虹の雄大なイメージ」を込めた命名だという。今年2016年は、同社の創立70周年にあたる。
美術家たちが興した事業であり、七彩の社内外には芸術的な気風が溢れていたようだ。そのあたりは1949年から57年までの9年間行われた「マネキン供養祭」というイベントや、第一線のファッションデザイナーたちが参加した新作展、岡本太郎も寄稿した企業誌の刊行にもうかがわれる。1990年には、写真家ベルナール・フォコンが撮影に使用した1920年代のフランス製マネキンをコレクション。本業では美術館や博物館の服飾展示に使用されるマネキンの制作も行っている。商業的なマネキン、店舗什器の製造に留まらない多彩な活動の中で本展がとくに焦点を当てているのは、1953年3月に開催された展覧会「火の芸術の会」だ。その目的は「日本の陶磁器の伝統に現代の美術家の形と色を加えたい」「日本の将来の新しい工芸運動にひとつの寄与をしたい」というものだった。参加作家は岡本太郎、柳原義達、難波田龍起ら。平凡社社長・下中弥三郎所有の鎌倉山の窯と信楽の窯で彫刻家が形をつくり、画家が絵付けするという「美術家による陶器の新しい実験」が行われ、東京と大阪で作品が発表された。本展にはその作品、パンフレットが展示され、作家たちの制作風景を記録したスライドショーが上映されていた(この写真とは別に、岡本太郎の身体からマネキンの型を取る過程を記録したスライドショーも興味深かった。このときのマネキンは現在岡本太郎記念館に展示されているものだ)。このほか展示室には向井らが七彩で手がけたマネキン、パンフレットや企業誌、向井良吉の彫刻作品、展示会やマネキン供養祭の記念品が並ぶ。七彩の展示会風景などをランダムにまとめた写真パネルはとても興味深いが、その歴史と代々のマネキンについてもう少し詳しく見たかった。常設展示室の一室をつかった小規模な企画ではあるが、展示室の外、受付やショップ、ロビー、階段踊り場など、美術館のそこここに現代の裸のままのマネキンを配したインスタレーションはインパクト抜群(ただし受付カウンターの女性マネキンのみは着衣。首に提げたスタッフ証によれば「キャロライン」という名前だ)。[新川徳彦]

★──七彩の歴史については、同社のウェブサイト「七彩マネキン物語」で読むことができる。

2016/08/26(金)(SYNK)

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