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武士と印刷

2017年02月01日号

会期:2016/10/22~2017/01/15

印刷博物館[東京都]

「武士と印刷」。ストレートで魅力的なタイトルだ。しかしながら困惑させられる部分もある。なぜならば、「武士」という文字からは戦いがイメージされ、他方で「印刷」からは文化の香りがするからだ。もちろん「文武両道」という言葉に見られるように、両者を兼ね備えることは理想的人間像のひとつでもある。ここでの「武士」とは誰なのか。「印刷」とは何なのか。本展タイトルが定義するところを追っていくと、この企画の骨子が見えてくるようだ。
まず「武士」。さまざまな階層があるが、ここでは将軍および藩主クラスに限定されている。時代は戦国時代以降、江戸時代末期まで。というのも、2016年が徳川家康没後400年であることが本企画の背景にあるからだ。家康が生まれた戦国時代には大内(周防)・朝倉(越前)・今川(駿河)の戦国三大文化が花開き、それぞれ大内版、越前版、駿河版とよばれる印刷事業を行なっていた。今川氏のもとで人質時代を過ごした家康はそうした文化の影響を受けていると考えられる。じっさい、家康は伏見版とよばれる書物の印刷に木製活字をつくらせ(慶長4~11年/1599~1606)、駿河版の印刷には銅活字をつくらせている(慶長11~元和2年/1606~1616)のだ。「印刷」は技術のことではなく出版とほぼ同義だが、これらが大衆向けの出版物とは異なり利益を目的としたものではないことから、ここでは印刷という言葉を用いているという。そのほか、藩校の出版物は対象外とされている。これらの制約条件で定義した結果、本展でいう「武士による印刷」とは、戦国時代から江戸時代までのリーダーたちがなんらかの使命感で刊行したもの、政治を司るためのマニュアル、あるいは藩主が自分の趣味としてつくった印刷物ということになる。
使命をもってつくられた印刷物の最大のものは水戸藩第二代藩主・徳川光圀が編ませた『大日本史』だろう。趣味と教養が一致した著名な例は、古河藩主・土井利位が約20年をかけて観察した雪の結晶を収録した『雪華図説』か。なかには写本で十分ではないかと思われる内容のものもあるが、現代の自費出版同様、印刷物であることにステータスがあったようだ。「マニュアル」には武断政治から文治政治に転換するにあたって統治のために必要となった法に関するもののほか、実戦を経験することがなくなった武士たちのための兵法書などがある。
展示第1部は「武者絵に見る武士(もののふ)たちの系譜」。 洋画家・悳俊彦氏のコレクションによる歌川国芳の武者絵は第2部とは直接には関わらないが、江戸時代の庶民が抱いていた武士のイメージと実際の武士たちの姿とのギャップを物語る。第2部は「武士による印刷物」。展示室いっぱいに並んだ書物の数に圧倒される。展示は印刷に関わった人物別におおむね時代順になっており、印刷物の内容別ではない。展覧会の主役はあくまでも「武士」なのだ。
展示の最初に示されている「藩主印刷マップ」には、藩主が印刷に関わった藩が全国にわたっていることが示されている。ということは、これら武士による印刷物の存在は、地方における文化レベルの高さを物語るものなのだろうか。印刷物には奥付や版元が示されていないものが多く明確なことは言えないが、「武士による印刷」には大衆向けの出版物同様に「印刷都市江戸」の存在が大きいという。参勤交代の制度により、藩主には江戸藩邸で生まれ、江戸で多彩な文化、新しい知識に触れて育った人が多い。江戸には印刷出版のシステムも整っていた。それゆえ、江戸の環境が印刷藩主を育んだのだと、本展を企画した川井昌太郎・印刷博物館学芸員は指摘する(本展図録282頁)。そして「印刷都市江戸」の文化、システムは、明治維新とともに「印刷都市東京」へと引き継がれていくことになるのだ。[新川徳彦]


会場風景

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