2018年04月15日号
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artscapeレビュー

Q『毛美子不毛話』

2017年02月01日号

会期:2016/12/16~2016/12/19

新宿眼科画廊 スペース地下[東京都]

Qを知る者にとって本作の驚くべき点は、武谷公雄の起用だ。舞台は永山由里恵との二人。おのずと武谷=男VS永山=女という構図が見えてくる。「驚くべき」というのは、これまでQの劇は登場人物のほとんどが女性で、あらわれても男性の影は薄かった。それが本作では、木ノ下歌舞伎などでの器用な演技で定評のある武谷が舞台を闊歩している。このチャレンジは、舞台に風穴を空けることとなる。永山扮する女は合皮のパンプスしか履けず、いつか本革を履く日を夢見ているOL。女は美しい。だから、社内の男に声をかけられてしまう。というわけで、武谷が登場すると、強引で身勝手で、女を人間扱いしない男っぷりによって、とまどう女と不協和な響きを生む。武谷は上手い。求められている男っぷりを難なくこなす。その後武谷は女にも扮し、さらに胸にペニスが生えた奇怪な男にもなってゆく。演技の巧みさが舞台を引き締める。と同時に、なんとなくそれが永山の演技の奇妙さと対照的に見えて、それが気になってくる。Q主宰の市原佐都子は、これまでも役者たちに、奇妙な過剰さを湛えた演技を施してきた。今回もそれは健在で、時折永山は、ホラーともコメディともつかない寄り目で顔を歪ませたりする。市原の芝居が男性観客向けの媚びた演技から距離をとっている証拠なのだが、男性の武谷が同様の過剰で気味の悪い演技をすると、永山のそれよりも違和感が少ない。そのことは何を意味するのか。武谷の技量のせいなのか。それとも男性役者と女性役者の違いと見るべきか(変顔する女性にまだ心の準備が出来ていないのか)。筆者は男だ。だから、男の武谷が舞台にいることで、彼を媒介にしてQの劇空間にいつもより容易に迫ることができていると感じる。その効果は絶大だ。毎度感じきた、ほぼ全員女性たちで構成される舞台から受ける男性観客としての疎外感が、すこぶる軽減されているのだ。だからといって、この劇空間に男という存在が無前提で歓迎されているわけではない。男は不可解で、不気味で、理解不能な獣だ。望むも望まぬもなく、この男と一緒に暮らす女。二人を翻弄する本能の力。最後に、女は男を絞殺する。なぜかわからない。何かに「踊らされている」と叫びながら女は踊る。そもそも生命の営みはわからないことだらけだ。そのわからないものとともに暮らしていくこと。その「不毛」を肯定するように女は踊り、劇は締めくくられた。(動画にて鑑賞)

2017/01/24(火)(木村覚)

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