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麻のきもの・絹のきもの

2017年03月01日号

会期:2017/01/06~2017/02/20

文化学園服飾博物館[東京都]

日本人が木綿の織物を身にまとうようになるのは16世紀頃のこと。それ以前、古代より衣類に用いられていたのは麻と絹だった。本展では、この二つの素材を取り上げ、それぞれが糸、布、着物になるまでの過程を辿り、また衣服文化における麻の着物と絹の着物の位置づけを見る。絹も麻も、飛鳥時代・奈良時代には政府によって生産が奨励・管理されるようになり、奈良・平安時代には身分制度の確立に伴って、上質の絹織物は貴族階級の衣料に、下級の絹布や麻の織物は庶民の衣料とする構図ができあがったという。第1室では、そうした衣類の素材の歴史の解説と、麻や絹の糸をつくるための道具、現代の生産工程の映像が上映されている。資料を見る限り、麻については現在でも手作業を中心とした大変手間のかかる方法で糸がつくられている。他方で明治日本の主要な輸出品となった絹糸の生産工程にはさまざまな改良が行なわれ、機械化されていった過程が分かる。このほか、第1室では奈良時代の裂や、麻や絹の加工、染色技術の違いを示す見本が展示されている。第2室ではさまざまな染織技術による麻と絹のきものが紹介されている。そうしたヴァラエティが生まれた要因としては、例えば季節に合わせた素材や仕立ての違い、染織技術の発展による表現の変化がある。しかしながら、さらに興味深いのは身分制との関係だ。展示解説によれば、武士はもともと都の警備や公家等の警護のために雇われた平民であり、絹を着るような身分ではなかった。ところが源頼朝が征夷大将軍を任ぜられて鎌倉幕府が成立すると武家も朝廷の身分制度に組み入れられ、位階に応じて絹製の装束を身につけるようになった。また、公家の着物には染めによる文様付けは行なわれなかったが、将軍家から嫁を迎えるようになってから武家風の装飾が取り入れられるようになったのだという。社会の変化と衣料に埋め込まれたコードとの関係がとても興味深い。[新川徳彦]


展示風景

2017/01/31(火)(SYNK)

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