2018年10月15日号
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artscapeレビュー

花森安治の仕事─デザインする手、編集長の眼

2017年04月01日号

会期:2017/02/11~2017/04/09

世田谷美術館[東京都]

雑誌『暮しの手帖』をつくり上げた名編集者、花森安治(1911-1978)についての展覧会。同誌の編集作業に用いられた原稿や写真、表紙絵などをはじめ、同誌の代名詞とも言える「商品テスト」で使用した数々の商品、学生時代の水彩画や新聞原稿など、約750点の資料が展示された。花森の回顧展はこれまで幾度か催されてきたが、規模の面でも内容の面でも、今回は決定版と言えるほど充実した展観である。
会場に立ち込めていたのは、全人生を仕事に費やした花森の熱量。事実、花森の仕事は「編集者」という肩書きを大きくはみ出すほど多岐にわたっていた。原稿を執筆することはもちろん、写真を撮影し、表紙絵やカット絵を描き、電車の中吊り広告のデザインも自ら手がけた。雑誌づくりのほとんどすべての行程に眼を光らせ、辣腕を振るっていたと言ってよい。細かく分業化された現在の雑誌づくりと比べると、花森のある種のエゴイズムは羨望の的以外の何物でもあるまい。
むろん、その熱を帯びたエゴイズムはたんなる利己主義ではなかった。会場には、編集部員が撮影してきた早朝の築地の写真について烈火の如く怒りながら説教する音声が流れていたが、その様子を想像すると花森の家父長的な権威主義を実感できるのは事実である。だが展示でも強調されていたように、その権威性の根底には明確な批判精神が宿っていた。同誌は広告を一切掲載していないが、それは広告収入に依存することで商品への批評が鈍ることを避けるためだ。「商品テスト」が目指していたのは、客観的な実験と忌憚のない批評によって、庶民の暮らしを豊かに拡充することだった。
「暮らしなんてものはなんだ、少なくとも男にとっては、もっと何か大事なものがある、何かはわからんくせに、何かがあるような気がして生きてきたわけです。あるいはあるように教えられてきた。戦争に敗けてみると、実はなんにもなかったのです。暮らしを犠牲にしてまで守る、戦うものはなんにもなかった。それなのに大事な暮らしを八月十五日まではとことん軽んじきた、あるいは軽んじさせられてきたのです」(『一億人の昭和史4 空襲・敗戦・引揚』毎日新聞社、1975)。このように花森が戦争を振り返るとき、おそらく念頭にあったのは大政翼賛会の記憶だろう。花森は戦時中、大政翼賛会に在籍し、戦意の高揚と銃後の守りを庶民に訴えかける宣伝活動に従事していた。展示には大政翼賛会のコピーも含まれていたが、それと『暮しの手帖』の広告の類似性には、誰もが驚かされたにちがいない。花森が編集部で愛用していたという質実剛健な机は、大政翼賛会が仕事を発注していた報道技術研究会から譲り受けたものだったというから、花森の手と眼は、つねに戦争に加担した反省と贖罪の意識のうえで動いていたのかもしれない。
国や企業と私たちの暮らしとのあいだに明確な一線を画すこと。戦後、花森が『暮しの手帖』で実践してきた仕事を要約するとすれば、こうなる。つまり花森にとっての「暮らし」とは、たんに生活を美しく豊かに改変することだけではなく、国や企業に脅かされかねない生活を守り、それらに抵抗するための準拠点を意味していた。新たな戦前の気配が漂い始めたばかりか、豊かさの陰で生活そのものが成り立ちにくく、しかも私たちの生存が国や企業に完全に包摂される時代になりつつある昨今、私たちが花森の批判精神に学ぶことは多い。それは、公的領域と私的領域を明確に峻別するという点で、きわめて近代的な意識だった。
しかし、その一方で、花森の近代的な批判精神には拭い難い難点があることも否定できない。それは、その社会的な意義が高まれば高まるほど、個々の自由は失われていくという逆説である。むろん国や企業と暮らしを混同せず、双方を明確に区別するという批判精神が意義深いことに疑いはない。だが、そうであればこそ、まるで社会的正義のようなテーゼが私たちを苦しめる。例えば花森が自ら描いた表紙絵は、どれも丁寧な筆致で、美しい。けれども、それらを立て続けに見ていくうちに、得も言われぬ息苦しさを覚えたのも否定できない。正しいがゆえに苦しい。ここにこそ花森安治の批評精神の本質的な二面性が体現されているのではなかったか。

2017/03/03(金)(福住廉)

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