2018年07月15日号
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artscapeレビュー

Chim↑Pom展“The other side”

2017年04月01日号

会期:2017/02/18~2017/04/09

無人島プロダクション[東京都]

Chim↑Pomの真髄は、現代美術の息苦しい理論や硬直した作法に束縛されることなく、柔軟な感性としなやかな瞬発力によって同時代性を獲得する点にある。東日本大震災に反応したアーティストのなかでも、その発想と行動力は群を抜いていると言ってよい。
今回、彼らが注目したのは「国境」。アメリカ合衆国のトランプ大統領がメキシコからの不法移民の侵入を防ぐため国境沿いに「壁」を建設すると公言しているなか、その国境に隣接するメキシコで制作した映像作品などを発表した。これまでと同様、同時代の現代社会に介入することを試みた作品である。
舞台はスラム街の一角にある手づくりの邸宅で、家の壁がそのまま国境になっている。「こちら側」と「あちら側」を隔てる境界が生々しい。島国に住む私たちは国境を意識する機会に乏しいが、彼らはそれが暮らしのなかに剥き出しにされた現場に通いながら作品を制作した。「あちら側」のアメリカの監視塔に相対するかのように「こちら側」の樹木の上にツリーハウスをつくったり、「あちら側」の象徴である自由の墓を「あちら側」に建てたり、いずれも国境が露呈した現場ならではの痛快な作品である。
とりわけ優れていたのが《The Grounds》。「壁」の手前で深い穴を掘り、そこにメンバーのエリイが身を沈めながら境界部分の土に足跡を残した映像作品だ。むろん人の移動を一方的に許可ないしは禁止する国境の権力性を足蹴にするという批評的な意味がないわけではない。だが、それ以上に重要なのは、彼らが国境の人工性を浮き彫りにした点である。この現場では国境が物質として可視化され、なかば「自然」と化しているが、彼らは地中に潜り、地中からの視点を提供することで、その「自然」が決して文字どおりの自然ではないことを表わした。暗闇の中でアメリカへの呪詛の言葉を吐くエリイは愉快だが、私たちがその暗闇の「向こう側」に見出すのは、国境があるかないかにかかわらず、地中はあくまでも地中であり、大地はどこまでいっても大地であるというイメージである。彼女が暗い穴から地上に這い上がったとき、抜けるように明るい青空の下に敷設された国境の禍々しさが逆照されるのである。
社会的現実を芸術によって変革するのではなく、その社会的現実そのものが芸術と同じように人工的につくられたものであることを鮮やかに照らし出すこと。Chim↑Pomが柔軟な感性としなやかな瞬発力によって私たちの眼前に示しているのは、このようなイメージである。それは、いわゆる「まちおこし」や「地域の活性化」を目的としたアートプロジェクトや社会的問題の現実的な解決を図るアーティストによる作品とは明らかに異なっているが、社会と芸術の媒介を試みている点で言えば、それらと同じように社会介入型の現代美術であると言えよう。ただChim↑Pomに独自性があるのは、その媒介をあくまでも私たちの想像力によって成し遂げようとしているからであり、その点で正確に言い換えれば、芸術が社会に介入するのではなく、社会を芸術に介入させているのである。Chim↑Pomは現代美術の周縁から生まれ、現にそのように位置づけられがちだが、実は現代美術の王道を追究する、きわめてまっとうなアーティストなのだ。
しかし、現代社会は現代美術に決して小さくない難問を突きつけている。社会的現実が人工的な造形物であることは事実だとしても、昨今の政治の喜劇的混乱が端的に示しているように、その虚構性はますます増強しつつあるからだ。かつてChim↑Pomは広島の空に飛行機雲で「ピカッ」と描き大顰蹙を買ったが、いまもっとも「やばい」のはもしかしたらあの政治家なのかもしれない。自己表現のために公共空間を使用するアーティスト以上に、権力を傘に公共性をなりふり構わず私物化しているからだ。虚言を憚ることなく現実の政治が遂行される時代にあって、現代美術のアーティストはいかなる想像力によって立ち向かうのか。Chim↑Pomは「私性の公共化」という実践によって、その問いにいち早く回答した。

2017/03/02(木)(福住廉)

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