2018年01月15日号
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artscapeレビュー

昭和官能劇画展

2017年04月01日号

会期:2017/02/16~2017/02/27

墓場の画廊[東京都]

「官能劇画」とは、おもに成人向けのマンガ雑誌で発表されるエロティックな劇画。より直截に「エロ劇画」ともいう。その端緒はむろん劇画にあるが、60年代後半から官能性を主題にしたマンガが登場し始め、1973年発行の「エロトピア」以後、70年代後半にかけて隆盛したと言われている。本展が「昭和」という言葉を掲げているのは、その限定された時代性を強調するためだろう。ケン月影をはじめ、間宮聖士、景山ロウ、西城かおる、村田やすゆき、林昌也、吉浜さかり、城野晃、吉田昭夫、やまもとあき、石川俊による原画が一挙に展示された。
湿り気を帯びた暗さ──。官能劇画に通底する作画的な特徴がこの点にあることは言うまでもない。大半の作家が描き出す豊満な女体に独特の湿度と暗い影を感じ取れるからだ。とりわけ傑出していたのがケン月影。線の美しさはもちろん、着物の柄を克明に描き込むことで、その下の白い肌の肌理を逆説的に強調する描写法は見事と言うほかない。画面から香しい色気が漂ってくるように感じられるほどだ。
しかし「官能劇画」は、いまや風前の灯である。インターネット社会で歓迎されているのは、「官能劇画」とは対照的に、乾いた明るさのエロティシズムだからだ。さらに雪崩打つような社会全体のロリコン化も「官能劇画」を追い詰めた要因として挙げられよう。思えば、いつでも煌々と明るいコンビニの一角を辛うじて占めている官能劇画は文字どおり最後の砦なのかもしれないが、それにしても次の東京オリンピックを前に空前の危機に瀕していると言わねばなるまい。前回の東京オリンピックで貧民街が一掃され、「思想的な変質者」が取り締まりの対象となったように、社会の広範囲に及ぶ徹底的な「浄化作戦」が実施されることはほぼ間違いないからだ。「官能劇画」のような扇情的な視覚イメージがその標的となることは想像に難くない。
だとすれば、本展はそのような窮状にある「官能劇画」を救出する試みとして考えることができる。だが、どのようにして? むろん「絵画」として位置づけることも可能だろう。絵画史に接続できれば、曲がりなりにも永遠性が担保された美術館に収蔵されることも夢ではないかもしれない。けれども壁面を埋め尽くした「官能劇画」を見れば見るほど、それは「絵画」には馴染まないように思われた。
フレーミングされた原画は、確かに肉筆の妙を味わうには十分だったが、その一方で奇妙な違和感を覚えたことも事実である。それは、おそらくそのようにして見せられている「官能劇画」が成人向けのマンガ雑誌のような幅と厚みを失っていたからではなかったか。その幅と厚みを欠落させた「官能劇画」は、一見すると絵画的だが、「官能劇画」の肉感性を半減させてしまっているように感じられたのだ。「官能劇画」とは、本来的に、成人向けのマンガ雑誌という「肉」を必要としているのだ。
むろん「官能劇画」にとっての肉は、成人向けのマンガ雑誌に限定されているわけではあるまい。本展では、「官能劇画」が転写されたiPhoneケースが販売されていたが、それが消費者の購買意欲をほんとうにそそるかどうかはさておき、それは「官能劇画」が成人向けマンガとは別の新たな寄生先を探し求めていることの現われだったのかもしれない。「官能劇画」の真価とは、メディアを変換しながらも次々とイメージを転位させていく運動性にある。それこそ、イメージとメディアを同一視して疑わない「絵画」には到底望めない、「官能劇画」の特性にほかならない。

2017/02/27(月)(福住廉)

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