2018年07月15日号
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artscapeレビュー

ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団『カーネーション─NELKEN』

2017年04月01日号

会期:2017/03/16~2017/03/19

彩の国さいたま芸術劇場[埼玉県]

わずかな違和感がずっと消えなかった。かつて本作は1989年に日本で上演された(初演は1982年)ことがある。筆者は今回が本作初見、でも、90年代以降のバウシュの上演はほとんど見てきた。違和感の正体は、そこにバウシュ(2009年逝去)がいないという感覚である。だからと言って、あそこがなっていないとか、はっきりと不十分と思われる箇所があるというのではない。けれども、どこかヴァーチャルな上演とでも言いたくなるような感触が、見ている間ずっと消えなかった。もちろん、作家の死後に上演(演奏)される作品などいくらでもある。慣れの問題かもしれないが、バウシュの舞台を見るとき、筆者はバウシュの目を常に意識していた、ということなのだろう。あとひとつ思うのは、バウシュの戦略が今日どう映るかということだ。バウシュの「タンツテアター」は意味の宙づりにその戦略がある。バウシュの舞台はほとんどどの作品も、小さなシーンが複層的に重なり進んでゆく。例えば、本作には、男二人が代わりばんこに頬を殴り、殴った頬にキスをするといったシーンがあった。これは暴力なのか愛なのか。単純に二者択一ではない「宙づり」が舞台を知的に躍動的にする。この「宙づり」をかつての筆者だったら「戯れ」の肯定として受け取っていたことだろう。とはいえ、いまそれは「大人の子供化」に映ってしまう。大人の子供化が凄まじく世界を席巻しているのが、いまだ。その時代の中では、かつての「知的な遊び」は「非知的な後退」あるいは「本質的な問いの回避」に見えてしまう。そう見るのを避けたければ、バウシュの試みを歴史的な遺産として受容するのが賢明な態度といえるのかもしれない。バウシュはいまや懐メロなのである。そして、バウシュが(ある種の)コンテンポラリー・ダンスの創始者であったとすれば、明らかに、コンテンポラリー・ダンスは過去のもの、歴史的なものとなったのだ。

2017/03/17(金)(木村覚)

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