2018年01月15日号
次回2月1日更新予定

artscapeレビュー

地点『忘れる日本人』

2017年06月01日号

会期:2017/04/13~2017/04/23

KAAT 神奈川芸術劇場[神奈川県]

舞台空間を紅白の紐が四角く囲い、その中に一隻の船がある。船底から、登場人物がひとりずつあらわれる。彼らは一様に、カニのような横歩きしか許されず、手もイソギンチャクのように常に揺れている。叫ぶように言葉は発せられる(戯曲は松原俊太郎)。どれも日本への苛立ちや生活への不満、将来への不安や現状への憤りを含んでいるようだ(登場人物たちの胸には日の丸のシールが貼られている)。けれども、意味はいつも途中で千切られ、行き先が曖昧になり、クラゲのように空を漂うばかり。まずは、その独特の(身体的また知的な)運動に圧倒される。強いエモーションを伴いながら、どこにも行き着かない彷徨する運動、リズム。途中から、何か言葉を発すると、「わっしょい」と全員で合いの手を入れるようになり、それが延々と続くようになった。意味は曖昧なまま、しっかりと共有されるリズム。その後、全員で船を担ぐことになり、すると息が合わなかったり、サボっているものがあらわれたり、コントのような笑いの場面になる。船は担ぐ人数に比して随分と重い。客席は彼らの虚しい努力を応援したい気持ちになってくる。登場人物のひとり、漁師風の男が客席に「ともだちはいませんか」と声をかける。観客の10人ほどが舞台に上がり、船を担ぐことに協力する。西へ東へ、船は舞台を移動し、奇妙な一体感が醸成された。「ともだち」が客席に返されると、登場人物たちは船を自力でひっぱりあげて、顔を歪めながら移動させる。観客との共同作業の際もそうだったのだが、この移動にさしたる目的は見いだせない。曖昧に、不安定に、移動の状態が継続されているだけだ。北朝鮮の核実験に翻弄させられ、トランプ政権の強気な外交に振り回されながら、日本としてなすべきことは、この状況に無言でついてゆくことだけという、2017年4月に生きる日本人としては、これ以上はないというくらい、今の自分たちの気分が表現されていると思わずにいられない舞台。『三月の5日間』から13年。その当時、渋谷のラブホや路上でうろうろする若者に戦争は遠く、不安は漠としたものだった。今、船は出航してしまった。ぼくらはあのラブホや路上にいた自分たちとさして変わってはいないのに、覚悟も準備もなく、出航してしまった。三浦基の緻密な演出は、日本人の現在を表象して見せてくれた。

2017/04/21(火)(木村覚)

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