2018年09月15日号
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artscapeレビュー

蜷川実花「うつくしい日々」

2017年06月15日号

会期:2017/05/10~2017/05/19

原美術館[東京都]

いい写真家は大抵そうなのだが、物事を「呼び寄せる」力を備えている。蜷川実花もむろんその一人で、今回の展覧会の会期の決まり方は、普通ではとても考えられないものだったと聞いた。河出書房新社から刊行された同名の写真集の企画が先行していて、発売に合わせて展覧会の開催が急遽決まり、会場を探したところ、たまたま原美術館が展示の入れ替えの時期で空いていたのだという。2年前に同美術館で個展「Self-image」を開催しており、父の演出家、蜷川幸雄の死の前後を撮影した今回の作品には、まさにぴったりの場所だった。しかも、5月12日のオープニングレセプションの日は、蜷川幸雄の命日でもあった。でき過ぎた話だが、蜷川実花ならあり得ると思わせるのが、彼女の引きの力の強さだろう。
横位置のそれほど大きくない写真が淡々と並ぶ「うつくしい日々」の会場を巡りながら、蜷川が写真家としての階梯をまたひとつ上ったのではないかと感じた。病室の場面もあるが、選ばれている写真の多くは、仕事中や、父が入院している病院に向かう前に、近所を散歩している時などに撮影されたものだ。いつもの彼女の、やや大仰な身振りやビザールな被写体への偏愛は抑制され、そこにあるものを静かに受け容れる姿勢が貫かれている。むろん「風船が萎むみたいに」悪化していく父の病状はつねに頭の片隅にあるのだが、それ以上に目の前にある世界の眩しさ、美しさに素直に驚きの目を見張っている様子が伝わってくる。「三菱東京UFJ銀行」の看板やコンビニの女性雑誌の表紙など、普段は絶対に選ばないはずの写真が入っていることに胸を突かれる。生の世界を輝かせているのは、むしろ死の影であり、蜷川はそのことに無意識のレベルで反応しているのだ。
これまでの蜷川には、仕事としての写真と、写真作家としての作品を潔癖に分けて考えるところがあった。だが、「うつくしい日々」を見ると、彼女自身の生と写真とが一体化した境地に達しつつあるのではないかと思う。東松照明は、沖縄に移住して撮影した「太陽の鉛筆」(1972~73)の写真について、「撮るのではなく、撮らされた」と語ったことがある。「うつくしい日々」はまさに「撮らされた」写真群だが、そこに彼女の写真家としての未来を賭けてもいいのではないかとさえ思える。

2017/05/14(日)(飯沢耕太郎)

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