2024年03月01日号
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artscapeレビュー

猪熊弦一郎展 戦時下の画業

2017年12月15日号

会期:2017/09/16~2017/11/30

丸亀市猪熊弦一郎現代美術館[香川県]

今回の香川県一人旅のメインはこれ。猪熊は1938年にフランスに遊学し、マティスに師事したり藤田嗣治と親交を結んだりしたが、40年に戦火を逃れて帰国。戦前からマティスやピカソばりの絵を描いていたのに、日本が開戦すると作戦記録画を描くよう期待され、中国、フィリピン、ビルマ(ミャンマー)などに派遣される。猪熊は記録画を少なくとも3点描いたが、現存するのは東近美の《○○方面鉄道建設》1点だけで、あと2点は行方不明。ひょっとしたらもっと描いていたかもしれないが、ほかの画家もそうしたように、敗戦時に自らの手で焼却してしまった可能性もある。だいたい3度も外地に派遣されながら3点しか制作しなかったというのは少なすぎる。解説によると、瀧口修造と福沢一郎が検挙されたあと、次は猪熊と佐藤敬が危ないといわれ、逆らえなかったらしい。
展示はフランスでの藤田との交流を示す作品や資料、日中戦争中の中国の子どもを描いた大作《長江埠の子供達》、外地でのおびただしいスケッチ、軍からの出品依頼書、佐藤敬の《クラークフィールド攻撃》、小磯良平の《日緬条約調印図》といった戦争画、そしてただ1点残された猪熊の記録画《○○方面鉄道建設》など、戦前から戦後までの足跡をたどっている。この幅4.5メートルある《○○方面鉄道建設》は、捕虜を死ぬほどこき使った過酷な労働で悪名高い泰緬鉄道の工事の様子を描いた横長の超大作。「○○方面」と地名が伏されているのは、おそらく秘密裏に工事が進められていたからだろう。マティスに学んだとは思えないリアリティに富んだ(つまり色もかたちも面白味のない)記録画。猪熊は生前、戦争画について語ることはほとんどなかったというが、例えば《長江埠の子供達》に比べれば気乗りがしなかったことはよくわかる。それでも描こうと思えば描けちゃうところがプロの哀しさというか。

2017/11/07(火)(村田真)

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