2018年09月15日号
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artscapeレビュー

ホー・ツーニェン『一頭あるいは数頭のトラ』

2018年03月01日号

会期:2018/02/11~2018/02/18

KAAT神奈川芸術劇場 中スタジオ[神奈川県]

国際舞台芸術ミーティングTPAMでシンガポール出身の映画作家/ヴィジュアルアーティストであるホー・ツーニェンの「自動化された影絵劇」、『一頭あるいは数頭のトラ』が「上演」された。東南アジアにおける人間とトラの関係を中心に置いた本作。“We are tigers, weretigers.”(我らはトラ、トラ人間だ)と歌うCGのトラの姿はユーモラスだが、構成は複雑かつ巧みだ。

観客は向かい合った二つのスクリーンに挟まれて作品を鑑賞する。二つのスクリーンを一度に視界に収めることはできない。観客は狭間に立ちながら、同時に二者択一を迫られる。鑑賞は常に、背後にもう一方の気配を感じながらのことになるだろう。そちらは映像を投射するプロジェクターの置かれた、つまり、起源の方向でもある。この構図は物語内でも反復される。トラ人間は月光を受けて真の姿を現わすが、月光は太陽光の反射でしかない。月と向き合うトラ人間の背後には、真の光源たる太陽が隠れている。

[撮影:前澤秀登]

作品を通して、起源は常に相対化、複数化されていく。それが最高潮に達するのが、スクリーンの背後から影絵芝居の人形が現われる瞬間だ。光の像たる映像に対し影絵は影の像であり、両者はともに光によってかたどられながら、その表裏は逆転した関係にある。光源は人形を挟んだ向こう側だ。観客がそれまで見ていたものは裏側に過ぎないのかもしれない。いや、この言い方も正確ではない。それが影絵芝居であるならば、観客の位置はそのままでいい。だが、人形がスクリーンなのだとしたら? 観客は向こう側に映る絵を見る術を持たない。複数の光源は複数の視点の存在を暗示する。そういえば、screenという単語には目隠しという意味もあった。

ホー・ツーニェンはこれまでにも同じモチーフを使った作品を繰り返し発表してきている。それもまた、起源を複数化する行為だ。複数の作品の記憶は鑑賞者の中で混じり合い、また新たな起源を創造するだろう。一頭のトラの背後には、複数のトラが潜んでいる。

[撮影:前澤秀登]

One or Several Tigers ( 2017 ) by Ho Tzu Nyen, courtesy of the artist

公式サイト:https://www.tpam.or.jp/program/2018/?program=one-or-several-tigers
参考URL(映像):https://aaa.cdosea.org/#video/w

2018/02/18(山﨑健太)

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