戸坂潤、林淑美編『戸坂潤セレクション』:artscapeレビュー|美術館・アート情報 artscape

2018年08月01日号
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戸坂潤、林淑美編『戸坂潤セレクション』

2018年04月01日号

発行所:平凡社ライブラリー

発行日:2018/01/10

戦前の日本を代表する哲学者・戸坂潤(1900-1945)の著作は、いまどれほど読まれているだろうか。治安維持法によって幾度も検挙・勾留され、敗戦のわずか6日前に獄死した戸坂は、その短い生涯にもかかわらず、科学論・技術論・空間論をはじめとする多くの著作を残した。他方、海外の受容を見てみると、従来どちらかと言えば傍流と見なされていた「風俗」や「日常性」を論じた戸坂のテクストに、むしろ注目が集まっているようである(この傾向はハリー・ハルトゥーニアン『近代による超克』[梅森直之訳、岩波書店、2007]によって決定的なものとなった)。しかしそれでも、近代日本におけるもっとも傑出した哲学者のひとりである戸坂潤の著作は、一般の読者にはほとんど読まれていないのではないか、というのが評者の偽らざる実感である(岩波文庫の『日本イデオロギー論』が長らく品切であることが、それを象徴しているように思われる)。

本書はその表題通り、戸坂潤の主要論文を束ねたアンソロジーである。もっとも古い「『性格』概念の理論的使命」(1928)から、晩年の「所謂批評の『科学性』についての考察」(1938)までの計26篇が、このたび文庫で読めるようになったことは誠に喜ばしい。論述の対象は、いわゆる歴史哲学から風俗現象をめぐる考察、さらには当時の近衛内閣や和辻倫理学への批判にいたるまで、じつにさまざまだ。これらすべてをひとりの哲学者が10年あまりのあいだに書いたという事実には、ただただ圧倒される(しかも、これらはあくまで著作のごく一部なのだ)。

内容はいずれも一級品である。当時の執拗な検閲をくぐり抜けてきた戸坂の文体はけっして近づきやすいものとは言えないが、その透徹した論理に躓かされることはほとんどない。ゆえにどこから読み進めても差し支えないが、はじめての読者には、序盤の「日常性の原理と歴史的時間」(1931)や「『文献学』的哲学の批判」(1935)を薦めたい。これらに目を通せば、しばしば現在性、実際性、時局性、などと言いかえられる戸坂の「アクチュアリティー」という言葉について、おおよそのイメージをもつことができるのではないかと思われる。

「アクチュアリティー」とは何か。それは「日々の原理」であるというのが、おそらくもっとも簡潔な答えである。戸坂が考える時間の本性とは「時代(Zeit)」であり、それはある抽象的な時間ではなく、歴史的な「刻み」を入れられた歴史的時間のことである。そして私たちはこうした歴史的時間のなかに生きている。そうである以上、時代に「刻み」を入れるのは私たちの「日常」を措いてほかにない。事実上、時代に性格を与えるのは政治だが、その根本において時代を支配しているのは、私たちが生を営んでいるこの「日常性」の原理なのだ──「日々の持つ原理、その日その日が持つ原理、毎日同じことを繰り返しながら併し毎日が別々の日である原理、平凡茶飯事でありながら絶対に不可避な毎日の生活の原理、そういうものに歴史的時間の結晶の核が、歴史の秘密・・が、宿っているのである」(傍点ママ、本書70頁)。

戸坂の著作を貫いているのは、こうした「日常」への、あるいは「アクチュアリティー」への切迫した眼差しである。政治であれ学問であれ、「アクチュアリティー」への意識を欠いた仕事に対する戸坂の追撃は容赦がない(とはいえ、そうした切迫ないし徹底性が彼の生を著しく縮める結果になったのは痛ましいかぎりだが)。本書は、そうした「アクチュアリティー」を求めつづけた哲学者の闘争を現代に甦らせるべく、適切な編集と校訂によって編まれた一書である。

2018/03/11(日)(星野太)

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