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太宰府天満宮アートプログラムvol.10 ピエール・ユイグ 「ソトタマシイ」

2018年04月01日号

会期:2017/11/26~2018/5/6

太宰府天満宮[福岡県]

福岡県美でやってる「中村研一展」を見に行くんだけど、それだけじゃもったいないので「近くでなにかやってないかな」と探してみたら、太宰府天満宮の境内でピエール・ユイグが作品を展示しているではないか。太宰府でユイグというミスマッチが楽しみだが、屋外作品なので雨が降り次第公開中止になるという。今朝の福岡の天気予報は降雨の確率50パーセント、朝早くに羽田を発って太宰府に着いたときはどんよりとした曇り空。公開開始の11時に駆けつけたのでなんとか見られたが、昼すぎから降り始めたため公開中止になったとさ。危なかった。この太宰府天満宮アートプログラムという企画、2006年に始まって今年で10回目。なぜ太宰府で現代美術かというと、神社は文化の守り手であり、歴史と未来が出会う「広場」であるべきと考えるからだ。なるほど、日本には10万を超す神社があるそうだから、そのすべてが同じ考えをもってくれたら世界屈指のパトロンになるのにね。「ジンジャート」なんてね。

ユイグの作品は思ったより大がかりなインスタレーション。天満宮の奥にある小高い山のてっぺんを整地し、四角い池を掘って睡蓮を浮かべ、金魚を放ち、アメリカでモダンアートを学んだ戸張孤雁の彫刻《淵》を置き、その頭部に蜂の巣をのせ、蜂が授粉する梅や橙の木を植えている。彫刻に付着した蜂の巣はドクメンタ13にも岡山芸術交流にも出ていたユイグの専売特許だが、睡蓮はいうまでもなくモネのジヴェルニーの庭を、梅は菅原道真を追いかけて飛んできたという飛梅を連想させる。古今東西の文化をツギハギした空間になっているのだ。いやーおもしろい。境内は人があふれているのに(韓国人と中国人が多い)、ここまで入ってくる人はほとんどいないので静かに作品と向き合える。奥の目立たない場所に大きな立方体の箱が置いてあって、最初これも作品かと思ったが、どうやら夜間および雨が降ったときに彫刻をしまう収容ケースらしい。裏方も大変だ。

境内美術館

太宰府天満宮アートプログラムにはこれまで日比野克彦や小沢剛らが参加してきたが、そのうちライアン・ガンダーとサイモン・フジワラの2人の作品7点が境内のあっちこっちに残されているので見て歩いた。池に囲まれているという想定で(実際は砂利が敷きつめられている)浮殿と呼ばれる社の内部をのぞくと、ライアン・ガンダーの《本当にキラキラするけれど何の意味もないもの》が鎮座している。これは金属部品に覆われた球体状のオブジェで、中心にある磁石の力によって引き寄せられているそうだ。このように中心にあるけど見えないものに引き寄せられる現象は、神を信じて集まるわれわれと似ていないかと問うているのだ。同じ作者の《すべてわかったⅥ》は、芝生に置かれた大きな岩の上部に人が座った跡が残っているもの。ロダンの彫刻《考える人》が考えに考え抜いて「すべてわかった」後に立ち去ったという設定だ。

宝物殿の前に放置された白い椅子は、サイモン・フジワラの《歴史について考える》という作品。なんでこんなところにチープな椅子を置くのか理解に苦しむが、実はこれブロンズ製だという。椅子は見かけによらないものだ。幼稚園の向かいの池のほとりに据えられた《時間について考える》という作品は、岩の表面に幼稚園児の手をのせてスプレーで吹きつけ、手形を残したもの。これは先史時代の手形(ネガティブ・ハンド)をわれわれ現代人が見るように、1万年後の人類が不思議な思いでながめるかもしれない。なんでこんなところに手形を残したんだろう? と。まさかワークショップの賜物とは思うまい。いやあ作品探しも含めて、ナゾ解きの楽しみを味わうことができました。

2018/03/03(村田真)

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