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戦後美術の現在形 池田龍雄展—楕円幻想

2018年06月01日号

会期:2018/04/26~2018/06/17

練馬区立美術館[東京都]

今年の終戦記念日に90歳を迎える池田龍雄の回顧展。今日は連休最終日の日曜の真っ昼間だっちゅーのに、館内はガラ空きで見やすいったらありゃしない。展示は、戦争に関連した作品を集めた第0章「終わらない戦後」から始まり、1950-60年代の政治色の強いルポルタージュ絵画が中心の第1章「芸術と政治の狭間で」と、第2章「挫折のあとさき」、オブジェ、パフォーマンス、ポスターなど現代美術に接近した60-70年代の第3章「越境、交流、応答、そして行為の方へ」、科学および仏教的世界観に触発された第4章「楕円と梵」、そして90年代以降の旺盛な制作を紹介する第5章「池田龍雄の現在形」までの6章立て。

あらかじめミもフタもないことをいってしまうと、第0章が一番おもしろく、章が進むにつれ退屈になる。比較するのもなんだが、これは先週、栃木で見た「国吉康雄と清水登之」展の逆で、要するに戦争がいつ、どれだけ作者に関与したかの問題だ。国吉と清水が戦争に関与したのは人生の終わりのほうで、だから展覧会も終盤に近づくにつれ盛り上がっていくのだが、池田はその出発点で特攻隊員の訓練を受けるというのっぴきならない体験をしてしまったため、それを超える主題が見つからないままずっと引きずってきたわけだ。もうひとつ余計な比較をすると、2週間前に見た池田と同年生まれ(1928年)のベルナール・ビュフェも、やはり戦後まもない時期に光り輝いたものの、時代が平和になるにつれ芸術的には後退していく。池田の場合ビュフェと違って技法やスタイルを次々と変えてきたが、それでも作品の成熟度が増していくのに反比例してインパクトが薄まっていく感は否めない。

同展で一番インパクトがあったのは、第0章の1954年に描かれた《僕らを傷つけたもの 1945年の記憶》という作品。画面右上に飛び去る戦闘機、下にはたくさんの日本人が倒れている図で、1人は空に向かって竹槍を突いている。「敗戦記録画」と呼ぶにふさわしい絵だ。同じ0章の最後には、若い女性を写実的に描いた《ポートレート(きぬこすり)》がポツンと展示されているが、これは朝鮮戦争に出撃する米軍兵士の土産物として描かれたもの。「きぬこすり」というのは絹地に絵具をこすりつけてリアル感を出したからだろう。かつて五姓田芳柳らが、横浜に来航した外国人の土産物として描いた「横浜絵」を思い出す。どちらも金稼ぎのためというから、日本の画家はいざとなれば昨日の敵を相手に商売していたわけだ。

蛇足だが、出品目録を見てひとつ気になったのは、60年代までの作品の大半は全国の国公立美術館にコレクションされているのに、70年以降の作品はほとんどが作家蔵となっていること。売れる売れないの問題なのか、それとも作者が寄贈しているのか。買ってやれよ。

2018/05/06(村田真)

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