2018年09月15日号
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artscapeレビュー

KAAT×地点 共同制作第8弾『山山』

2018年07月01日号

会期:2018/06/06~2018/06/16

KAAT神奈川芸術劇場 中スタジオ[神奈川県]

かつて美しい山の麓に暮らしていた家族が「あの日」以来の帰還を果たすと、そこには汚染されたもうひとつの山が出現していた。家族4人に作業員、アメリカ製の作業ロボットと彼らを使う社員、そして「あの日失われた場所に取り残されたあの山山」を観光するために東京から訪れたカップル。松原俊太郎の戯曲(『悲劇喜劇』2018年7月号掲載)は演出家・三浦基の手で寸断/再構成され、戯曲とはまた異なる風景を舞台上に出現させる。群れのように行動する俳優たちから登場人物個々の人格を切り出すことは難しい。異なるはずの立場は半ば溶け合っている。俳優たちの身ぶりや発話が言葉にまた新たな意味の層を追加し、観客が唯一の正解にたどり着くことはない。だがその根底には怒りがある。

舞台美術(杉山至)の巨大な斜面は観客の立ち位置を問い直す。舞台中央でV字を描く斜面は舞台奥から客席に向かっても傾斜している。それは巨大な滑り台のようであり、ひっくり返った家の屋根のようでもある。磨き上げられた斜面に映り込む俳優たちは鏡の中で反転した谷、つまりは山に立ち、そこはしかし水面下の世界のようにも見える。俳優はその頂上部から顔を覗かせ、斜面を滑り、ところどころに立つ柱のようなものに掴まり寄り集まっては言葉を発する。V字をなす斜面のそれぞれが山、山だろうか。あるいはV字が客席に向けて傾斜していることを考えれば、向かい合う階段状の客席こそがもうひとつの山なのだということになるのかもしれない。それはつまり私のいるこの場所だ。二つの山が谷をなす。汚染された山山に暮らす人々になまはげの衣装(ウレット・コシャール)を着せた意図は明白だ。なまはげはその異形に反して厄払いの役割を担っている。「私は鬼ではありません。私は人間です」。そこは切り離された彼岸ではない。言葉を発する行為は自らの足元を確かめる運動と不可分だ。下り坂で抵抗を続ける彼らは他人事を語るのではない。

7月には同じく劇作家・松原俊太郎と地点がタッグを組んだ『忘れる日本人』のツアーも控えている。7月13日(金)から愛知県芸術劇場、18日(水)からロームシアター京都にて。

[撮影:松見拓也]

公式サイト:http://www.chiten.org/

2018/06/06(山﨑健太)

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