2018年12月01日号
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artscapeレビュー

ミュンヘン・カンマーシュピーレ『NŌ THEATER』

2018年08月01日号

会期:2018/07/06~2018/07/09

ロームシアター京都 サウスホール[京都府]

ミュンヘンの劇場・カンマーシュピーレからレパートリー作品の委嘱を受けた岡田利規が同劇場の俳優とともにつくり上げた本作は、能の形式に乗っ取り、「六本木」「都庁前」と題された二番の能と、その間に上演される狂言「ガートルード」によって構成されている。「六本木」には飛び込み自殺をした金融マンの亡霊が、「都庁前」には都議会で「お前は子ども産めないのか」と野次を浴びた女性議員の生霊(彼女は「フェミニズムの幽霊」と呼ばれる)が登場し、現代日本に対し警鐘を鳴らすような内容となっている。

いずれも現在の日本の現実を元に書かれた作品であることは明らかだが、忘れてはならないのは、この作品がドイツの劇場のレパートリーとしてつくられたものだという点だ。『新潮』7月号に掲載された戯曲はもちろん日本語で執筆されているが、それは客席の多くをドイツ人が占めるであろう劇場での、ドイツ語を話す俳優による上演を想定したものなのだ。日本でのギリシャ悲劇の上演のようなものだろうか、と考えてゾッとした。

ギリシャ悲劇が描くのははるか昔、いまはもうない「国」での出来事だ。レパートリーとして今後も上演されていくはずの『NŌ THEATER』が、そのようなものとして受け取られる日が来ないとは言い切れない。それどころか、すでにして多分にフィクショナルなものとして受け取られている可能性もある。

ドイツから来た俳優たちが演じる「日本」は、確かに日本で起きた出来事を元にしてつくられたもので、それは日本に生きる私には現在形のストレートな糾弾として響いた。しかし同時に、ドイツ語で演じられる「日本人」はあからさまにフィクショナルでもあり、発せられるドイツ語が日本語話者に向けられたものではないことも確かだ。『NŌ THEATER』という作品それ自体が、あらかじめ過去からの亡霊として書かれているのではないか。そんな予感に、作品に漂う滅びの気配がよりいっそう身に迫るものとして感じられた。

[撮影:井上嘉和]

公式ページ:https://rohmtheatrekyoto.jp/program/7856/

2018/07/08(山﨑健太)

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