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高橋睦郎『つい昨日のこと』

2018年10月15日号

発行所:思潮社

発行日:2018/06/25

この詩人のよき読者にとっては周知の事柄に属するが、高橋睦郎にとって「ギリシア」というトポスはこのうえなく重要なものだ。その片鱗をうかがい知るためには、さしあたり『聖という場』(小沢書店、1978)や『詩人が読む古典ギリシア』(みすず書房、2017)といった散文・評論を紐解いてみるとよい。しかし、いささか意外なことにも、その一冊がまるごとギリシアに捧げられた詩集は、じつのところ本書がはじめてである。

本書には、「つい昨日のこと」と題された151の書き下ろしの詩篇に加えて、過去に詩誌に発表された「殺したのは」「異神来たる」「家族ゲーム」の3篇が収録されている(それぞれ哲学者ソクラテス、オリュンポスの神族、そして暴君ネロが主題)。詩人本人とおぼしき人物の回想はもとより、古代ギリシアの神々や、かつてギリシア・ローマに実在したさまざまな人物の口を借りて、2500年以上もの歴史をもつ「ギリシア」のさまざまな顔が、150あまりの詩を通じてにわかに浮かび上がる。しかし急ぎ付け加えておかねばならないが、本書は必ずしも実在の「ギリシア」を舞台とした作品なのではない。強いて言えばそれは、時代も、場処も、性や人称さえも渾然一体となった、「ギリシア」なるトポスをめぐる一大叙事詩とでも言えようか。

本書は、現在80歳になるこの詩人の膨大な詩業の「総決算」(180頁)でもある。表題は、呉茂一訳『ギリシア抒情詩選』を通じて古代ギリシアと出会った13歳の頃、あるいはその後はじめて同地を訪れた31歳の頃の記憶が、「つい昨日のこと」としか思えないという実感に由来するものであるという。ただし、本書のあとがき(「私とギリシア あとがきに代えて」)で明かされているように、この書名にはまた、「ソクラテスがこの辺りを歩いていたのはつい昨日のことだ」というケネス・ドーバーの含蓄ある言葉が反響している(『わたしたちのギリシア人』久保正彰訳、青土社、1982)。果たして、本書ではまさに、古代ギリシアの神話・哲学・文学のさまざまなエピソードが、まるで「つい昨日のこと」であるかのような生々しい光景として出来しているではないか。それを可能にしているのは、東西のあらゆる文学に通じた、この詩人の類稀な「語り/騙り」の力だ。冒頭、「一九六九年初夏」から「前三九九年四月二十七日」へ、すなわち20世紀から前4世紀への2500年の距離を悠々と飛び越える、このようなスケールの詩を現代日本語で読みうるという事実には、ただただ驚嘆するほかない。

そんな圧巻の詩集からひとつ。異神イエス・キリストに取って代わられんとするオリュンポスの神々の口を借りた「異神来たる オリュンポス神族が言う」より、次の5行を引いておきたい──「や これは何だ この両の蹠(あしのうら)の踏み応えのなさは?/脛にも 腿にも 両の腕(かいな)にも まるで力が入(はい)らない/それに 鼻から 口から 吸い込む息の この稀薄さは?/目を凝らせば 周りの男神(おがみ)が 女神(めがみ)が ぼやけていく/ということは 見ているこの身も 薄れていくのだな」(164頁)。

2018/10/08(月)(星野太)

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