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吉村芳生 超絶技巧を超えて

2019年01月15日号

会期:2018/11/17~2019/01/20

東京ステーションギャラリー[東京都]

ひたすら同じこと、意味のないことを繰り返したり、恣意性を排した機械的作業に身を委ねる。モダニズムが行きつくところまで行きついて閉塞状況に陥った70年代、こうしたシジフォスのごとき単純労働を自らに科した作家は少なくない。いわば表現しないことを表現した「非表現主義」。吉村芳生は、徹底した恣意性の排除とシステマティックな制作方法においてその代表格といえるだろう。

初期の作品《ドローイング 金網》は、紙の上に金網をのせてプレス機にかけ、紙に写った跡を鉛筆でなぞり、陰影をつけて立体感を出したもの。まあこれだけなら驚かないが、それを何度も繰り返して全長17メートル、網目の数は約1万8千個におよんだというから、「バカじゃないか」と感心する。なにげない風景写真を模写した《ドローイング
写真》シリーズは、モノクロの風景写真を紙焼きして格子状にマス目を引き、1マスごとの濃淡を10段階に分けて数字を記入。その数字を方眼紙に書き写し、上から透明フィルムを重ねて数字の本数だけ線を引いて濃淡を表わしたもの。アナログな画像をいったんデジタル化して再度アナログ化するわけだが、その作業自体がアナログ極まりないのだ。ほかにも、新聞紙を一字一句もらさず丸ごとそのまま原寸大に書き写した《ドローイング
新聞》シリーズ、1年のあいだ毎日セルフポートレートを撮り、それを鉛筆で描き写した《365日の自画像》など、常軌を逸した作品ばかり。

しかし70年代にこれらを見せられても、それほど驚くことはなかったに違いない。ミニマリズム、コンセプチュアリズムが生んだ一種の奇形的表現として受け止められただろう。吉村の真に驚くべき点はそんな作業を40年近く、63歳で死ぬまでずっと続けたことにある。70年代が終わって80年代に表現主義の季節が訪れると、多くの作家は呪縛が解けたように「表現」に戻っていったが、吉村は色こそ加えたものの時流に流されることなく、ただ機械的に写し取るだけという自らの手法に固執し続けた。なぜそんなことができたのか?
 ひとつには、おそらく彼が人生の大半を故郷の山口県ですごし、余計な情報に惑わされることが少なかったからだろう。もうひとつは、カタログに載っていた彼自身の言葉に示されている。


「僕は小さい頃から非常にあきらめが悪かった。しつこくこだわってしまう。僕はこうした人間の短所にこそ、すごい力があると思う」

芸術とは才能ではなく、こうしたある種の偏った性質に宿る。金網のドローイングも、新聞の模写も、「365日の自画像」も、個々の作品から受ける感動は実のところ「こんなバカなことに多大な労力をかけて」という平面的な感動にすぎないが、そこに何十年という垂直の時間軸が重ね合わされて、立体的で重量感を伴う感動を与えるのだ。最晩年、彼は花の絵を例によってマス目を埋めるように色鉛筆で塗っていたという。絶筆はコスモスの花の絵。画面の5分の4は花が咲き乱れているのに、右端の5分の1ほどがマス目ごと空白のまま残されている。持続していた生が突如中断される死を、これほど鮮明に示してくれる絶筆も少ない。


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