artscapeレビュー

菊地宏《大泉の家》

2009年03月15日号

[東京都]

竣工:2009年
プロデュース:大島滋(Aプロジェクト)

新築としては菊地宏の処女作。学生時代からずっと注目していた人で、この人の建築を見ることはとても楽しみにしていた。都内の私鉄の線路沿いという敷地。もともとハウスメーカーへの依頼があったのだが、敷地が三角形で規格住宅の建ちにくい場所。設計条件として簡単ではない。そこでAプロジェクトの大島氏から菊地氏に依頼が来たという。直角三角形の鋭角の部分は駐車場、残りの部分を利用して、三階建てのヴォリュームが立ち上がっている。赤茶色の外壁と斜線による屋根の傾斜、さらにいくつかの形態操作によって、何か岩のようなものが立ち上がっているような印象を受ける。菊地がヘルツォーク&ド・ムーロン事務所出身であることと線路沿いという条件から、《シグナル・ボックス》を思い出す人もいるかもしれない。確かにそのたたずまいは似ていなくもない。しかしスケールや用途は全く異なっており、菊地独自の思考と解法が随所に現われているように思えたのが印象的だった。
この住宅の特徴としてまず「色と開口部」を挙げることが出来るだろう。壁は基本的に白色だが、各階にそれぞれ特徴的な色をもった壁が存在する。一階のLDKの奥には若草色、二階には落ち着きのある赤とスカイブルー、そして一見分からないほど薄いグレー、三階には映えるようなオレンジ色に塗られた壁がある。一階から三階に上がるシークエンスのなかで、彩度の強い色は、緑、赤、青、橙という順にほぼ補色の関係として現われることで、それぞれの色が強調されるという。おそらくそれぞれの色は、周囲の環境を注意深く観察することで選択されているのだろう。ところでスカイブルーの隣の薄いグレーの壁は、設計者本人から言われるまで気付かなかった。それくらい淡い色である。しかし気付く必要はないという。なぜならこの色は存在を主張するわけではなく、隣のスカイブルーをわずかに浮き上がらせるために必要だったというからである。おそらく生活する環境の中で、長く使っているうちに意識にのぼるかのぼらないかというような微妙な感覚に作用する壁である。少なく限定された開口部は、色と関係しているだろう。線路のすぐそばという条件から、防音のために開口部が制限される。しかしそれ以上に、内部と外部との関係を最小限に保ち、色の効果を高めている。その結果か、まるで壁から空間に色がにじみ出してくるような感覚を覚えた。
もう一つの特徴として「階段と形態」を挙げたい。「くの字」に折れ曲がった階段によって、のぼる時、降りる時に、先が見えないという効果が生み出されている。しかし180度向きを変える折り返し階段だと先が完全に見えないのに対して、「くの字」階段はまったく先が見えないわけではない。奥があるけれども先がよくは見えないことによって、奥行き感が生み出され、各階の結びつきにワンクッションを置いている。三階建ての住宅であるが、僕にはこの住宅が、一階から三階に、そして三階から五階に、つながっているかのように思われた。ところで、この階段の位置によって、この住宅の外観には鈍角の凹部がつくられている。菊地によればこの凹んだ形態は、本来、岩石など自然の形態には現われるのに、建築のスタイロフォームなどによるヴォリューム・スタディでは現われにくい形態であるという。この住宅ではそのようないわば「自然な形態」が使われている。プランをよく見ると、一階のキッチン部分にも「くの字」の形態が、そして不定形なバルコニーの形態にも、あるいは断面の形状にも、実は「くの字」が反転して現われていることに気付く。こうすることによって、鋭角の敷地のとんがった「鋭角性」というものは、いつの間にか、優しく、自然な形態をともなった「鈍角性」へと置き換えられていっている。
外観を見ると、線路の脇にまるで巨大な岩石がずっと前から存在していたかのようにも見える。外部と内部は、見かけ上、別々のように見えるけれども、必要な部分が必要に応じて連続的に考えられている。コンセプトがあるけれども、コンセプトで押し通しているわけではない。新築住宅として菊地の処女作であるはずなのに、つくることの先の先まで読んでいるかのような、素晴らしい住宅であると思った。

2009/01/25(日)(松田達)

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