artscapeレビュー

快快『Y時のはなし』

2010年04月01日号

会期:2010/03/04~2010/03/06

VACANT[東京都]

夏休みの学童保育。フリーターの指導員(男)と小学校教師(女)、2人の小学生が主たる登場人物。後でわかるのだが、小学生の1人は里子としてここに来ている。人形と役者とが交替して彼らを演じるのは、本作のもととなった小指値時代の作品『R時のはなし』と同様。今回際だっていたのは、登場人物たちがひとつの場に集いながらも別々の人生の進路を生きているように、その役を語る者たちに関しても別々のレイヤー上にある者たち(人形、役者)が交差しながら物語を展開させているということ(ところで、ぼくが観劇した日にトークゲストとして招かれていた坂口恭平がまさに「レイヤー」をキーワードに公演の感想を話していたのは印象的だった)。複数のレイヤーが重なりあってぼくたちの社会やぼくたちの認識が出来上がっていることを快快は演出の方法を通して伝えてくれる。きわめてポップなそのやり方をぼくは「あて振り」と称したことがある(『Review House 01』にて)。例えば、学童保育のカレーパーティでビンゴ大会が行なわれた模様を指導員が語ろうとすると途端に彼はビンゴマシーンに変貌し、口から勢いよくピンポン球を飛ばし次々と番号を告げてゆく。「ビンゴマシーン」は通常の演劇ならば、台詞のなかでその言葉が発せられるだけだろうし、物語を伝える仕事としてはそれで充分かもしれない。表象する必要が必ずしもない「ビンゴマシーン」を快快はあえて表象する。この「あえて」の感じが楽しい。けれど、複数のレイヤー(つまり、台詞のレイヤーと遂行のレイヤー)がなにゆえに並列しているのかというポイントに演劇的なトライアルが仕組めるはずであり、だとすればレイヤーの交点でどんな接触の火花が起こりうるのかと期待したが、その仕掛けをぼくはうまく感じとれなかったようだ。無駄に(?)「あえて」遂行するそのサーヴィス精神には、ともかくも毎度ながら感動させられる。なんだかアジアの伝統的な村祭りで人形芝居を見ている時のような気持ちになった。作品上演はもちろん、手作りの料理を振る舞ったりDJプレイや音楽演奏の企画も並べたりととても賑やかな快快の公演は、東京という村の一種の村祭りと見てみることもできる、などと思わされた。

2010/03/04(木)(木村覚)

2010年04月01日号の
artscapeレビュー