artscapeレビュー

大橋可也&ダンサーズ『春の祭典』

2010年06月01日号

会期:2010/05/14~2010/05/16

シアタートラム[東京都]

冒頭に、スーツ姿の大橋可也が頭にミッキーマウスの(『ファンタジア』の魔法使いの)帽子をかぶって登場したときには、思わず爆笑してしまった。そうかそうきたか、と。大橋=ミッキーが指揮棒を振る。次に、彼に似た格好の男を呼び出し、帽子を被らせ同じような振る舞いをさせると、50人近い人々が舞台空間に登場した。彼らは耳にイヤフォンをしていて、シンプルな振りを(恐らく)耳からの指令で実行してゆく。大橋作品の特徴として、振付家=指令者(大橋)を舞台上に登場させる(ないし意識させる)ところがある。大橋はたいていの公演で上演の最初と最後に出てきて観客に「はじめます」「終わりです」と挨拶する。またその間は観客に見える場所から舞台を監視していることが多い。大橋作品が多くのほかのダンス作品と比べてクールで現代的な面があるとすれば、「誰がこの場の支配者なのか」という問いを作品の一部にしてきたところだろう。今回、その大橋がミッキーに化けて出てきた。現代のエンターテインメントにおける最強の魔法使いこそ、大橋の想定する闘争相手というわけだ。50人近い人々はやがてしかばねのように倒れ、大橋たちに片付けられると、今度はグループ・メンバーたちによる舞台がはじまった。日常から切り取ってきたような短い動作は、見る者の個人的/集団的な記憶を呼び覚ます。そうした動作があちこちででたらめに展開しているようで、不意にはっとするようなコンポジションをうみだしもする。無精ヒゲの男が次々と人々を襲ってゆく場面などもあり、まさに(秋葉原通り魔事件の)記憶の断片をまさぐられている気がした。ラストでは、支配者である大橋が犠牲となって集団リンチをうける。いまの日本お得意のリーダーを叩くお祭り? とはいえ、場のルールを設定する立場としての支配者を社会や舞台から追放すればそれでよし、とは簡単にはいえまい。むしろ見る者の記憶にアクセスしその浄化を画策するかに見える大橋的魔法使いと、記憶の忘却をはかり空想へと見る者を誘うミッキー的魔法使いとの闘いこそ焦点となるべきだろう。その闘いのドラマの片鱗は本作で見えた気がした。

2010/05/15(土)(木村覚)

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