artscapeレビュー

シベリア少女鉄道スピリッツ『もう一度、この手に』

2011年02月01日号

会期:2011/01/06~2011/01/16

王子小劇場[東京都]

伏線の名手・土屋亮一の脚本が冴え渡った一作。過去作品の抜粋を含めた8本のショートが暗転を挟んでつながる。例えば、冒頭。義母兄妹たちが父の死後、思い出の別荘に集う。妹への嫌悪が父の遺骨箱に向けられると、箱は恐ろしいほどあっけなく床に放り投げられた。突拍子のない振る舞いが繰りかえされる度に、なぜか兄たちはトークを強要される。あ、これは「ごきげんよう」だ!と気づく。遺骨箱はサイコロへ、悲劇は喜劇へ転がった。さて、こうしたコントが淡々と続くかと思いきや、8本のショートはひとつの大きな物語へ収斂してゆくことになる。それは「役」たちの物語というより「役者」たちが各人の抱える状況を克服してこの上演を成功させる物語。例えば、ある役者は「今回初舞台(故に、緊張している)」。ある役者は「劇団ヨーロッパ企画からの客演で京都出身(故に、関東の笑いに戸惑う)」。ある役者は「整形手術をした元男性(故に、女優として自信がない)」。ある役者は「アンドロイド(故に、ぎこちなく8種類の所作しかできない)」。設定は半分リアル、半分架空で、個々の役者は「ショートの役」のみならずこの「設定された役者像」も演じていたわけだ。状況をたくみに伝える町田マリーのナレーションも相まって、目の前の「ショート芝居」がじつは「役者のリアルストーリー」を語る手段でしかなかったことに観客は気づかされる。いや、もっと大事なのは、ショート芝居が伏線を語る手段であったことだ。前半に散りばめられていたぎこちない演技。それは「アンドロイド」故、「初舞台」故、「女優として自信がない」故のこと。忘れそうなほど些細な「変な事態」を思い出させ、見る者にダイナミックな時間の往還をうながす、そこが伏線の魅力。いや、伏線という武器の力は、おかしな所作や状況を「手段」という名目のもとに舞台上で生き生きと展開しうる点にこそありはしないか。前半のあるショート、篠塚茜が話すときのもじもじとした不思議な動きは、「自信がない女優」という伏線を知らなくても充分に魅力的で、ほとんどダンスといってもよいものだった。

2011/01/24(月)(木村覚)

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