artscapeレビュー

シー・シー・ポップ『TESTAMENT(遺言/誓約)』

2011年03月01日号

会期:2011/02/19~2011/02/20

神奈川芸術劇場[神奈川県]

題材はシェイクスピアの『リア王』。ただし、戯曲をそのまま上演するのではなく、リハーサルの光景が再現されなどしながら「演劇をめぐる演劇」が舞台で展開される。しかもたんにメタ演劇というだけではない。本上演の肝は、三人の娘たちに領土を譲り渡す王の物語を演じるのが、戯曲の役柄と似た境遇にある本物の親子だということで、まず思ったのは、役者と役柄の反省的な関係が仕掛けとしてうまいな、ということだった。リタイア族の父親三人は舞台脇のソファーに鎮座し、ムービーカメラが彼らをとらえると肖像画のようなイメージを舞台奥に映す。その前で、若者たち(といっても外見からして30代)四人はスタンドマイク越しに父親への積年の不満を噴出させ、戯曲と絡めながら相続と介護をめぐる不安と恐れを代わる代わる口にしてゆく。元の戯曲にあるはずの劇的カタルシスは消失し、演劇(ドラマ)は生々しい現実の生活(リアル・ストーリー)へ引きずり込まれてゆく。ドイツの劇団シー・シー・ポップは、こうして今日の日本でも盛んに論じられている世代間格差の問題を照らし出す。ドイツも日本と同様に世代間の(とくに経済的)格差ははなはだしいようだ。ジェンダーに関する見識の違いにもしばしば話題がおよぶ。本物の親子はもちろん世代の異なる役者たちが舞台をつくるなんて、日本ではなかなか見られない光景である(チェルフィッチュの役者山縣太一が家族と組む山縣家は希有な例だろう)。さいたまゴールド・シアターとチェルフィッチュが共作するのを想像してみても異様だが、さらにその二組が肉親なのだ。相続と介護の現実に向き合う親子の思いはずれ、そのこっけいさは笑いを誘うが、状況はシビア。やがて父親たちは衣服を脱がされ(それにしても、なぜヨーロッパの舞台表現では「裸になること」がかくも重要な表現行為になっているのだろう)、老いたからだを観客にさらし、しまいには棺桶に入れられる。「きついな」と思わされるが、深刻な決裂へ至ることなく、最終的に親子は互いに許しの言葉を交わすことになる。この流れに寄与した最大の調停役は歌で、一緒に歌うことを通して親子はかりそめの和解に達する。そうして現実の生活はミュージカルの様相を呈し、舞台はハッピーエンドを迎えるのだが、それが可能なのは、裕福なヨーロッパの国の家族だからであろうし、なかでも中流以上の家庭の話だからだろう。この舞台が他の国の家族によって上演されたらこうはいかないはずだと思うと、それが可能なドイツという国がひとつのローカルとして浮かび上がってもくる。ちなみに本作は、世界の演劇シーンを紹介するイベント「世界の小劇場 Vol. 1 ドイツ編」の一本である。

2011/02/20(日)(木村覚)

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