2018年04月15日号
次回5月15日更新予定

artscapeレビュー

高嶋慈のレビュー/プレビュー

キュレトリアル・スタディズ12:泉/Fountain1917 2017 Case 3:「誰が《泉》を捨てたのか Flying Fountain(s)」

会期:2017/08/09~2017/10/22

京都国立近代美術館 4Fコレクションギャラリー[京都府]

男性用便器を用いたマルセル・デュシャンによるレディメイド《泉》(1917)の100周年を記念した、コレクション企画展。再制作版(1964)を1年間展示しながら、計5名のゲスト・キュレーターによる展示がリレー形式で展開される。「Case 3: 誰が《泉》を捨てたのか Flying Fountain(s)」は、京都国立近代美術館の元学芸課長、河本信治の企画。タイトルの「Fountain(s)」の複数形が示唆的だ。《泉》のオリジナルはアンデパンダン展で出品拒否された上、現存しないが、アルフレッド・スティーグリッツが撮影した《泉》の写真は広く流通し、後年には複数のバージョンのレプリカが再制作されている。本展では、複製イメージと複数バージョンのレプリカ(もしくはそれに近似した市販品)を用いて、「オリジナル」及びレプリカが提示された各状況がパラレルに「再現」された。
それぞれの「再現」に用いられたアイテムと状況は以下の4ケースである。1)オリジナルを撮影した唯一の写真と言われる、スティーグリッツ撮影の写真。《泉》擁護の記事とともに、雑誌『ザ・ブラインドマン 第2号』に掲載された。本展示では、所蔵品である雑誌そのものではなく、あえて複写した「コピー」を壁に掲示。画像としての拡散性や流通性を強調した。2)デュシャン研究者で画商のアルトゥーロ・シュヴァルツが、1964年に再制作したレプリカ。デュシャンの監修の下、スティーグリッツの写真に基づき図面を作成し、「オリジナルに最も近い」と言われる。このシュヴァルツ版を用いて、「オリジナルがアンデパンダン展会期中、仮設壁の後ろに隠されていた」状況が再現された(展示室のガラス壁面の前を仮設壁で覆い、「バックヤード」を模した空間にひっそりと展示)。3)ニューヨークの画商であったシドニー・ジャニスの勧めで、1950年に再制作されたレプリカ。ジャニスがパリの蚤の市で購入した小便器に、デュシャンが署名し認定した。このジャニス版は、スティーグリッツの写真とは明らかに形態が異なる。所蔵先は他美術館であるため、今回の展示では、近似した市販の小便器を代替品に用い、ジャニス版が出品された1953年の展覧会「Dada, 1916-1923」の記録写真を参照して、展示状況を再現した。台座の上に彫刻的に設置するのではなく、展示室の入り口上部に90度傾けて設置されている。4)もう一台購入した同型の市販製品を代替品として用い、1917年頃に撮影されたデュシャンのスタジオの写真を参考に、彼がレディメイドをどのように提示していたかを再現する。《泉》の他に数点のレディメイドが天井から吊られ、壁に影が投影されている。
このように本展では、1枚の写真と3点のレプリカ(及びその代替品)を用いて、《泉》が提示された複数の状態──展示拒否/雑誌への写真掲載=イメージの固定化と画像としての再生産/再制作としての反復とオリジナルからの逸脱/スタジオでの様態というもう一つの可能態──を同一空間にパラレルに共存させている。それは、資料や記録写真に基づいて状況を検証するという実証的な手続きを取りつつ、複写や再制作という反復の身振りそれ自体を繰り返し、それぞれの個別性と差異を際立たせることで、物理的同一性に基づく「オリジナル」神話の解体、ひいてはそれを制度的に保証する美術館という枠組みに揺さぶりをかけていた。あるいは、《泉》を単一の起源に還元するのではなく、さまざまな歴史的段階における複数の現われとして捉え、それら相互の差分を計測すること。そうした脱中心化に、本展のキュレトリアルな意義がある。


会場風景

2017/08/26(土)(高嶋慈)

笹川治子「リコレクション─ベニヤの魚」

会期:2017/08/25~2017/09/17

Yoshimi Arts[大阪府]

笹川治子は、祖父が陸軍の特攻隊に送られた時の証言や資料をもとに、彼が目撃したというベニヤ板製の人間魚雷を制作している。ツギハギだらけで今にも壊れそうなベニヤ製魚雷の周囲の壁には、取り巻くように海辺や島の写真が(上下反転して)貼られている。これらの写真は、広島県の似島、江田島幸ノ浦、香川県の豊浜、小豆島など、陸軍の訓練施設があったといわれる場所を笹川がめぐって撮影し、祖父が見たであろう風景を収集したもの。人間魚雷の中は空洞になっており、取り付けられた潜望鏡を覗き込むと、(レンズ越しに上下が正しい向きで、だがぼんやりと)海辺の光景の写真が見える。その曖昧にぼやけた像は、祖父の記憶の中のおぼろげな光景とも、過去そのものに触れられないもどかしさともとれる。不鮮明さの印象は、会場内に響くくぐもったノイズ(出撃地点の浜辺で海中の音を採集)や、粗いモザイクのかかった海中の映像(と思われる)によってさらに増幅される。
笹川は以前の作品で、アニメ風の巨大なロボット戦士を透明なビニールでつくり、(空想の)兵器へのロマンや男根的なマッチョイズムを脱力させ、無力化する作品を発表してきた。本展で提示された、脆く弱い素材でハリボテ感の強いベニヤ製魚雷もまた、単に歴史的資料としての再構成に留まらず、そうしたヒロイズムへの批評を内包している。さらに、装備された潜望鏡を通して「過去と現在が折り重なった風景」を見るとき、それは風景への眼差しを再構築する装置であり、風景の中に重層的に沈殿した記憶の中へ潜航するための、想像力を駆動させる乗り物となるのだ。


笹川治子「リコレクション─ベニヤの魚 Recollection: the Plywood Fish」2017 展示風景
© Haruko Sasakawa, courtesy of the artist and Yoshimi Arts, photo by Kiyotoshi Takashima

2017/08/26(土)(高嶋慈)

第10回ヒロシマ賞受賞記念 モナ・ハトゥム展

会期:2017/07/29~2017/10/15

広島市現代美術館[広島県]

第10回ヒロシマ賞を受賞したモナ・ハトゥムの個展。本展のために制作された新作インスタレーション《その日の名残》は、ハトゥムのこれまでの作品にもしばしば登場する、テーブルと椅子、ベッドなど、家庭内の親密な空間を想起させる家具が、炎に焼かれて黒焦げの残骸と化したもの。他にも、政治的な抑圧や人種差別への抵抗を表現した初期の身体パフォーマンスの記録、おろし金など調理用品を巨大化して家具に見立て、見る者を身体感覚的に脅かす彫刻作品、また立方体やグリッド、床面に敷かれた正方形などミニマリズムの視覚言語を用いつつ、傷みの感覚や疎外、監禁、不安定な流動性などを喚起させる作品など、代表的な作品がコンパクトにまとまっている。日本初の本格的な個展ということで、ダイジェスト的で見やすいが、(通常はコレクション展に充てられる小さい方のスペースでの開催ということもあり)展示全体としてはやや物足りなさが感じられた。
一方、通常は企画展のスペースで開催されたコレクション展「光ノ形/光ノ景」は、「光と影」をテーマにしたもの。自然界の光や人工的な灯り、光学現象などを扱った作品のほか、夏という季節柄、「原爆の閃光/焼きついた影/復興と再生の光」といったストーリーに沿って展開する。ただハトゥム展との関連性を持たせるのであれば、ミニマリズム、パフォーマンス、フェミニズム、中近東の作家などを配した方が、ハトゥム作品の文脈がより厚みを持って提示されたのではないか。

2017/08/02(水)(高嶋慈)

artscapeレビュー /relation/e_00040771.json s 10138817

広島平和記念資料館(東館)常設展示

広島平和記念資料館(東館)[広島県]

広島市現美のモナ・ハトゥム展と合わせて、広島平和記念資料館へ。今年4月にリニューアルされた東館の展示を見る。インタラクティブなタッチパネル式の展示・情報検索システムや、デジタル技術を駆使した映像展示が「目玉」となっている。特に、真っ先に観客を出迎える後者は、廃墟となった広島市内のパノラマ写真が取り囲む中、円形の都市模型にCG映像がプロジェクションされるというもの。被爆前の木造家屋が立ち並ぶ市街地の様子が上空からの俯瞰で映し出される。現在の平和記念公園がある中州にも、もちろん建物が密集している。川を行き交う船も見え、聴こえてくる蝉の鳴き声が「平和な朝」を演出する。カメラが地上へ近づき、広島県産業奨励館(現在の原爆ドーム)付近へズームインする。原爆投下地点の「目標確認」の擬似的なトレース。次の瞬間、カメラは急速に上空に戻ると、投下されたリトルボーイとともに急下降する。閃光、爆風によって一瞬で吹き倒される建物、そして一面を覆う爆発の火炎と煙。だがそこに炎に焼かれる人影はいない(人間が「いない」無人空間であるかのように描かれる)。ならばこれは、「ここに(自分たちと同じ尊厳をもった)人間はおらず、実験場である」と見なすことで原爆を投下しえた米軍の視点に同一化しているのではないか。
カメラのめまぐるしい急上昇/急下降、「映像酔い」を起こさせるほど視覚に特化した体験。CGをふんだんに盛り込んだアクション映画やゲームを思わせる娯楽性さえ孕んだ、スペクタクルとしての可視化。「過去の見えづらさ」「接近の困難」をたやすく凌駕してしまうそこには、「表象の透明性」への疑いは微塵もない。結局のところ、制度化された展示空間の中で、私たちは、誰の視点に同化して見るよう要請されているのか? この反省的な問いの欠如こそが問われている。


展示風景

2017/08/02(水)(高嶋慈)

プレビュー:新・今日の作家展2017 キオクのかたち/キロクのかたち

会期:2017/09/22~2017/10/09

横浜市民ギャラリー[神奈川県]

土地や歴史の調査、インタビューなど、リサーチやオーラル・ヒストリーといった手法を用いて制作する作家に焦点を当てたグループ展。
フランス人の母を持つ久保ガエタンは、自身のルーツや常識外の現象への関心を多角的に調査したインスタレーションを制作しており、フランスでリサーチした新作を発表する。小森はるか+瀬尾夏美は、東日本大震災を契機に2012 年より陸前高田、2015 年から仙台を拠点として活動。住民への聞き取りを元に、人々の記憶を内在化させた土地の風景への眼差しを映像作品、絵画、テクストといった複数の媒体で表現している。是恒さくらは、アラスカや東北で、各地の捕鯨文化や狩猟・漁労文化についてフィールドワークを行ない、手工芸やリトルプレスのかたちで発表し、異文化間の価値共有の可能性を探る。
また、笹岡啓子は、《PARK CITY》のシリーズにおいて、生まれ育った広島、とりわけ平和記念公園周辺を10年以上に渡って撮影し、記憶の表象と忘却について、記録装置である写真それ自体を用いて考察している。笹岡の直近の個展については、2017年7月15日号の本欄でも取り上げたが、震災以前に撮られたモノクロームの《PARK CITY》から、近年のカラー写真への移行において、「ヒロシマ」の表象をめぐる大きな転回が見られ、今後の展開を大いに期待させるものだった。笹岡によれば、今秋の展示は、前回の個展の内容をさらに発展、昇華させたものになるという。
4者それぞれの手法と表現を通して、個人史、都市や地域といったより大きな文脈の歴史、それらの交差、さらに異文化にまたがる文化的な共通性など、記憶の表象や記録するという営みについて多角的な思考を促す機会になるのではと期待される。

関連記事

笹岡啓子「PARK CITY」|高嶋慈:artscapeレビュー

2017/07/20(木)(高嶋慈)

文字の大きさ