2018年01月15日号
次回2月1日更新予定

artscapeレビュー

高嶋慈のレビュー/プレビュー

プレビュー:時差『隣り』

会期:2017/08/30~2017/09/03

green & garden[京都府]

「時差」は、特定の演出家や劇作家によるカンパニーではなく、複数のアーティストが同じコンセプトを共有しながら、それぞれの作家による新作公演をプロデュースする企画団体である。京都の若手制作者である長澤慶太によって2016年に立ち上げられた。第1回目の企画「動詞としての時間」では、精神科医の木村敏の著作を読み、「臨床哲学」の言葉を手がかりに、演劇、ダンス、映画作品を制作している。参加アーティストは、和田ながら(演出家)、城間典子(映画監督)、村川拓也(演出家、ドキュメンタリー作家)、岩淵貞太(ダンサー、振付家)であり、京都在住もしくは京都で発表歴のある気鋭のアーティストが名を連ねる。
今回の「動詞としての時間」第2回公演では、城間典子による映画『隣り』が上映される。この作品は、城間の幼馴染であり、統合失調症と診断された女性との共同制作による。映画は2つのパートから構成され、1)幼馴染の女性が、10代の頃、心のバランスを大きく崩した冬から春にかけて、彼女自身が「劇映画」として再現するパートと、2)その4年後に城間が再び彼女を訪ね、現在の様子を撮影したドキュメンタリーから成っている。発病当時、京都造形芸術大学の映画学科に在学中だった城間と、過去に演劇部に所属し、俳優を志していた彼女とのあいだで、1)の劇映画をつくることは自然な成り行きだったという。編集は城間に任されたが、4年かかっても終わらず、再び城間が彼女を訪ねたことを契機に2)が生まれた。そこには、一緒に劇映画の編集作業を行なう二人の様子とともに、通院を続け、絵を描きながら家族とともに暮らす彼女の日常生活が記録されている。本人の再現による「劇映画」とドキュメンタリーから成る構造は、ドキュメンタリー/フィクションという単純な二元論の解体についての問いを提起する。加えて、親密な関係のなかでカメラを向けるという被写体との距離感、病を抱えて生きることの困難とそこに寄り添って眼差しを向ける営みについてなど、さまざまなトピックを喚起する映画になるのではと期待される。
公式サイト: http://kyotojisa.wixsite.com/jisa

2017/06/30(金)(高嶋慈)

プレビュー:地点『汝、気にすることなかれ』

会期:2017/08/05~2017/08/20

アンダースロー[京都府]

地点×エルフリーデ・イェリネクのテクスト×三輪眞弘(音楽監督)による第3弾。『光のない。』『スポーツ劇』に続く注目の新作が、地点の稽古場兼劇場である京都のアンダースローにて、8月に上演される。地点は自分たちで改装したアンダースローを拠点として、チェーホフの四大戯曲やブレヒト、『地点の近現代語』などのプログラムをレパートリーとして継続的に上演しているが、そこにイェリネクの『汝、気にすることなかれ』が新たに加わるという。「シューベルトの歌曲にちなむ死の小三部作」と副題のつく本作は、第三部に作者の父が登場するなど『スポーツ劇』の続編としての性格もありつつ、オーストリアのブルク劇場の大女優をモチーフにした第一部、白雪姫の物語を題材にした第二部と、それぞれ全く異なる設定で書かれている。神奈川のKAATや京都のロームシアターといった大劇場ではなく、俳優との距離が極めて近い空間で観劇できることも、レパートリー上演の大きな魅力である。前2作の延長上にどのような世界が立ち上がるのか、非常に楽しみだ。

2017/06/30(金)(高嶋慈)

異郷のモダニズム─満洲写真全史─

会期:2017/04/29~2017/06/25

名古屋市美術館[愛知県]

1920年代~敗戦直後の四半世紀に「満洲」で展開された写真表現を検証する企画展。展示は5章から構成され、1920年代の「記録・啓蒙」、1930年代の作家主導による「芸術写真」、1940年代の官僚主導による「統制・プロパガンダ」という流れが提示される。
第I章では、〈満蒙印画協会〉を創設した写真家、櫻井一郎の精力的な仕事を紹介。1924年、大連で創刊された『満蒙印画輯』は、毎月10点の写真を解説付きで台紙に貼付し、購入者に届ける「写真頒布会」の制度により、各地の生活風俗、祭祀、寺院仏閣などの歴史的建造物、砂漠や山岳などの景観を記録し、内地に紹介した。その撮影範囲は満蒙(満洲と東モンゴル)から中国東部まで及び、砂漠、遊牧民、ラクダ、広大な大地といったイメージに加え、雲崗の石窟、三峡の景観、水都蘇州など、エキゾチシズムをかき立てる情景を精密なカメラアイで写し取っていった。毎月届けられるこれらの写真は、1年後にアルバムの表紙が送られて「写真集」が完成するというシステムからも、文化史・生活史の記録的価値とともに、領土獲得と一体となった「イメージの所有と収集」への欲望が伺える。
第II章では、櫻井の急死後、1928年に南満洲鉄道株式会社(満鉄)の弘報課嘱託として大連に渡った淵上白陽と、彼が1932年に組織した「満洲写真作家協会」のメンバーの写真が紹介される。1932年は「満洲国」建国と同年であり、翌年にはグラフ雑誌『満洲グラフ』が創刊された。大地を突き進む列車のスピード感を、印画紙をたわめて焼き付けた淵上の《列車驀進》は、今見ても斬新。また、さまざまな印画法を駆使して絵画的な質感や構図で表現するピクトリアリズム写真の実践は、農村の情景の牧歌的な理想化へと向けられた。ロシア革命と迫害を逃れて移住した白系ロシア人の村を撮影した写真群は、「ソ連批判」のメッセージを暗に担うが、異郷でつつましく暮らす人々への親密な眼差しが感じられる。また、工場や製鉄所といった近代産業建築が多く選ばれていることには、植民地経営の基幹のアピールとしての意味合いを含むが、建築的な構成美や煙と蒸気がもたらす光と影のドラマティックな効果を追求した画面は、政治的な意味合いをほとんど凌駕するほどに美しい。いや、むしろ「美」こそが、政治性を隠蔽する装置なのだ。
しかし、こうした写真表現としての実験的な視覚性の追求/国家と巨大資本による宣伝、という両者が通底しつつも拮抗する緊張感がはらむ美は、1940年代になると失速する。1940 年、官僚主導の下に「登録写真制度」が導入され、審査に通った写真家の登録という囲い込み/排除のシステムにより、国家的な統制が強まる。ピクトリアリズムや実験的な写真は否定され、表現としての強度も「主題」も平板化した「分かりやすい」写真が並んでいく。例えば、「民族の協和」といったイデオロギーの可視化、開拓移民の勤労などだ。また、欧米に倣って、洗練された誌面のグラフ雑誌が対外宣伝として多数刊行される。壁一面を覆い尽くす表紙の集合は圧巻だ。
そして、地下に降りた最終章の展示室で待ち受けるのが、打ち壊されて「廃墟」となった官庁舎、工場、製鉄所、発電所の姿である。これらはソ連軍による破壊と略奪の跡であり、敗戦後の日本の賠償能力について海外資産を調査するポーレー対日賠償調査団によって撮影された。米国国立公文書館が所蔵する報告書『ポーレー・ミッション・レポート』に添付された写真を大きく引き伸ばしたプリントも、破壊の衝撃を増幅する。大島渚の言を引けば「敗者は映像を持たない」ことの証左であるとともに、「ここにない」イメージ、つまり日本が大陸各地で行なった破壊行為のネガとしても顕現する。
こうした膨大な写真群を通して本展は、エキゾチシズムの表象、「芸術写真」の実験、プロパガンダの可視化、戦後処理の調査など、「満洲」という虚の空間において、複数の主体による要請がいかに駆動してイメージの可視化(と不在)を構成していたかを示していた。なお本展は、1994 年に同館で開催された「異郷のモダニズム 淵上白陽と満洲写真作家協会」展をバージョンアップした内容であり、第I章の『満蒙印画輯』と最終章の『ポーレー・ミッション・レポート』に収められた写真が新たに追加されている。アルバム状の印画集やアーカイヴの集合性の中から写真を取り出し、複写し、額装や引き伸ばしなどの手を加えて、美術館という凝視のための空間の中に置き換え、「作品」という自律的な単位の写真と並列的に並べること。そうした等価的な手続きをもって本展は、元の文脈からの切断というリスクを負いつつも、「資料」と「作品」への眼差しを均質的に均していこうとする意志でもって、「芸術性」を特権化することなく、満洲における写真実践を検証する姿勢を開いていた。

2017/06/24(土)(高嶋慈)

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したため#5『ディクテ』

会期:2017/06/22~2017/06/25

アトリエ劇研[京都府]

テレサ・ハッキョン・チャによる実験的なテクスト『ディクテ』(1982)は、演出家の松田正隆による舞台化や山田うんによるソロダンス作品など、身体と発語をめぐる俎上に幾度も載せられてきた。京都を拠点に、演出家の和田ながらが主宰する演劇ユニット「したため」は、台本を用いず、出演者への取材を元に言葉を構築する方法論から出発し、近年は、自由律俳句や小説など、戯曲でない(演劇の舞台を前提に書かれていない)テクストを上演する手法を試みている。前作『文字移植』では、日独の両言語で執筆する多和田葉子の同名小説を、「演劇」として上演した。「翻訳」の(不)可能性、言語の物質性、異言語の発話に伴う身体的苦痛、ポストコロニアルや男性中心主義への批評といった主題に対して、俳優の身体表現と声、舞台美術によって、テクストの密度を音響的・立体的に立ち上がらせることに成功していた。次なる挑戦として、『ディクテ』が選ばれたことは必然と言える。
『ディクテ』では、冷戦構造下で強まる韓国の軍政を逃れるため、家族とともに少女期にアメリカへ移住し、コリアン・ディアスポラとして二重化された生と言語を生きるチャ自身の苦痛に加えて、日本の植民地支配により母語を剥奪された母の世代の記憶が語られる。さらに、「朝鮮のジャンヌ・ダルク」と称される三・一独立運動の闘士ユ・グァンスンなど歴史的な女性の名前が召喚され、自伝的要素と世界史的な地平が交錯する。それらは通常の句読法を逸脱した詩的言語に加え、フランス語の書き取り練習(ディクテーション)、翻訳問題、カトリックの教義問答、映画の台本、手紙など多様な文体のコラージュで構成される。さらに、英語とフランス語に漢字やハングルが混じり、多言語が使用された、極めて多層的で異種混淆的なテクストである。
したためによる『ディクテ』では、前作同様、美術作家の林葵衣による舞台美術の力を活かし、テクストがはらむ複数の問題─とりわけ他者の言語によって身体を領有化される苦痛、発話主体の複数性・多重性─を、身体化された風景として可視化していた。俳優たちは、ちょうど顔の高さに張られた、半透明の薄い膜ごしに客席と相対するため、「顔」つまり明確な主体を特定できない匿名的な言葉として発せられる。異言語による侵犯と母語の禁止という二重の苦痛について語ろうとする行為は、発話行為の身体性や物質的側面を露わにする。半透明の膜に強く押し付けられ、くぐもる声。息の振動で震える膜。俳優たちは口を大きく開けたまま凝固し、聴こえない叫びが空間をこだまする。あるいは隣で話す者の口の動きが真似され、口々に発語する声の多重的な音響によって、発話主体が分裂し多重化していく。この傷を縫い閉じられるのか? いや、傷口は閉じられるどころか、「書き取りなさい」と命令する声に従い、文法問題の例文を復唱するいくつもの口によって、半透明の膜(おそらくオブラート)は舌で舐められて溶かされ、食い破られ、ボロボロに千切られていく。


撮影:守屋友樹


俳優たちは、荒野のように石ころが転がる空間の中を、石を口に咥えたままさ迷い歩く。容易に噛み砕けないそれは、声を封じ、重しとしてのしかかる沈黙の強制だが、一方で口に咥えた石は、親鳥がヒナに餌を与えるように、口移しで他の俳優へと渡される。言語は重荷であるが、母語(mother tongue)すなわち口から口へと継承され、分け与えられる存在でもある。また、秀逸だったのが、「わたし」「わたしたち」「あなた(たち)」「彼ら」「彼女」といった代名詞が多用される箇所で、発語された代名詞が、筆記体の英単語の連なりとして壁にチョークで書かれていくシーンだ。一本の線で途切れなく続く「i」「we」「you」「they」「she」は、切り分けられず連続性の下にあることを示す。だがそこに、照明の赤いラインが投射されることで、国境、民族、言語といった分断する線が浮かび上がる。


撮影:守屋友樹


「わたし/あなた/彼ら」として差異化する言葉がボーダーラインとして可視化されること。そこに、朝鮮戦争と軍政を契機に故国を離脱し、アメリカ国籍取得後、後年になって韓国を訪問した際に、「外国人」扱いされたチャの苦い経験が重なる(露骨な「身体検査」のシーン、とりわけ2人の男優に挟まれた女優がスカートをまくり上げられるシーンは、ジャンヌ・ダルクの「処女検査」を連想させ、性的な視線とともに女性の身体へ向けられる暴力を可視化する)。国籍の離脱と、故国で味わう差別。それは、「故郷を二度失う」体験である。「お母さん、禁じられた言語があなたの母語」「母語はあなたの隠れ家」とチャは母に呼びかける。満洲の朝鮮人集落へ日本語教師として赴任したチャの母もまた、母語=故郷を剥奪されて生きる者だった。
では、そうした母語=故郷の「二重の喪失」という傷を刻まれ、英語という他者の言語で書かれたテクストを、「日本語=母語」で発語する舞台は、「故郷としての母語」の内に安住したままではないのか? という矛盾・アポリアがここで露呈する。おそらくこの点が、『ディクテ』というテクストに対して、言葉を扱う「演劇作品」として対峙する際に立ちはだかる、最大のクリティカルポイントである。したための『ディクテ』は、「他者を体内に容れる」という身体的経験について俳優が実況的に話すという構造や発語主体の交換可能性の中に、一種のメタ演劇的な性格を有していた。だが、二重の喪失に抗って話す「膿みうずく苦痛」に対して、母語の内部という安全地帯に留まるのではなく、それを内側から食い破り、傷を付けて押し広げ、内破するだけの力を持っていたか? チャレンジングなテクストに挑んだからこそ、あえて批判を呈したいと思う。

2017/06/23(金)(高嶋慈)

大坪晶|白矢幸司「Memories and Records」

会期:2017/06/18~2017/07/15

ギャラリーあしやシューレ[兵庫県]

「記憶と記録」をキーワードにした2人展。セラミック(白矢)/写真(大坪)という異なるメディウムによって、物質を用いた「触覚的な痕跡」の可視化/「場に潜在するが、見えない記憶」への想起という対照的なアプローチが提示された。
白矢幸司は、シリカ、アルミナ、カルシウムという3つの物質(白色の粉末)を水と混ぜ、焼き固めたセラミック作品を制作している。一見、ミニマルな白い平面に見えるが、調合の微妙な差異により、さまざまに異なる表情を見せる。干上がった大地に走るひび割れ、ゴツゴツと固まった溶岩、細かい砂利の混ざった地表……。そうした自然の物理現象の痕跡を思わせるものがある一方で、雨に晒して水滴の落下を受け止めたものは、無数の弾痕が穿たれた壁を想起させる。黒いフレームに標本のように収められていることも相まって、負の記憶が刻まれた壁の一部が切り取られ、人為的な破壊の痕跡を留める遺物として保存され、「展示」されているようにも見える。だがそれらの「白い」表面が実際に喚起するのは、アンビヴァレンツな印象だ。確かに、それらの表面の複雑な起伏に満ちたテクスチャーは、自然界の力、あるいは人為的な暴力を受け止めた痕跡を感じさせる一方で、純白に輝いており、「痕跡であるが無垢である」という矛盾した声を響かせるのだ。また、別の視点から見れば、「白の単色の平面」であることは美術史的な記憶をも喚起する。例えば、マレーヴィチの《白の上の白》、とりわけ触覚性に着目すれば、石膏やコットン・ボールなどを使用したマンゾーニの《アクローム》絵画が連想され、美術史的な記憶を投影される表面としても立ち現われる。


白矢幸司《after the rain》2017


一方、大坪晶の写真作品《Shadow in the House》にも、「白い壁」を撮影した一枚がある。一見、真っ白な画面だが、元の壁を白いペンキで塗り直した刷毛のストロークが残り、さらにその表面には細かいひび割れが走り、時間の経過を物語る。ここでは、「白い表面」を写した写真の中に、元の壁が建てられた時間、白く塗り直された時間、そしてペンキの層が劣化して剥がれ始めるまでの時間、という複数の時間が積層しているのだ。
大坪の《Shadow in the House》は、「接収住宅」(第二次世界大戦後のGHQによる占領期に、高級将校とその家族の住居として使用するため、強制的に接収された個人邸宅)を被写体としている。接収された住宅の多くは、GHQの指示に従い、内装の補修や壁の塗装、配管や暖房設備、ジープを駐車する車庫の新設など、さまざまな改修がなされた。大坪の写真が記録として捉えるのは、そうしたGHQによる改修の痕跡に加え、陽に焼けて色褪せた壁紙や擦り切れた絨毯など、かつてそこで暮らしていた人々の日常生活の痕跡が宿るディティールである。さらに、写された室内空間に目を凝らすと、おぼろげな気配のように、あるかなきかの影が亡霊のように画面に写り込んでいることに気づく。
「接収住宅」の室内空間は、敗戦を契機に文化圏を超えて人々が移動したことで、異文化が接触した現場でもある。大坪は、多層的な記憶が深く沈殿した室内空間に、長時間露光によって影のような痕跡を写し込む操作を加えることで、場に潜在するが可視的でない記憶をどう想起するか、という困難な営みに向かい合う。「不在」によって存在を証立てる「影」は、強い指標性をもつ明確なシルエットではなく、指示内容が曖昧なままであることで、充填を待ち受ける空白として働く。接収前に住んでいた住人、GHQの将校とその家族、返還後の住人……。「影」の主はそのどれでもありえ、あるいはそれら複数の記憶が多重露光的に重なり合い、判別不可能になったものとも解釈できる。そのあるかなきかの儚さは、もはや明確な像を結ぶことのできない記憶の忘却を指し示すと同時に、それでもなお困難な想起へと向けて開かれた通路でもある。


大坪晶《Shadow in the House - 旧安田邸》Type C Print, 2017


2017/06/18(日)(高嶋慈)

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