2018年07月15日号
次回8月1日更新予定

artscapeレビュー

高嶋慈のレビュー/プレビュー

ダンスボックス・ソロダンスシリーズvol.2 寺田みさこ『三部作』

会期:2018/01/19~2018/01/21

ArtTheater dB Kobe[兵庫県]

「ソロダンス」によるフルレングス作品の上演をシリーズ化する企画、「ダンスボックス・ソロダンスシリーズ」の第2弾。今回、寺田みさこは、自身の振付作品の制作ではなく、「ソロダンスの振付を他の振付家に依頼する」ことを希望。国籍、世代、ダンスのバックグラウンドやキャリアが大きく異なる3名の振付家がそれぞれ寺田を振付けた3作品が上演された。

韓国の気鋭のダンサー、振付家のひとり、チョン・ヨンドゥは、ブラジルの作曲家ヴィラ=ロボスのバレエ音楽「Uirapurú」(1917)を使用した『鳥と女性、そして夜明けの森』を寺田に振付けた。不協和音や変則的な拍子が展開する楽曲のなか、寺田は一つひとつの音に身体をあてがうように、ゼロコンマ1秒以下の速度と精密さで全身を運動させ、深い森の奥深くに棲息する孤独で奇妙な美しい鳥へと変貌していく。一方、ブラジルの鬼才、マルセロ・エヴェリンは、過去3回のKYOTO EXPERIMENTで観客に突きつけてきた極限的な肉体や暴力性を封印し、静けさのなかに、身体から滲み出た情動が次第に空間を変質させていくような、静謐かつ力強いソロをつくりあげた。片手に握りしめた石を愛おしむような、あるいは我が身から引き剥がそうとするかのような、愛憎に満ちた寺田の動き。ある時は軽やかに宙に浮き、ある時は耐えがたい重荷となってのしかかる石と寺田の身体の間には、目に見えない繊細な緊張の糸が刻々と強度と粘度を変えながら張りめぐらされているようだ。


[Photo: junpei iwamoto]


一方、脱力的な笑いとともに「ダンサーの身体の駆使」を扱ったのが、contact Gonzoの塚原悠也による『ダンサーがチューイングガムを運ぶための3つのフェーズ(準備・移動・撤収)』。「準備」のフェーズでは、塚原や裏方スタッフが脚立、木箱、トランク、プロジェクター、ビデオカメラ、照明といったさまざまな機材や物品を舞台上に持ち込んで設置していく。積み上げた木箱どうしの間には板が橋渡しされ、寺田はガムを噛みながら、板の上をバランスを取りつつ渡っていく。口元にマイクが仕込まれているのだろう、くちゅくちゅという噛む音が響く。寺田が渡り終えた板と木箱は裏方スタッフによって取り外され、行く手には新たな橋=通路が次々と築かれていく。ここでは、「ガムを空間的に移動させる」というナンセンスな目的に、超絶技巧を持つダンサーの身体が従事させられているのであり、さらに「ダンサーの身体移動のためのナンセンスな装置」をつくるために労力が割かれている。同時に舞台上では、塚原がトランクから引っ張り出すガラクタが次々とベルトコンベヤーに乗せられていくという別の「移動」が同時進行し、壁のプロジェクションに実況中継で映されていく。「ダンサーの身体」という特権性を無効化しつつ、「ガムの移動」というナンセンスを起点に、寺田の身体、裏方スタッフたちの身体、塚原の身体、舞台上のさまざまな物品がそれぞれの目的や法則に従いつつ交通し合う複雑な場をつくり上げていた。

このように本公演は、運動の精密なコントロール、内に秘めた情動の表出、身体の駆使の動機付け(とその問い直し)という「振付」の多面的現われの中に、「寺田みさこ」という固有のひとつの身体が持つ可塑的な変容の振れ幅をも提示していた。

2018/01/20(土)(高嶋慈)

明楽和記「AKIRA」、明楽和記+堀尾貞治「ゆき」

会期:2018/01/08~2018/01/20

GALLERY Ami-Kanoko[大阪府]

ギャラリーの1階と2階で明楽和記(あきらかずき)の個展「AKIRA」が、3階では明楽と堀尾貞治の2人展「ゆき」が開催された。

明楽はこれまで、色鉛筆やカラー電球、着色された既成品、さらには「他のアーティストの美術作品」を「単色の色彩」と見なして空間に配置することで作品を成立させてきた。「色(材)」という規定値や他律的なルールの設定、「絵画とは色彩の選択と配置である」とする還元的思考を空間へと拡張させる制作態度は、「絵画」「ホワイトキューブ」「キュレーション」といった制度的な問題を改めて照射する。今回、2人展の相手として堀尾貞治が選ばれた理由は、「あたりまえのこと」というコンセプトの下、身の周りの物品に毎日特定の色を一色ずつ塗り重ねていく堀尾の行為に、「色」「他律的なルール」という共通項を見出したからと理解される。

一方、個展「AKIRA」では、学生時代に影響を受けたという「具体」の作家、金山明の絵画作品を参照。金山が玩具の電気自動車(あるいは自作の電動機器)に描画材を取り付けて支持体の上で自走させて制作した絵画作品を、実物大に「模写」した作品が発表された。一見、自由奔放に描き殴ったように見えるが、「制御不可能なエネルギーの奔出」を目指すオートマティズムではなく、「機械的に描画された線の軌跡に自身の手の運動を従事させる」という作業だ。そこでは、元の制作主体としての金山明/描画主体としての身体性を取り戻そうとする明楽という2人の「あきら」が、重なり合いつつもブレながら、「機械的に描画された線」の確かさを滲ませていく。

また、もうひとつの展示室では、ファンに撹拌されたカラフルなスーパーボールが、ホワイトキューブの空間内を縦横に飛び交う作品が発表された(観客は、保護メガネと盾で身を守って中に入り「鑑賞」することができる)。ここでは、線描の自動生成装置は2次元平面から3次元空間へと拡張され、カラフルなボールの運動が自動的に「絵画」を生成/解体し続けていく。感情の発露としての線描のほとばしりであるオートマティズムの否定から出発し、機械での代替を経て、より過激化を推し進めること。その時、「絵画」は、目に見える実体を半ば失いながら、中に入った観客を身体的に脅かす暴力的な何ものかへと変貌を遂げるのである。そこでは、「作家の身体」は不在化する代わりに、私たちは別の身体――弾丸のように飛び交うボールを避けようと右往左往し、脚や肩にボールが跳ね返って新たな軌跡をつくり出す「観客の身体」を発見するのだ。

2018/01/20(土)(高嶋慈)

プレビュー:地点『正面に気をつけろ』

会期:2018/02/26~2018/03/11

アンダースロー[京都府]

地点が自分たちで改装した稽古場兼劇場である京都のアンダースローにて発表する新作。戯曲は新進作家の松原俊太郎によるものであり、昨年4月にKAAT神奈川芸術劇場で上演した『忘れる日本人』に続き、2度目のタッグを組む。また、地点のレパートリー作品であるブレヒトの『ファッツァー』をはじめ、『ミステリヤ・ブッフ』『ロミオとジュリエット』『どん底』でも音楽を担当したバンド「空間現代」が参加する。松原の今回の戯曲は、ブレヒトの『ファッツァー』をモチーフに書かれたコラージュ的な作品であり、地点との相性はもちろん、「空間現代」のエッジの効いた音響空間とどう切り結ぶのか、期待される。言葉、音、身体運動が多方向に疾走しつつ衝突し合う、意味内容の豊穣な破綻が充満した空間の、その先へ。

2017/12/25(月)(高嶋慈)

鉄道芸術祭vol.7「STATION TO STATION」

会期:2017/11/10~2018/01/21

アートエリアB1[大阪府]

京阪電車「なにわ橋駅」のコンコース内に位置するアートエリアB1では、毎年、「鉄道」をテーマとした芸術祭を開催している。第7回目の今回は、メインアーティストとして、文字、紙、本を素材やテーマに制作するアーティストでグラフィックデザイナーの立花文穂を迎え、立花が編集する雑誌『球体7号』を展覧会という形式で表現した。参加メンバーは、美術作家だけでなく、グラフィックデザイナー、イラストレーター、音楽家、料理家、文筆作家など多彩な顔ぶれが集った。

会場に入ると、ゆるく心地よい音楽が流れ、外も中もイラストで覆われた仮設のキオスクが出迎え、立花らがポルトガルを旅した映像が流れ、ポルトガル料理のレシピや食品サンプルが置かれ、旅情を誘う導入となっている。一見、ゆるく自由で散漫な印象すら与える本展だが、構造的なポイントは2点抽出できる。1点目は、鉄道網、すなわち都市の表皮や体内に縦横に張り巡らされた線路、その自己増殖的な「線」の運動だ。路線や原稿用紙、間取りなど規格化された線を切り貼りしたコラージュ作品、モーターや昆虫を用いた「自動描画機」、レコードの溝の接写、極細の糸で編まれた内臓的なチューブのインスタレーションなどがこの領域を形成する。また、contact Gonzoは、そりに身を横たえ、掘った溝の中を滑走するパフォーマンスの記録映像を出品。線路という決められたルートを、「電車の車体」という外殻をまとわず生身の肉体をむき出しにして突っ走ることで、自らの身を危険に晒すリスクと引き換えに抵抗を示す。

また、もう一つのポイントが、「紙」「印刷」「原稿」である。いわばこの展覧会場全体が書籍や雑誌の立体化・空間化であるが、個々の作品同士は固定された順序を持たず、縦横に伸び広がる地下茎のように、複数の結節点でゆるやかに絡まり合っている。「編集作業」としてのキュレーションを、書籍や雑誌が持つリニアな秩序を解きほぐしながら、鮮やかに示していた。


会場風景

2017/12/24(日)(高嶋慈)

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小杉武久 音楽のピクニック

会期:2017/12/09~2018/02/12

芦屋市立美術博物館[兵庫県]

音楽家、小杉武久の約60年にわたる活動を、300点以上のアーカイブ資料とオーディオ・ビジュアル作品の展示で紹介する回顧展。後者はエントランスの吹き抜け空間やそれを取り囲む回廊、通路に展示されており、微妙な空気の揺らぎや光の変化、観客の動きなどの外的要因を取り込みながら、場所に寄生するように存在している。例えば、《Mano-dharma, electronic》では、波の映像を背景に、可聴域を超える電波を発する発信機と、高周波を発信するラジオの受信機が吊るされている。傍らに置かれた扇風機や観客の動きによって微妙に気流が変化すると、2つの周波数の波が出会うことで、耳に聴こえる第三の音波が不確定的に生み出され、「キーン…」といった微かな音が響く。また、ソーラー・パネルを電源とし、電子音を発する多数のオブジェが机上に載せられた《Light music Ⅱ》では、観客が近づくと光が遮られるため、立ち位置によって聴こえ方が刻々と変化する。それらは電気を供給源とした電子音でありながら、森のざわめきの中に身を浸しているような有機的な響きに満ちている。

だが、本展で圧倒的なのは、1950年代から現在までの記録写真、チラシ、ポスター、プログラム、楽譜、雑誌などのアーカイブ資料の膨大な物量と情報量だろう。これらのドキュメントは時系列順に「グループ・音楽から反音楽へ(1957~1965年)」「フルクサスからインターメディアへ(1965~1969年)」「タージ・マハル旅行団(1969~1977年)」「マース・カニングハム舞踊団(1977年~)」の4章で構成されている。ただし、記録映像や音源は一切ない(もちろんここには、即興性やリアルタイムの体験性を重視する小杉作品への配慮や敬意がある)。写真と文字情報を追う中で浮かび上がってくるのは、音楽/美術/舞踊といったジャンルを越境した交友関係の広がりである。現代音楽やフルクサスのアーティストに加え、「ハイレッド・センター」や「ネオ・ダダ」のメンバー、映像作家の飯村隆彦、舞踏家らとのコラボレーション、渡米後のナムジュン・パイクとの交友、さらにポスターのデザインに目を向ければ粟津潔や杉浦康平といった名前も登場する。記録映像や音源をあえて「封印」し、紙媒体の資料を徹底して淡々と並べていくことで、小杉武久という観測点の周囲に形成されるジャンル越境的なネットワークと時代状況が浮かび上がってくる。

ところで本展の最後には、看過できないある操作が仕掛けられている。徹底して「資料」、それも(期待される)記録映像や音源ではなく、紙資料にこだわる本展示の締めくくりには、「この『小杉武久 音楽のピクニック』展のポスター」も展示され、自身をメタ的に内部に取り込んでいるのだ。大量に複製・頒布され、「広報・周知」の機能を持つフラジャイルなものが資料的価値へと転じること。その速度を限りなく圧縮してゼロに近づけることで、広報物や印刷媒体を資料的価値へと転換させて歴史化する「ミュージアム」という機能(価値転換と歴史記述の装置)、さらには「アーカイブ」への貪欲な欲望を自己言及的に浮かび上がらせていたと言える。

2017/12/24(日)(高嶋慈)

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