2018年12月15日号
次回1月15日更新予定

artscapeレビュー

山﨑健太のレビュー/プレビュー

渚・瞼・カーテン チェルフィッチュの〈映像演劇〉

会期:2018/04/28~2018/06/17

熊本市現代美術館[熊本県]

〈映像演劇〉の鑑賞者は劇場に足を運ぶように美術館に足を運び、舞台上の俳優を見るように等身大の俳優の映像と対峙する。背景が欠落した映像は、それゆえどこか別の場所にいる俳優を映したものとしてではなく、俳優の分身を観賞者のいるその場所に存在させるものとして機能する。鑑賞者は厚みを持たない映像としての俳優の分身と、しかし確かに空間を共有することになる。この両義性が〈映像演劇〉の特徴のひとつだろう。

《第四の壁》はそのタイトルからして象徴的だ。「第四の壁」という言葉は大まかには演劇において舞台上と客席との間に存在すると仮定される壁を指す。観客はその壁を透かすかたちで舞台上で展開する物語を覗き見ているというわけだ。

《第四の壁》はアーチ状の枠の中に投影される映像演劇作品。男が登場すると、ここは門で、侵入者がやってくるのを阻止しようとする芝居をこれから上演するのだと言う。さらに二人の男が登場し三人は門を塞ぐかたちで土嚢を積み始める。無駄口やそれに対する叱責を挟みつつ、ところどころでこれがどのような芝居であるかが改めて説明されるが、あるときスタスタと女が登場すると、ハート型に切り抜かれた紙や風船でアーチを飾り付け始める。土嚢の作業と並行して進む飾り付け。やがてアーチの上部にはwelcomeの文字が──。

《第四の壁》
[撮影:宮井正樹/提供:熊本市現代美術館]

土嚢と風船は一見したところ拒絶と歓待の両極を示しているように思えるが、事態はそう単純ではない。向こう側とこちら側を隔てるはずの第四の壁は男の観客への呼びかけによってはじめから壊されており、一方で「そこ」が土嚢を積み上げるまでもなく壁であることは自明だ。観客だろうが侵入者だろうが、壁の中へと入っていくことはできない。にもかかわらず、そこは門だと宣言され、向こう側への一歩が可能性として示される。

作品ごとに形を変える問いを通して、観客は自らの立ち位置を測り続けることになる。その移動がやがて、境界のあり方を変えていく。


《働き者ではないっぽい3人のポートレート》
[撮影:宮井正樹/提供:熊本市現代美術館]

《The Fiction Over the Curtains》
[撮影:宮井正樹/提供:熊本市現代美術館]

《A Man on the Door》
[撮影:宮井正樹/提供:熊本市現代美術館]



公式サイト:https://www.camk.jp/exhibition/chelfitsch/

2018/05/01(山﨑健太)

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文字の劇場『ドキュメンタリー』

会期:2018/04/28~2018/04/29

SCOOL[東京都]

マレビトの会の周辺が面白い。近年のマレビトの会の作品はほとんど何もない舞台空間と大雑把なマイムを特徴とし、両者の間にフィクションが立ち上る瞬間、あるいはフィクションからふと現実が顔を覗かせるような瞬間に焦点をあてる。主宰の松田正隆はそれを「出来事の演劇」と呼び、プロジェクト・メンバーとともにその思考/試行を展開している。文字の劇場を主宰する三宅一平もそのひとりだ。

『ドキュメンタリー』は映像上映と演劇作品の上演の二部構成。前半の映像(橋本昌幸が担当)は演劇/映画における演技に関するインタビューで構成されたドキュメンタリーで、松田のほかにアートプロデューサーの相馬千秋やダンス批評家の桜井圭介、劇作家・演出家の犬飼勝哉、後半の演劇作品に出演する俳優の生実慧、桐澤千晶、西山真来など、さまざまな立場の人間がインタビューに答えている(ちなみに私もそのひとりで、その縁で今回はゲネプロを拝見した)。

後半の演劇作品は娘が幼いころに離別した父親に会いに行く話だ。娘はドキュメンタリー映画を撮っており、父との再会もドキュメンタリーとして残そうとカメラマンの友人を同行する。前半の映像が演技に関するさまざまな思考の種を用意し、後半の演劇作品を観る観客は自然と演技に関する、あるいは目の前で演技をする身体に関する思考へと誘われる。戯曲にあらかじめ記された登場人物の言動とそれを演じる現在の俳優の身体。それは一方で未来のドキュメンタリーにおいて定着される、確定された過去を現在進行形で生成していく。過去と現在、現在と未来、確定性と不確定性。それらの間で揺れ動く俳優の身体のあり様が興味深い。

映像を媒介とした身体をめぐる試みには思考が刺激されたが、原理的な取り組みについても物語とのバランスや関係性についてもさらに思考を深める余地があるだろう。試行錯誤を共有する場所があることは強い。今後のさらなる展開を楽しみに待ちたい。

公式サイト:https://note.mu/mojigeki

2018/04/27(山﨑健太)

Q『地底妖精』

会期:2018/04/20~2018/04/23

早稲田小劇場どらま館[東京都]

市原佐都子の演劇ユニット・Qはこれまで、女性の性や人間の動物性を中心的な主題とする作品を発表してきた。今秋には女性アーティストおよび女性性をアイデンティティとするアーティストやカンパニーにフォーカスを当てたKYOTO EXPERIMENT2018公式プログラムへの参加が決定している。

『地底妖精』は妖精と人間のハーフであるユリエリアを主な登場人物とする(ほぼ)ひとり芝居。妖精というモチーフは社会的に見えないことにされているもの、見ないふりをしているものをめぐる思考へとつながっている。白目を剥いた永山由里恵の怪演が強烈だ。本作は昨年、「こq」名義で初演され、現代美術作家の高田冬彦(演出・美術としてクレジット)とのコラボレーションでも話題を呼んだ。今回の再演では「劇場版」ということで美術がスケールアップするとともに戯曲が一部改訂され、演出にも変更が加えられた。

その変更された部分が問題だ。本作にはユリエリアが恋愛成就のおまじないをやってみせる場面がある。初演ではユリエリアひとりによって演じられたが、今回の再演では観客のひとりが恋愛成就の相手役として(半ば無理やりに)舞台に上げられた。おまじないは二つ。ひとつはローズウォーターと呼ばれる液体を相手=観客に飲ませるおまじないで、おそらくこちらは多くの観客の許容範囲内だろう。だがもうひとつはどうだろうか。 次に観客は舞台上で仰向けになるよう指示される。渋々従う観客にユリエリアは馬乗りになり、取り出したリップクリームをその顔面に塗りたくる。なぜこれが問題なのか。あるいは、なぜこれが問題にならないのか。

馬乗りになっている人物を男性だと仮定してみればよい。私が観劇した回ではここで客席から男性の笑い声が聞こえてきた。堂々たる犯行は不均衡な構造により隠蔽され、そのこと自体がある種の復讐となる。強烈な皮肉と怒りが込められた「犯罪計画」は、残念ながら成功してしまったと言わざるをえない。

[撮影:中村峻介]

公式サイト:http://qqq-qqq-qqq.com/

2018/04/23(山﨑健太)

オパンポン創造社『さようなら』

会期:2018/04/19~2018/04/22

花まる学習会王子小劇場[東京都]

オパンポン創造社は大阪を拠点とする野村有志のひとり演劇ユニット。CoRich舞台芸術まつり!2018春の最終審査に選出された本作は、劇団としては久々の東京公演となった。

舞台は淡路島のネジ工場。そこで働く柴田(野村有志)の毎日は、同じ工場で柴田を「かわいがる」先輩・宮崎(川添公二)、同僚の暗い女・末田(一瀬尚代)、風俗狂いの中国人・チェン(伊藤駿九郎)、工場の社長(殿村ゆたか)そして行きつけのスナックのママ(美香本響)という狭い人間関係で完結していた。ところがある日、末田とチェンが社長の金を盗み出す計画を柴田と宮崎に持ちかけて──。

冒頭、末田とチェンが柴田・宮崎を裏切り、金を持ち逃げしたことが明かされると、そこに至る彼らの日常が描かれる。退勤、飲みの誘い、スナックでのカラオケオール、ラジオ体操、就業、退勤、そしてまた飲みの誘い。柴田は乗り気ではないのだが、宮崎の誘いを断ることができずに毎日朝まで付き合うハメになる。毎日、毎日、毎日、毎日。執拗に描かれる日常は、繰り返すたびに少しずつ省略され、機械的な反復になっていく。磨耗する感情。繰り返しと省略が暴き出すのは、渦の中心に凝縮されていく鬱屈だ。

関西の劇団らしく、デフォルメされたキャラとテンポのいいやりとりが笑いを呼ぶのとは裏腹に、全体のテイストは苦い。抜け出せない日常に不満を覚えながらもそれをやり過ごす柴田は、変わりたいと思うことすら放棄していたことを末田に指摘される。ヘラヘラしたうわべとその向こうに垣間見える苛立ち、それでいて変化を望まぬ弱さを野村が巧みに演じていた。犯罪計画は露呈し、変化は望まぬかたちで訪れるものの、柴田は再び工場で働くことになる。行方を眩ましていた末田も戻り、変わらぬ日常が再開する……かのように思えたが、それは持ち逃げした金を使って末田と同じ顔に整形したチェンだった(!)。衝撃の結末に、しかし柴田の漏らす乾いた笑いはどこか明るい。

公式サイト:https://opanpon.stage.corich.jp/

2018/04/22(山﨑健太)

contact Gonzo × 空間現代

会期:2018/03/30~2018/03/31

[京都府]

空間現代コラボーレションズ2018の第3弾。空間現代の本拠地であるスタジオ兼ライブハウス「外」の中央には台座が置かれ、その上にベニヤで覆われた直方体が鎮座していた。天面からは木の枝やオレンジ色に塗られた木片、あるいは何かのコードが飛び出している。オブジェを囲むビニールカーテンの外には空間現代、内にはcontact Gonzo。「演奏」が始まる。

ゴンゾの面々はハンマーや木片でオブジェを殴打する。打撃音がスピーカーからも聞こえてくる。天面から出ているコードはどうやらマイクにつながっているらしい。オブジェの周囲のベニヤが破壊され、その正体がコンクリートconcrèteの塊だということが露わになる。

Photo by Yamazaki Kenta

今回のコラボレーションはゴンゾ&空間現代版ミュジック・コンクレートmusique concrèteだ。ミュジック・コンクレートは楽音のみならず自然界の音や人の声など、あらゆる音を電子的に録音・加工・構成することでつくられる。破壊音もまた音楽の一部となる。

合間にいつもの取っ組み合いを挟みつつ破壊は続く。電動ドリルまでもが登場し、コンクリート片が飛散する。コンクリート塊からはテニスボールや木片、ビニール袋、人の頭部をかたどったオブジェなどが「発掘」される。文字通りのファウンド・オブジェ。だがそれはもちろんあらかじめ埋め込まれたモノたちだ。無機質な直方体だったコンクリート塊は、いつしか彫刻のように削られている。

Photo by Katayama Tatsuki

Photo by Yamazaki Kenta

「解体=創造=(再)発見」の等式は空間現代の音楽に由来する。彼らの楽曲はいくつかのフレーズを解体、編集しながら反復することで構成されている。それを聞く観客は、反復される無数のバリエーションを通してオリジナルのフレーズを見出すのだ。繰り出される演奏の一撃一撃が、ハンマーのように空間現代の音楽を削り出す。

二日にわたる解体=創造のレコードたる「ミュージック・コンクリート」はその後、当日の演奏を複数のスピーカーで再構成した音とともに「3.30-31 Aftermath」として「外」に展示された。

Photo by Katayama Tatsuki

contact Gonzo:http://contactgonzo.blogspot.jp/
空間現代:http://kukangendai.com/
「外」:http://soto-kyoto.jp/

2018/03/30(山﨑健太)

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