村田真:著者で見る|美術館・アート情報 artscape

2018年08月01日号
次回9月3日更新予定

artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

Street Museum(ストリートミュージアム)

会期:2018/03/16~2018/05/27

東京ミッドタウン・プラザB1メトロアベニュー[東京都]

東京ミッドタウンが主催するアートとデザインのコンペのうち、2017年度のアートコンペ受賞作家6人による新作展。なんだか加藤泉によく似た絵があった。作者の大野光一は昨年のコンペでは、粗末な小屋をしつらえてそのなかに同じような顔の絵をびっしり展示したが、そこでは絵そのものより、小屋の小さな窓から絵をのぞくという見せ方におもしろさがあった。ところが今回はピラミッド型に並べているとはいえ、絵そのものが露出しているため「加藤泉の亜流」感が前面に出てしまっている。絵を見せたいのか、「見せ方」を見せたいのか。

それに対して、昨年はどことなくミケランジェロの《ピエタ》を思わせないでもない大きな木のかたまりを出した七搦(ななからげ)綾乃は、今回、白い台座(箱)の上に小さな茶色い物体(木彫)をボソボソッと置いた。遠くから見ると、色といい形といいサイズといい「ウンコ」を連想させ、ドキッとした。別にウンコを連想させるからよいのではなく、きれいに整備された都市空間、いかにも作品然とした作品が並ぶ会場に違和感をもたらしているからいいのだ。欲をいえば、中央と四隅の5カ所に整然と並べるのではなく、もっとランダムに配置すればより効果的だったのではないか。…と書いてしばらくして行ってみたら、なんと作品の数が増え、ランダム感が増していた。すばらしい。


[写真:2018年開催の様子]

2018/04/04(村田真)

県美プレミアム Back to 1918:10年ひとむかしと人は言う

会期:2018/03/17~2018/06/24

兵庫県立美術館[兵庫県]

10年前の2008年から、1998年、1988年と10年ごとにさかのぼり、1918年までの各年に関連する作品を並べたコレクション展。2008年は森村泰昌、ヤノベケンジら、1998年は高松次郎(没年)、1988年は植松奎二、柄澤齋ら、1978年は荒川修作、横尾忠則ら、1968年はデュシャン、磯辺行久ら、といった具合。作品は必ずしもその年につくられたものばかりではないけれど、どれも時代を感じさせる選択となっている。まあこんなことはコレクションが豊富でないとできないこと。

サーッと流しながら、ふと足が止まったのは1938年の阿部合成による《見送る人々》。出征する兵士を見送っているのだろうか、題名どおり見送る人々の顔が日の丸とともに画面いっぱいに描かれていて、なぜかとてもよく目立つ。もうひとつ足を止めたのが、1918年の岡本唐貴の《『自伝的回想画』》より《十五歳の少年が見た米騒動の印象》という作品。1918年といえばまだ大正時代なのに、これだけやけにモダンな絵だなと思ったら、岡本が15歳のときに目撃した米騒動の記憶を、80歳近くになって思い出しながら描いた1982年の作品だという。これはなかなか示唆的だ。どんな人間だろうと死ぬ前に1枚でもいいから昔の記憶を絵に残したら、とんでもなく貴重な財産になるに違いない。

2018/03/31(村田真)

小磯良平と吉原治良

会期:2018/03/24~2018/05/27

兵庫県立美術館[兵庫県]

アカデミックな具象画壇の巨匠・小磯良平と、具体美術協会を率いた前衛の牽引者・吉原治良。同じ阪神地区で生まれ育ちながら、対極的な立場で昭和を生きた2人の画家を、時代を追って対比的に紹介している。東京美術学校を首席で卒業した小磯は、さすがにウマイ。在学中に帝展で特選を受けた《T嬢の像》などは、比類ない描写力で知られるドガ+安井曾太郎の巧みさだ。でもこのウマさが災いして、スタイルを崩そうにもなかなか崩せなかったり、後の戦争画制作に巻き込まれる要因にもなった。一方の吉原は独学のせいか、写実的な技量より個性を重んじ、《縄をまとう男》のような快作(怪作)をものしていく。戦後、具体美術協会の後輩たちに「人の真似をするな、いままでにないものをつくれ」と指導したことはよく知られているが、これは彼の生涯を貫く信念だった。

そんな2人の道が決定的に分かれるのが戦争の時代だ。小磯はその描写力と群像表現を買われて軍から戦争画を依頼され、従軍して多くの戦争画を制作。なかでも《南京中華門戦闘図》は昭和14(1939)年度朝日文化賞、《娘子関を征く》は第1回芸術院賞を受賞するなど、藤田嗣治と並んで戦争画のスターに祭り上げられていく。対する吉原は、戦況の激化によりシュルレアリスムや抽象表現が禁じられたため、やむなく《菊(ロ)》のように国花を抽象的に表わしたり、《防空演習》のように銃後の生活を描いたりしてお茶を濁した。というと、吉原に同情が集まり、小磯は戦犯画家扱いされかねないが、小磯も決して藤田のように嬉々として戦争画を描いたわけでないことは、戦闘図より会見図や式典図など穏やかな主題が多かったことや、戦時中も女性像や母子像を手がけていたことからもうかがえる。少なくとも戦争協力にあまり乗り気でなかったことはたしかだろう。のちに戦争画を描いたことを悔い、回顧展に戦争画が出品されることを拒んでいたという。

戦後になるといっそう2人の道は分かれていく。小磯は東京藝大の教授に収まり、一時期幾何学的構成を試みたりしたものの、まもなく写実表現に回帰。吉原は関西で具体美術協会を結成し、フランスのアンフォルメル運動とも同調しつつ、自身は表現主義的抽象からフラットで明快な抽象へと移行した。アカデミズムとアヴァンギャルド、具象画壇と現代美術、ドメスティックとグローバルと平行線を歩んだ両者だが、同時代の同じ地域に同じ画家として生きただけに、何度も顔を合わせたことがあるはず。カタログを見ると2人が一緒に写っている写真が載っているが、あまり親しげではない。というより妙によそよそしい感じがする。お互い近いのに遠いと感じていたのか、遠いのに近いと感じていたのか……。

2018/03/31(村田真)

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コレクション・ハイライト+特集「女たちの行進」

会期:2018/02/24~2018/06/17

広島市現代美術館[広島県]

コレクション展示室では1階で「コレクション・ハイライト」、B1で特集「女たちの行進」を開催。「ハイライト」のほうはマルセル・デュシャンの《フレッシュ・ウィドー》、ヘンリー・ムーアの《アトム・ピース》、レオン・ゴラブの《ベトナムⅢ》、篠原有司男の《オートバイX-50》など男性作家のみで、マッチョな作品が目立つ。対してB1の「女たちの行進」はもちろん女性作家ばかり。このタイトルは昨年、女性差別的な発言を繰り返すマッチョの固まりみたいなトランプが大統領に就任した直後、全米各地で繰り広げられた「ウィメンズ・マーチ」に由来するものだが、とくにジェンダーやフェミニズムに関連する作品を集めたわけではない。草間彌生のファロス的造形や石内都のモチーフの選択は女性ならではのものだが、ルイーズ・ニーヴェルソン、アグネス・マーチン、田中敦子らの作品からは女性性はあまり感じられない。

一方、女性差別を解消しようという運動はしばしば反戦・反核運動とも結びつく。その代表格が同展最多の6点を出しているナンシー・スペロで、ナチスに対するレジスタンス運動に加わり処刑されたユダヤ人の女性像《マーシャ・ブルスキナ》は、同展のリーフレットの表紙にも使われている。ちなみに彼女のパートナーは1階でベトナム戦争を主題にした大作を出しているレオン・ゴラブで、ともに1996年にヒロシマ賞を受賞した(すでに2人とも故人)。広島市現代美術館ならではのアーティストであり、大きく扱われるゆえんだ。

2018/03/31(村田真)

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阿部展也—あくなき越境者

会期:2018/03/23~2018/05/20

広島市現代美術館[広島県]

戦時中に国威発揚を目的として描かれた戦争画に対して、戦後になって戦争の悲惨な光景や途方に暮れる心情を表わした絵を「敗戦画」と呼んでみたい。鶴岡政男《重い手》、北脇昇《クォ・ヴァディス》、丸木位里・俊《原爆の図》などがそれに当たる。あばら骨の浮き上がった男たちが横たわる阿部展也の《飢え》も、その代表的な1点に挙げていいだろう。実は私、恥ずかしながら阿部展也の作品はこれしか知らなかった。いったいどんな画家だったのか? てわけで、わざわざ広島まで足を延ばすことにしたのだが、行ってガッカリ、夏には新潟市美、秋には埼玉近美に巡回するではないか! 早く言ってよ。

阿部は大正に改元されて間もない1913年生まれ(なんと、同い年の篠田桃紅はまだご健在!)。独学で絵と写真を学び、キュビスムおよびシュルレアリスム風の絵を描いていたが、その後ほとんど焼失してしまう。太平洋戦争が始まると陸軍宣伝班として徴用されてフィリピンに従軍したものの、画家としてではなく写真家としてだった。敗戦で捕虜になり、翌年帰国。ここから約10年間は戦前からの有機的なフォルムに人のかたちを重ねたグロテスクな人間像が多く、《飢え》もそのころの作品だ。ところが50年代なかばから抽象化が進み、1957-58年の欧米旅行を機にアンフォルメルに移行。その後もエンコースティックを用いたマチエール豊かな抽象、楕円や多角形をモチーフとするやや錯視的なハードエッジの色面構成とめまぐるしくスタイルを変化させていく。

しかしこの変貌ぶりが腰軽に映ったのか、阿部の後半生の作品はあまり評判がよくない。スタイルが変わること自体は悪いことではないけれど、阿部のめまぐるしい変化はまるで時流に合わせているように見えるのだ。もうひとつ、彼は5年間のフィリピン生活で身につけた英語力を買われて海外の調査や国際交流に時間を割き、また写真の撮影や評論の執筆と多方面で活躍し、晩年はローマに永住したが、このように活動の幅を広げすぎたことも彼の仕事の捉えがたさにつながったのかもしれない。こうして見ると、もっとも独創的で心に残るのは、やはり《飢え》をはじめとする敗戦後10年間のグロテスクな人間像ということになる。

2018/03/31(村田真)

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