2018年07月15日号
次回8月1日更新予定

artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

第21回岡本太郎現代芸術賞展 

会期:2018/02/16~2018/04/15

岡本太郎美術館[神奈川県]

絵画でも立体でも映像でもインスタレーションでもパフォーマンスでも、とにかく縦横高さ各5メートルの空間内に収まる未発表作品であればOK、国籍も年齢も問わないという公募展。さすがに岡本太郎の名を冠しているだけあって毎回ベラボーな作品が多い。というか、ベラボーさを競い合ってるみたいな。まあかつての読売アンデパンダンほどではないにしろ(見たことないけど)、いまどき珍しく熱のある貴重な展覧会といえる。今年は応募作品558点のうち26組が入選。20倍強の狭き門だ。

同展はテーマもないし審査員も固定しているのに、毎回なんとなく異なる傾向が見られるのもおもしろい。今回の傾向のひとつはモノの集積だ。同じモノを描くのでも1個より100個描いたほうが100倍効果があるとはウォーホル以来の常識だが、規定のスペース内で目立つためには量で勝負、空間いっぱいに作品をつくりたいけど、大きな立体をつくる場所もないし搬入出も大変だ、そこで大量の断片を集積して空間を埋めてやれみたいなセコい考えもあるかもしれない。だが岡本太郎賞のさいあくななちゃんによる《芸術はロックンロールだ》は、紙やキャンバスに描いた稚拙な「女の子絵」を壁3面と床の一部にびっしり並べたもので、そんな邪推を一掃する破壊力を秘めている。1点1点はピンクを主調としたカワイイ系の絵だが、それが5メートル立方の空間を余白なく埋め尽くすことでグロテスクな洞窟(グロッタ)と化している。岡本敏子賞の弓指寛治の《Oの慰霊》は、記号のような鳥を描いた数万枚の木の札で壁と床を埋めたもの。床には棺桶のような木の箱、正面の壁にはアイドルだったOが飛び降り自殺したビルなどを描いた絵が掲げられている。ほかの入選作品にも、新聞紙でつくった数百体ものクラゲの人形を床に置いた木暮奈津子の《くらげちゃん》、千台以上の中身のないスマホを並べて人のかたちを描いた橋本悠希の《拓》、日本各地を旅した記録を展示するワタリドリ計画(麻生知子・竹内明子)の《祝・ワタリドリ計画結成10周年!》など、集積作品は少なくない。

と、ここで念のため去年のレビューを見てみたら、前回も集積系が多いと書いているではないか! ガーン……。でも今回はもうひとつ、特筆すべき傾向があった。それは死の香りだ。さいあくななちゃんは200字ほどの「作家の言葉」のなかで、「死ねなら死ねでいいし」「どうせ死ぬんでどうでもいいです」と3回も「死」という語を使っているし、弓指寛治はアイドルのOと母の自殺が制作の動機となっている。特別賞の市川ヂュンは1万5千個のアルミ缶を溶かして鋳造した半鐘を出しているし、やはり特別賞の冨安由真はポルターガイスト現象を生じさせるお化け屋敷をつくってみせた。また、黒木重雄はテロにより爆撃された都市風景を描き、笹田晋平は高橋由一の《鮭図》を涅槃図と結びつけ、○△□(まるさんかくしかく)は太陽の塔や《明日の神話》をモチーフに死と再生を表現している。ほかにも死を予感させる作品がいくつかあった。これはいったいどういうことだろう。

2018/02/16(村田真)

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桑久保徹展「A Calendar for Painters Without Time Sense 1.3.4.5.7.8」

会期:2018/1/20~2018/2/17

小山登美夫ギャラリー[東京都]

最初に出くわすのは、数十本のイーゼルに掛けられたキャンバス画のある海辺の風景画。画中のキャンバスに描かれているのは《グランド・ジャッド島の日曜日の午後》や《アニエールの水浴》など、スーラの絵だとわかる。画面全体も点描で表わされている。タイトルは《ジョルジュ・スーラのスタジオ》。これを含めて、150号ほどの大作ペインティング6点の展示。いずれも海辺を背景にした巨匠たちのスタジオという設定だ。鮮やかな紺色の空の下、《タンギー爺さん》や《星月夜》が並ぶのはもちろん《フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホのスタジオ》。セザンヌのスタジオの背景にはサント・ヴィクトワール山がそびえ、ピカソのスタジオは《ゲルニカ》に合わせて白黒だ。うれしいことにフェルメールのスタジオもあって、フェルメール作とされる37点すべてを描き込んでいる。意外なのは《キリストのブリュッセル入城》をメインとしたアンソールのスタジオ。6点の中にアンソールを入れるというのはかなりの冒険だ。

さてこのシリーズ、方法は異なるけれど末永史尚の「サーチリザルト」と同じく、かつてコレクターがカタログ代わりに自分のコレクションを画家に描かせた「ギャラリー画」の現代版といってもいいものだ。それだけではない。この6点に対応して鉛筆のドローイングもあり、なぜかカレンダーがついている。ピカソは巨匠中の巨匠ということで1月、フェルメールは描き始めた時期に合わせて3月、アンソールはピンク色の印象が強いので桜の季節の4月、というふうに決められている。もうひとつおまけに、ドローイングの上に1枚ずつレコードがついていて、各画家にインスピレーションを得た日高理樹の曲が録音されているという。ほしくなってまうやろ!

2018/02/14(村田真)

至上の印象派展 ビュールレ・コレクション

会期:2018/02/14~2018/05/07

国立新美術館[東京都]

「至上の印象派展」とうたっているけれど、印象派の作品は(ポスト印象派を含めても)全体の半分にも満たない。時代順にいうと、17世紀オランダのフランス・ハルスから、18世紀のカナレット、グァルディ、19世紀のアングル、ドラクロワ、コロー、クールベ、マネ、そして印象派およびポスト印象派のモネ、ピサロ、シスレー、ルノワール、セザンヌ、ゴッホ、ゴーガンと来て、20世紀のボナール、ヴュイヤール、ピカソ、ブラックと続く。いってしまえば近世・近代の「泰西名画展」。なのになぜ「印象派」を前面に出すのかというと、ビュールレにとってコレクションの核はあくまで印象派であり、それ以外の作品は印象派へと至る道筋を示すために選ばれたものだからだ。

なるほどそういわれれば、素早い筆触を残すフランス・ハルスも、光あふれる風景を描いたカナレットも、鮮やかな色彩と荒いタッチのドラクロワも、印象派の先鞭をつけた先駆者に位置づけられるし、ボナールやピカソらはいうまでもなく印象派・ポスト印象派の成果を発展させた後継者だ。しかし裏返せば、彼らは印象派を際立たせるために動員されたダシにすぎないともいえるわけで、そんなものに大枚はたいてオールドマスターズを購入するビュールレの執念深さというか、コレクター根性に改めて感心するほかない。カタログでは、印象派が登場した1875年から2005年まで、10年ごとの印象派のプライベートコレクターを世界地図を使って図示している。この130年ほどのあいだに欧米を中心に50人ほどの印象派コレクターが登場しては消えているが、うち名前の挙がった日本人は川崎造船の松方幸次郎(1915-25)、倉敷紡績の大原孫三郎(1925-35)、ブリヂストンの石橋正二郎(1925-45)、ポーラの鈴木常司(1965-2005)の4人のみ。これじゃかなうわけないよ。

個々の作品を見ていくと、ドラクロワの《モロッコのスルタン》は小品ながらヴァーミリオンが効いて熱さが伝わってくる。セザンヌの《庭師ヴァリエ(老庭師)》は未完成ゆえ制作過程が生々しく残る。ボナールの《アンブロワーズ・ヴォラールの肖像》にはセザンヌの画中画が入っているし、同じくボナールの《室内》は鏡を巧みに配して画面を構成している。ゴッホの《日没を背に種まく人》は、同じ構図の《種まく人》が先日まで「ゴッホ展」に出ていたが、オリジナルはビュールレのほうだそうで、サイズもでかい。余談だが、モネ《ヴェトゥイユ近郊のヒナゲシ畑》、ドガ《リュドヴィック・ルピック伯爵とその娘たち》、セザンヌ《赤いチョッキの少年》、ゴッホ《花咲くマロニエの枝》の4点は10年ほど前に盗難にあったもので、いずれも100億円前後の値がつきそうな作品ばかり。

2018/02/13(村田真)

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絵画の現在

会期:2018/1/13~2018/2/25

府中市美術館[東京都]

1960-80年代生まれの7人の絵画展。最年長の白井美穂は、不可視の法則や運動を可視化させようとしている点で古典的ともいえるが、その色彩と描写は明るくポップで、どこかアンバランス。津上みゆきの作品は抽象表現主義的な絵画に見えるが、スケッチを元にした風景画で、今回は府中市内を渉猟して描いたものだという。いつになく遠近感や空気感が出ているように感じる。福士朋子は飛行機をモチーフにしたマンガチックな絵をホワイトボードに描いている。マンガチックな形式もさることながら、ホワイトボードにマジックというすぐ消せる画材を選んだところに注目したい。

今井俊介はコンピュータで画像を作成し、それをキャンバスに移して色を塗る。ポップ、オップ、ハードエッジ、ミニマル、デジタルといった要素を総合させたいかにも絵画らしい、いや絵画らしからぬ絵画というか。最年少の近藤亜樹は人物や動物や植物を極端にデフォルメし、鮮やかな色彩と大胆な筆づかいでグイグイ描いていて、見ていて気持ちがいい。これは相当に力のある人だ。ヴァラエティに富んだ選択で絵画の豊かさを堪能できそうだが、見終わってみると意外に物足りなさが残るのも事実。なにかもうひとつ、バリッと屹立するような圧倒的な存在感のある「絵画」を欲するのは、ないものねだりというものか。

2018/02/13(村田真)

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末永史尚「サーチリザルト」

会期:2018/1/19~2018/2/18

Maki Fine Arts[東京都]

キャンバスに巨匠の絵が15-30個ほど描かれている。ピカソ、モンドリアン、ミロ、モランディ、ロスコ、フォンタナ、北斎らの作品だ。これはネットで画家の名前を検索したとき出てくる画像をそのままの配列で描いたもの。こうした検索システムがどうなってるのか知らないけど、たぶん検索件数が多いほど上位に登場するだろうから、ここに描かれているのはその画家の人気のある作品、いいかえれば代表作ということになる。ピカソでいえば、《鏡の前の少女》《3人の音楽家》《アヴィニョンの娘たち》などが上位に入っている(試みにいま「ピカソ」で画像検索したら、3番目に岡本太郎の絵が入って来た)。作品の配列も間隔も色彩も、なるべくネット上に表示されたまま忠実に再現しているというが、たとえばホイッスラーの写実絵画などは細部が簡略化されていて、そこがいいんだな。作品と作品のあいだは白く区切られているので、一見コマ割りマンガのようにも見える。これはおいしい。3週間ほど前に見た「ジェネリック・オブジェクト」が身近な物体を絵画化する試みだとすれば、今回の「サーチリザルト」は、デジタル化され実体を失った絵画を再び絵画化(=物体化)する試みといえる。

2018/02/09(村田真)

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