artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

小川佳夫展

会期:2023/02/20~2023/03/11

ギャラリーQ[東京都]

ほぼモノクロームに近い下地の絵具の上に、ペインティングナイフでサッと、あるいはサッサーッと勢いのあるストロークで絵具を塗りつけている。地の色は決まっていないが、何色も混ぜたり重ね塗りしたりしているせいか分厚く、刷毛目が残り、独特のニュアンスが感じられる。その上に塗る絵具は下地とは明暗が逆で、乾いていない下地を抉って下層の絵具を露出させている場合もある。ストロークは不定形で一振りか二振り程度だが、どことなくひらがなを想起させ、書に見えないこともない。

あえて似ている作品を探せば、李禹煥の1980年代の〈線より〉か。しかし李は乳白色の地に群青でストロークを描くため、地と図の主従関係が明白で、どこか禅画を思わせるのに対して、小川は地の存在感が強いうえ、ストロークも線描というより面描というべき太さのものもあるため、地と図が対等に近い関係にあるように見える。一見、感覚的に思えるストロークも、実は入念に色彩や形態を考え抜いているのではないか。最近はイラストまがいのマンガチックな絵や、キーワードを入力するだけで画像が出てくるAI絵画などがはびこるなか、久々に絵画を見る喜びを伝えてくる。絵を見る喜びとは、それを描く人の喜びに共振するだけでなく、作者の苦悩をも同時に分かち合うことのできる贅沢で豊かな体験だと思う。


展示風景[写真提供:ギャラリーQ]



公式サイト:http://www.galleryq.info/exhibition2023/exhibition2023-007.html

2023/03/11(土)(村田真)

第16回 shiseido art egg YU SORA展

会期:2023/03/07~2023/04/09

資生堂ギャラリー[東京都 ]

展覧会場はほとんど白一色。壁掛けの平面も、床置きの立体もほぼ真っ白。平面のほうは、白い布地に黒い糸(例外的に白い糸もある)でハサミ、イヤホン、メガネ、椅子、腕時計、脱ぎ捨てた服といった身近な日用品のかたちを縫っている。白い地は真っ平らな平面ではなく、薄いクッションが入っているのか、縫った部分が少し凹んで浅いレリーフ状になっている。この黒い糸による線は物の輪郭線を表わしており、まさに身の回りにあるありふれた物体を一つひとつそれがなんであるか、どんなかたちをしているかを確認するかのように、まっさらな面に移し(写し)ていく行為の痕跡といっていいだろう。



展示風景[筆者撮影]


立体のほうは、机、椅子、ベッド、カーテン、食器、棚など平面に描かれたものよりは少し大きめの家具を真っ白い立体物として組み立て、その角やシワに沿って黒い糸を走らせている。つまり物体の凹凸を強調するかのように黒い線を重ね、輪郭を際立たせているようにも見える。だから立体作品ではあっても彫刻ではなく、あくまで輪郭線にこだわる絵画の延長であり、いわば立体絵画とでもいおうか。



展示風景[筆者撮影]


タイトルの「もずく、たまご」とは、ある日ローソンで買った買い物の品目らしい。そのレシートも作品化され、文字部分が黒い糸で縫われているが、いうまでもなく文字は平面に書かれるものだから輪郭線ではない。そう思って見直してみると、本のタイトルや牛乳パックの商品名は黒い糸で書かれていた。なるほど、そのものがなんであるかを認識するには、形態だけでなく文字も重要な情報になるという当たり前のことに改めて気づかせてくれる。レシートに文字が書かれていなかったら、ただの小さな四角い平面だもんね。ところで、なぜ「もずく、たまご」なのか。たまたま買っただけで、そこに意味を見出す必要はないが、あえて邪推すれば、モズクは黒くて細く、卵は白いので、彼女の作品の特徴を端的に表わしている。もっと突っ込めば、どちらもドロッと流動的で、ドライでクールな作品とのギャップが鮮やかだ。まあ彼女がそこまで考えていたかどうか知らんけど。


公式サイト:https://gallery.shiseido.com/jp/exhibition/5655/

2023/03/11(土)(村田真)

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弓指寛治 “饗宴”

会期:2022/11/23~2023/03/21

岡本太郎記念館[東京都]

南青山にある岡本太郎記念館は、太郎のパートナーだった敏子さんが太郎の死後その住処を改装して一般公開し、初代館長を務めた場所。その記念館で、2018年の岡本太郎現代芸術賞展で岡本敏子賞を受賞した弓指が個展を開くことになったとき、敏子の目線で太郎を見返してみることを思いついたのは至極真っ当なアイデアといえるだろう。

日常生活を過ごす敏子の姿を捉えた絵もあるが、ベッドでくつろぐ太郎を足から見上げたり、スキーで先を行く太郎が前方で待つ姿を描いたり、敏子ならではの視点がユニークだ。絵の稚拙さは否めないが(ヘタウマというよりヘタヘタ)、でも相手が岡本太郎だから許せるというか、むしろ稚拙さがほのぼのとした味わいを醸し出しているのも事実。また弓指の絵の合間に、後ろ向きの《太陽の塔》のレプリカや太郎自身の絵のほか、「わたくしは太郎巫女なの」といった敏子の言葉が挟まっているのもいい。なかには「俺が太郎で無くなったら どうしよう」「その時はわたくしが 殺してあげる」という並々ならぬ関係を示唆する言葉もある。

もうひとつの部屋では、《太陽の塔》と同時期にメキシコで制作された超大作壁画《明日の神話》にまつわる作品を展示。完成後30年以上行方不明になっていたこの壁画が2003年に発見され、それを日本に移送するのが敏子の最後の仕事になった。しかしあまりに巨大すぎるのでそのままでは運べず、いくつかに分割することになったが、そのときこぼれ落ちた8千個にも及ぶ絵のカケラを修復家の吉村絵美留氏がすべて保管し、日本で元通り修復したという。その破片を弓指は一つひとつ色違いの付箋紙に描いて壁中に貼り付けたのだ。敏子はこの壁画を日本で見ることなく2005年に急逝。壁には付箋紙に混じって、「敏子の棺の中にはメキシコから持ち帰ったばかりの赤色のカケラを入れた」との言葉も。太郎愛と、それ以上の敏子愛に貫かれた展覧会。


公式サイト:https://taro-okamoto.or.jp/exhibition/弓指寛治-饗-宴/

2023/03/08(水)(村田真)

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ルーヴル美術館展 愛を描く

会期:2023/03/01~2023/06/12

国立新美術館[東京都 ]

日本ではトリエンナーレ並みの頻度で開かれる「ルーヴル美術館展」だけに、さすがにネタが尽きてきたのか、今回は「愛を描く」をテーマに、西洋美術史のなかでもルネサンスと印象派に挟まれた、日本人にもっともなじみの薄い(はっきりいって人気のない)17-18世紀のバロック・ロココ・新古典主義を中心に集めてきた。出品作品は16世紀から19世紀まで計73点だが、うち17-18世紀が9割近くを占めている。この時代の絵画というと、たいてい乳白色の豊満なヌード女性のまわりを羽根の生えた裸の小僧が飛び交うみたいな、うんざりするほど甘美なやつだ。しかもフラゴナールの《かんぬき》とかジェラールの《アモルとプシュケ》が目玉作品というから、内容は推して知るべし。実際、プロローグと第1、2章までは5分ほどで駆け抜けた(もちろん時間に余裕があればゆっくり見たいけど)。

足が止まったのは後半、「人間のもとに──誘惑の時代」というサブタイトルの第3章。特に17世紀オランダの風俗画は、絵画を読み解く楽しさにあふれている。たとえばスウェールツの《若者と取り持ち女》は、若い男性と老婆が向かい合う構図で、娼婦を買いに来た若者とそれを仲介する取り持ち女を描いたもの。若者は斜めを向いた顔に光が当たり、老婆は横向きでしゃくれ顎が目立ち、逆光になっている。小品ながらこの1枚に男と女、若と老、美と醜、光と闇といった人間の対比を鮮やかに浮かび上がらせている。

テニールスの《内緒話の盗み聞き》は農家の室内を描いたもので、横長の画面の左右ではまったく別の物語が進行中だ。左手前では男が若い女にワインを勧めながら誘惑し、その上の窓から老婆がふたりを見下ろしている。画面の右奥では数人の男が暖炉の前でタバコを吸ったり、薪を運んできたりする様子が描かれる。室内空間の右と左、上と下、手前と奥、内と外という構造を、それぞれ別の登場人物を配置しながら小さな画面のなかに巧みに織り込んでいる。

きわめつきは、ホーホストラーテンの《部屋履き》だ。画面右に把手のついたドアがあるので室内をのぞいたところだろう。左の壁には箒が置かれ、中央に戸口がふたつ連続している。何重にも入れ子構造になった絵画空間。奥のドアには鍵が刺さったまま、その下にはタイトルになった部屋履きが脱ぎ捨てられている。箒、部屋履き、鍵、本、ロウソクと意味ありげなものが散りばめられ、謎かけをしているようだ。しかし人がだれもいないのに、なぜこれが「愛を描く」テーマの展覧会に入っているんだ? と思ったら、奥の壁に娼婦と若者を描いた絵が画中画として描かれているではないか。ここから、「この家の女主人は愛の悦びに屈し、あまり道徳的ではないことに時間を費やすために自分の仕事を怠っていると考えるのが自然だろう」とカタログは解説する。自然か? さらに脱ぎ捨てられた部屋履きや閉じられた本により、「エロティシズムがさりげなく暗示されているのである」とまでいう。すげえな、なんでも愛=エロティシズムに結びつけてるぜ。


公式サイト:https://www.ntv.co.jp/love_louvre/

2023/02/28(火)(村田真)

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FACE展2023

会期:2023/02/18~2023/03/12

SOMPO美術館[東京都]

11回目を迎える公募展、今回は1,064人の応募作品から81点の入選作品を展示。そのなかからグランプリはじめ9点の受賞作品が選ばれた。入選倍率は約13倍、そのうち受賞倍率は9倍という狭き門。さぞかし秀作が集まっていると思いきや、漫画やイラストみたいな薄っぺらい絵や、どこかで見たことあるような図柄、子どもが描いたような拙い作品が目につく。あれ? こんなもん?

確かに野口玲一審査員長がカタログのなかでいうように、「ここには美術史が語ってきた時代様式も、前衛のグループも存在しない。メインストリームに乗る必要も、時代遅れを気にすることもない。描くことにおいて何でもありの自由な選択肢を手に入れているのだ」とは思うけど、それで果たして「絵画についていま、私たちは何と豊かな世界を手に入れたのだろう」といえるだろうか。学芸会ならいざ知らず、100号前後の大画面に油絵具なり岩絵具なりを使って描くのだから、曲がりなりにも後世に残るような普遍的な絵画を目指すもんじゃないの? 豊かになったどころか、むしろ薄く、貧しく、刹那的になった気がするんだけど。

と思ったら、藪前知子審査員のコメントがしっくりきた。若い世代の作家たちは、ひとつの選択肢として「今この現在の瞬間における、鑑賞者との共感のためのプラットフォームとして絵を描く」というのだ。なんとなく感じてはいたが、改めてうなずいた。そうか、彼らは絵画に普遍性なんか求めていないんだ。紙に落書きでもするように、いや、SNSで発信するように描いているのか。それで「いいね!」をもらえればいいのか。もはや絵画に対する考え方というか、構えが違うらしい。そう思ってカタログで出品作家の生年を調べてみたら驚いた。入選者の最年少が16歳の現役高校生というのもすごいが、最年長は74歳の独立美術協会会員で、かつて安井賞展にも入選したことがあるというからびっくり。この公募展には年齢制限がないんだね。ちなみに今回は8歳から87歳までの応募があったという。「FACE展」は懐が深い。

いやそういうことではなく、作家の生年と作品図版を比べてみたら、年齢と絵に対する構えにはほとんど相関関係がないらしいことがわかって愕然としたのだ。マンガチックなドローイングが中年男の作品だったり、渋い日本画の作者が21世紀生まれだったりして、まさに野口氏のいうとおり。なんだかぼくだけが時代についていけてないだけなのかもしれない。がっくし。でも藪前氏が個人賞に選んだ柳澤貴彦の《bonfire》をはじめ、受賞作品の多くが構築性の高い作品なので少し安心した。

ほかに言及すべき作品はいくつかあるけど、1点だけ触れたい。桃山三の《花兜─ただ春を乞う》だ。画面全体が花兜を被った幼児たちや色鮮やかな花の装飾で丁寧に、オールオーバーに覆われている。まずそれだけでも目を惹くが、少し離れてみて驚いた。背景に赤茶けた戦車が浮かび上がってきたからだ。花兜の幼児たちが戯れているのは廃戦車の上なのだ。そもそも兜は戦いで使う武具であり、これが子どもまで犠牲に巻き込む戦争に対する抵抗の表現であることはタイトルからも想像できる。「共感のためのプラットフォーム」はこういうものであってほしい、とジジイは思うのだ。


公式サイト:https://www.sompo-museum.org/exhibitions/2022/face2023/

2023/02/17(金)(内覧会)(村田真)

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