2018年06月15日号
次回7月2日更新予定

artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

コレクション・ハイライト+特集「女たちの行進」

会期:2018/02/24~2018/06/17

広島市現代美術館[広島県]

コレクション展示室では1階で「コレクション・ハイライト」、B1で特集「女たちの行進」を開催。「ハイライト」のほうはマルセル・デュシャンの《フレッシュ・ウィドー》、ヘンリー・ムーアの《アトム・ピース》、レオン・ゴラブの《ベトナムⅢ》、篠原有司男の《オートバイX-50》など男性作家のみで、マッチョな作品が目立つ。対してB1の「女たちの行進」はもちろん女性作家ばかり。このタイトルは昨年、女性差別的な発言を繰り返すマッチョの固まりみたいなトランプが大統領に就任した直後、全米各地で繰り広げられた「ウィメンズ・マーチ」に由来するものだが、とくにジェンダーやフェミニズムに関連する作品を集めたわけではない。草間彌生のファロス的造形や石内都のモチーフの選択は女性ならではのものだが、ルイーズ・ニーヴェルソン、アグネス・マーチン、田中敦子らの作品からは女性性はあまり感じられない。

一方、女性差別を解消しようという運動はしばしば反戦・反核運動とも結びつく。その代表格が同展最多の6点を出しているナンシー・スペロで、ナチスに対するレジスタンス運動に加わり処刑されたユダヤ人の女性像《マーシャ・ブルスキナ》は、同展のリーフレットの表紙にも使われている。ちなみに彼女のパートナーは1階でベトナム戦争を主題にした大作を出しているレオン・ゴラブで、ともに1996年にヒロシマ賞を受賞した(すでに2人とも故人)。広島市現代美術館ならではのアーティストであり、大きく扱われるゆえんだ。

2018/03/31(村田真)

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阿部展也—あくなき越境者

会期:2018/03/23~2018/05/20

広島市現代美術館[広島県]

戦時中に国威発揚を目的として描かれた戦争画に対して、戦後になって戦争の悲惨な光景や途方に暮れる心情を表わした絵を「敗戦画」と呼んでみたい。鶴岡政男《重い手》、北脇昇《クォ・ヴァディス》、丸木位里・俊《原爆の図》などがそれに当たる。あばら骨の浮き上がった男たちが横たわる阿部展也の《飢え》も、その代表的な1点に挙げていいだろう。実は私、恥ずかしながら阿部展也の作品はこれしか知らなかった。いったいどんな画家だったのか? てわけで、わざわざ広島まで足を延ばすことにしたのだが、行ってガッカリ、夏には新潟市美、秋には埼玉近美に巡回するではないか! 早く言ってよ。

阿部は大正に改元されて間もない1913年生まれ(なんと、同い年の篠田桃紅はまだご健在!)。独学で絵と写真を学び、キュビスムおよびシュルレアリスム風の絵を描いていたが、その後ほとんど焼失してしまう。太平洋戦争が始まると陸軍宣伝班として徴用されてフィリピンに従軍したものの、画家としてではなく写真家としてだった。敗戦で捕虜になり、翌年帰国。ここから約10年間は戦前からの有機的なフォルムに人のかたちを重ねたグロテスクな人間像が多く、《飢え》もそのころの作品だ。ところが50年代なかばから抽象化が進み、1957-58年の欧米旅行を機にアンフォルメルに移行。その後もエンコースティックを用いたマチエール豊かな抽象、楕円や多角形をモチーフとするやや錯視的なハードエッジの色面構成とめまぐるしくスタイルを変化させていく。

しかしこの変貌ぶりが腰軽に映ったのか、阿部の後半生の作品はあまり評判がよくない。スタイルが変わること自体は悪いことではないけれど、阿部のめまぐるしい変化はまるで時流に合わせているように見えるのだ。もうひとつ、彼は5年間のフィリピン生活で身につけた英語力を買われて海外の調査や国際交流に時間を割き、また写真の撮影や評論の執筆と多方面で活躍し、晩年はローマに永住したが、このように活動の幅を広げすぎたことも彼の仕事の捉えがたさにつながったのかもしれない。こうして見ると、もっとも独創的で心に残るのは、やはり《飢え》をはじめとする敗戦後10年間のグロテスクな人間像ということになる。

2018/03/31(村田真)

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ブリューゲル展 画家一族 150年の系譜

会期:2018/01/23~2018/04/01

東京都美術館[東京都]

昨年から「ブリューゲル『バベルの塔』展」「ベルギー奇想の系譜」「ルドルフ2世の驚異の世界展」と、ブリューゲル作品が何点も公開されている。いよいよ世もマニエリスム期に入ってきたか。ところで、ご存知のようにブリューゲルといっても1人ではない。あの《バベルの塔》を描いた有名なピーテル・ブリューゲルの子孫の多くも画家になったため、単に画家のブリューゲルでは区別がつかない。しかもややこしいことに、ピーテルの長男は同じくピーテルという名で、次男はヤンだがその息子(ピーテルの孫)がまたヤンといい、その息子にヤン・ピーテル・ブリューゲルというのがいるから、もうヤンなっちゃう。以前、長男のピーテルは地獄図を描いたから「地獄のブリューゲル」、次男は花の絵を得意としたので「花のブリューゲル」と称されていたが、近年は父親をピーテル・ブリューゲル(父)、長男をピーテル・ブリューゲル(子)、次男をヤン・ブリューゲル(父)、その息子をヤン・ブリューゲル(子)と表記するようになった。でもそうすると、兄弟の兄が「子」で弟が「父」になってしまい、こりゃ変だというので今回は1世、2世と表記している。

さて、本家のピーテル1世は油彩画を約40点しか残してないため、所蔵先はなかなか日本には貸してくれない。今回も他者の筆が入った油彩の共作が2点、1世が下絵を手がけた版画が9点のみで、真筆の油彩は1点もない。いちばん多いのはヤン1世と2世で、全101点の出品作品のうちおよそ半分を占める。出品作家は一族の周辺の画家も含めて10人以上いるのに、この偏りはなんだろう? これと関連してか、所蔵先が明記してあるのは5点のみで、残り96点は匿名の「個人蔵」になっている。この「個人」が同一人物なのか複数いるのか、どこの人なのかわからないが、想像するにワケあって名を明かせないヤン・ブリューゲル大好き人間ではないか。ちょっと興味を惹かれる。

2018/03/29(村田真)

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ヌード NUDE—英国テート・コレクションより

会期:2018/03/24~2018/06/24

横浜美術館[神奈川県]

ありそうで意外になかったのが「ヌード展」。なぜなかったのかといえば、西洋美術ではヌードはあまりに当たり前で、あまりに作例が多すぎるため、「ヌード展」なんて大ざっぱなくくりでは成立しないからだろう。したがって「ルネサンスのヌード」とか「横たわるヌード」とかテーマを設けるのが普通だ。この展覧会はとくにテーマを掲げていないが、「英国テート・コレクションより」というサブタイトルが同展の性格をある程度物語っている。つまり、保守的な伝統を持つイギリスの、近現代美術を専門とするテート・コレクションから選ばれたヌードであり、いいかえれば19世紀のヴィクトリア朝時代の保守的なヌードも、現代美術における革新的なヌードも期待できるというわけだ。もうひとつ重要なのは、これらの作品を選んだキュレーターが女性であること。内覧会の記者会見に出たら、テート学芸員で同展を監修したエマ・チェンバース氏をはじめ、館長の逢坂恵理子氏、担当学芸員、司会、通訳も含めて登壇者全員が女性だった。ここから展覧会の性格もおぼろに見えてくる。

出品作品は計134点。うち18世紀が2点、19世紀と21世紀がそれぞれ20点前後で、あとは20世紀の作品。展示は必ずしも時系列に沿っていないが、大ざっぱに時代を追いながら、「物語とヌード」「モダン・ヌード」「エロティック・ヌード」「身体の政治性」など小テーマに分かれている。第1章「物語とヌード」では、ジョン・エヴァリット・ミレイやフレデリック・レイトンら19世紀の古典的なヌード像を堪能できるが、唯一の女性画家アンナ・リー・メリットが描くのは男の子の後ろ姿のヌード。当時は女性画家自体が少ない上、女性が男性ヌードを描くことが許されていなかったのだ。ドガやルノワールが登場する第2章「親密な眼差し」でも、女性画家はグウェン・ジョンただひとり。かつてフェミニストのグループ、ゲリラガールズが「近代美術で女性アーティストは5パーセントしかいないのに、ヌードモデルの85パーセントは女性だ」と喝破したのを思い出す。

同展最大の見どころといえば、第4章の「エロティック・ヌード」だろう。ロダンの《接吻》をはじめ、ターナーやピカソらの男性目線による春画が出ているが、それだけでなくホックニーによるホモセクシュアルな表現や、ルイーズ・ブルジョワによる恋人たちのダンスを描いた版画もある。第7章「身体の政治性」では、マルレーネ・デュマスやサラ・ルーカスら女性アーティストが半数となり、最後の第8章「儚き身体」では、シンディ・シャーマン、トレイシー・エミンら5人中4人が女性で占められている。つまり男女比は第1章と逆転したわけで、展覧会全体を通して、女性が男性のためのヌードから自身の身体を取り戻していく過程と読み解くこともできる。まあそれはそれとして、ぼくが個人的に好きなのは、スタンリー・スペンサー、ルシアン・フロイド、ジョン・カリン(全員男性)のいかにも肉肉しいヌードたち。脂肪の乗った滑らかな身体を表わすには油絵具がもっともふさわしいのだ。

2018/03/23(村田真)

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真島直子 地ごく楽

会期:2018/03/03~2018/04/15

名古屋市美術館[愛知県]

ぼくが真島直子の作品を知ったのは(たぶん真島本人を知ったのも)、80年代終わりにアートフォーラム谷中で工藤哲巳とコラボレーションをやっていたころだと思う。でも年譜を見たら70年代末から村松画廊やコバヤシ画廊で発表しているので、それ以前にも見ていた(会っていた)かもしれない。ともあれそのころは工藤に同調するかのようなドロドロとしたオブジェをつくっていたように記憶する。本格的に制作に打ち込むのは工藤の死後、90年代に入ってからで、出品作品の大半もそれ以降の作品だが、やっぱり内臓か寄生虫を思わせる、本人いわくニュルニュルニョロニョロしたオブジェだった。

そのニュルニュルニョロニョロを鉛筆で描いたドローイングを発表するのが90年代末からで、これはスゴイと思った。樹木のような、細胞のような、精子のような、とにかく大きな画面いっぱいにびっしり描かれた濃密な鉛筆画には中心も階層もなく、ただなにかがうごめいているだけ。このシリーズは多くの人の共感を得たようで、2002年のバングラデシュ・アジア・ビエンナーレではグランプリを受賞している。ただその後も鉛筆画と並行してボロボロの死体みたいなグロテスクな立体や、ドローイングのカラー版みたいな油彩も制作しているが、単色の平面である鉛筆画のほうがストレートに共振してくる。これに対抗できるものがあるとすれば、草間彌生の初期作品くらいだろう。そういえば、親の反対にもかかわらず強引に美術の世界に進んだところなども、草間を思い出させる。

2018/03/16(村田真)

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