村田真:著者で見る|美術館・アート情報 artscape

2018年08月01日号
次回9月3日更新予定

artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

ラ コリーナ近江八幡

ラ コリーナ近江八幡[滋賀県]

藤森照信の設計した屋根に草の生えた建物は図版で見たことあるけど、それがなんの建物なのかは知らなかった。今回は生徒が予約してくれたのでただついていくだけだが、着いてみて驚いた。まるでジブリの世界を現実化したような大人心をくすぐる世界。いやもちろん子供心もくすぐるだろうけど、どっちかというと大人のほうが喜びそうな異世界だ。

緑に覆われた三角屋根の建物に入ってさらに驚いた。なんだお菓子屋じゃねーかよ! やけに混み合ってるなと思ったら、バウムクーヘン売り場の前にできた長い行列が、もはや線ではなく面と化して幅を利かせているからだった。ここは和洋菓子の「たねやグループ」のショップ、本社、飲食店だけでなく田畑まで備えた一大ゾーンなのだ。そういえば午前中、生徒たちに連れられてお茶とケーキをいただいたクラブハリエ日牟禮ヴィレッジも、たねやグループだったのね。し、知らなかった……。

3時すぎ、ツアー担当のおねえさんが登場し、敷地内を案内してくれる。おねえさんは、お菓子をつくりたくて入社したのに、なんで田舎者を連れてツアーやんなきゃいけないのかしら? みたいな素振りはいっさい見せず、ニコニコと草屋根の裏に広がる田んぼ、銅屋根の本社最上階の展望室と藤森ミュージアムなどを案内してくれた。最後の藤森ミュージアムには、ラ コリーナのスケッチやマケットなどが展示されていて、ツアー客でないと入れないという。これは得した気分。田んぼに4つの巨岩が並んでいるのを見て「もの派」を思い出したが、藤森の発想は案外もの派に近いというか、もの派をメルヘンチックに味付けした世界観ではないか。世代的にももの派のほんの少し後だし。

ラ コリーナ メインショップ

ラ コリーナ 田んぼ(手前)とオフィス棟(奥)

2018/05/27(村田真)

GIRLS 毎日を絵にした少女たち

会期:2018/04/28~2018/07/29

ボーダレス・アートミュージアムNO-MA[滋賀県]

BankARTスクールのツアー2日目は近江八幡の建築巡り。カフェとして使ってる日牟禮館やヴォーリス記念館、ヴォーリス学園など市内に点在するヴォーリス建築を見学の途中、立ち寄ったのが町家を改装したボーダレス・アートミュージアムNO-MA。滋賀県はアウトサイダーアートへの取り組みが盛んだが、ここも2004年の開館以来さまざまなアウトサイダーアートを紹介してきた場所。今回は高齢になってから絵を描き始め、長寿をまっとうした塔本シスコ、仲澄子、𡈽方ゑいの3人の女性の作品を紹介。3人とも1910年代(大正初期)の生まれで、それぞれ50代、70代、80代になってから絵を描き始め、いずれも100歳前後まで(つまり最近まで)生きてきたというから驚きだ。とんでもなくスロースターターだが、逆にいうとそれだけ記憶も経験も豊富で、描く材料にはこと欠かなかった。

この3人のなかでは塔本シスコが比較的知られているが、やはり絵もいちばんインパクトがある。まず色彩が強烈で、画面も左右対称花や人物などのモチーフはパターン化され、繰り返し描かれるというアウトサイダーアート特有の特徴が見られる。仲澄子と𡈽方ゑいはどちらも70-80年間ため込んだ記憶を描き留めた絵日記のようなもの。だれでも描けるといえば描けるし、ヘタであればあるほど味わい深く感じられもする。ここらへんが単なるヘタとの微妙な違いだ。ふと思うのは、彼女たちはほぼ同世代で、趣味(なのか?)も似ているので、お互いに交流を持っていたらどうだったろう。激動の時代を生きてきただけにみんな積もる話はたくさんあるだろうし、交換日記なんかしていたら新しい世界が広がっていたかもしれない。でもそれぞれの絵の独自性は薄まっていったかもね。

2018/05/27(村田真)

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猿楽と面 大和・近江および白山の周辺から

会期:2018/03/19~2018/06/03

MIHO MUSEUM[滋賀県]

BankARTスクールの美術館講座を一緒に担当した和田菜穂子センセーと、生徒たちを連れて滋賀県の旅。ほんとはお膳立てをしてくれた生徒たちに連れられての旅なのだが。まずは石山駅前のバス停で待ち合わせ、人里離れた山奥にあるMIHO MUSEUMへ。今日は天気もよく、渓流をながめながら遠足気分。バスの到着したレセプション棟から徒歩でトンネルと橋を通り、臨死体験または出生を再体験しながら美術館に向かう。トンネルを抜けると正面にイオ・ミン・ペイ設計の神社みたいなガラスの屋根のエントランスが見えてくる。ここは熱海のMOA美術館を運営する世界救世教から派生した神慈秀明会が建てた美術館で、「MIHO」は創立者の小山美秀子(みほこ)の名に由来する。どちらも自然農法を提唱しているせいか、自然環境の豊かな場所を選んでおり、ロケーションは抜群だ。

さて、今回の目的は「美術鑑賞」ではなく「美術館鑑賞」なので、展覧会の「猿楽と面」には期待してなかったけど、各地から集められた350点もの「面」をぼんやり見ていくうちに、だんだん薄気味悪くなってきた。面というのは顔、しかもおそらく生身の人間が被っていたものだから、ただ見るだけの絵画や彫刻とも陶磁器などの工芸品とも違う「妖しさ」が染み込んでいるのかもしれない。そんな「妖気」にあてられたのだろうか。しかも素材は木という生きものなので、石や金属に比べて人肌に近い。石や金属の面が骸骨だとすれば、木彫は「肉面」か。なかには彩色された表面の顔料がはがれて、まるで焼死体のようにボロボロになった面もある。あー見ていて怖くなってきた。

2018/05/26(村田真)

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21世紀の美術 タグチ・アートコレクション展 アンディ・ウォーホルから奈良美智まで

会期:2018/04/21~2018/06/17

平塚市美術館[神奈川県]

ついでに入った展覧会だが、おもしろい作品がいくつかあった。まず入口脇の壁に掛けられていた淺井裕介の泥絵。高さ7メートルはあろうかという大きな布に土で絵を描いた作品だが、ふだんどうやって保存しているのか、土は落ちないのか心配になる。ジョナサン・モンクの《アフター・スプラッシュ》は青いプールと家を描いたものだが、これはホックニーの有名な《ビガー・スプラッシュ》を知らないとわからない。ホックニーは水しぶきの上がるプールを描いたが、モンクは飛沫を消しているのだ。今津景の《サルダナパールの死》も似たような発想で、ドラクロワの同題の物語画の現代版で、人物や馬が去った後の散乱した室内を描いたもの。これは見事。

ヴィック・ムニーズの《デルフトの眺望(裏面)》は、フェルメールの《デルフト眺望》というタブローの裏側を見せた作品。もちろんニセモノだが、ムニーズはこのために綿密に調査して裏側を正確に再現したという。青山悟の《About Painting 2014-2015》は小さな刺繍で再現した名画を、縦軸の「ラディカル―コンサバティブ」、横軸の「パーソナル―ソーシャル」という座標に当てはめていった作品。ここに挙げた作品は淺井を除いて、すべて美術史を主題にしたり名画をいじったものばかり。ぼくの好みもあるが、外の世界に目を向けるより美術内に宝物が隠されているという認識は、ポストモダン時代ならではの見方だろう。

2018/05/20(村田真)

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岡村桂三郎展―異境へ

会期:2018/04/21~2018/06/24

平塚市美術館[神奈川県]

熱海から「岡村桂三郎展」の開かれている平塚へ。岡村の作品は毎春コバヤシ画廊で開かれる個展を何度か見たくらいで、こうしてまとめて見るのは初めて。会場に入ると、まず80-90年代の初期作品が並ぶ。最初の作品は東京藝大の大学院を修了した1985年の《肉を喰うライオンA》で、このころから動物をモチーフにしていたことがわかる。これが導入部で、次に魚や幻獣などを描いた高さ2メートル少々の板パネルが迷路状に並んでおり、そのあいだを通っていくと、高さ3メートルを超す屏風状の大作に囲まれる。これらがここ10年余りのうちに描かれた作品群であり、画廊サイズに合わせて制作されたシリーズをいったん解体し、再構成したものだ。だから1点1点を絵画としてみるより、全体でひとつのインスタレーションとして見るべきだろう。

照明が暗く、画面もほとんどモノクロームなので、そこに彫られた(ここでは「描く」と「彫る」がほぼ同じ)目や動物の輪郭は把握できるものの、それがなんであるかはよくわからない。わからないのも当然で、迦楼羅とか龍とか百鬼とか実在しない怪物が多い上、身体がはみ出して画面に全体が収まっていないからだ。いわゆる群盲象をなでる感覚。それで思い出したが、長沢蘆雪の《白象黒牛図屛風》にどこか似ている。ともあれこの入魂のインスタレーション、「動物画」とか「日本画」みたいな狭い枠で語られることがないよう祈るばかりだ。

2018/05/20(村田真)

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