2018年04月15日号
次回5月15日更新予定

artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

小沢剛 不完全─パラレルな美術史

会期:2018/1/6~2018/2/25

千葉市美術館[千葉県]

会場に入って最初に目に飛び込んでくるのが、白い綿の固まりから首を出す数十体の石膏像だ。マルス、ヴィーナス、ヘルメス、ブルータス、モリエール……仏頭まである。美大予備校に通ったことのある者にはおなじみの像で、白い綿から見え隠れするさまは雲上の神々といった趣だ。そう、極東の予備校生からすればこれらの石膏像は美術の神々だった。その向こうの壁には石膏デッサンが20点ほど並んでいる。青木繁や中澤弘光らのサインも入っているので、明治期に美術学校で描かれたものだとわかる。石膏デッサンは欧米ではとっくに廃れてしまったが、日本では明治以来100年以上の歴史があるわけで、もはや日本画と並ぶ伝統芸術といっていいかもしれない(いまでも受験に使われているのだろうか?)。しかしよく見ると、いまのデッサンとは違って背景を描かず、輪郭線が強調され、陰影の描き方が平坦に見える。これって19世紀後半のジャポニスムの時代に、ヨーロッパの画家が日本美術から学んだ描き方じゃなかったか? それが反転して日本に逆輸入されたってわけか。この石膏像とデッサンを合わせたインスタレーションのタイトルが、展覧会名にも使われている《不完全》というものだ。これは岡倉天心の『茶の本』のなかに繰り返し出てくる言葉らしいが(読んだことないけど)、それは完全ではないというネガティブな意味ではなく、完成に向かう可能性を秘めた状態を指す言葉だという。なるほど、西洋美術を目指しながら永遠に追いつくことのない日本美術を指すにはふさわしい言葉かもしれない。

以下、《金沢七不思議》も《す下降にンバンレパ兵神神兵パレンバンに降下す》も《帰って来たペインターF》も《油絵茶屋再現》も《醤油画資料館》も《なすび画廊》も、すべて日本が西洋美術(油彩画)を受容する過程で生じたズレや勘違いをユーモラスに表現したものばかり。たとえば《油絵茶屋再現》は、明治初期に油絵が導入されたとき、画家たちはそれをどこに飾り、どうやってお金にすればいいのか知らなかったため、見世物小屋よろしく小屋を建てて作品を飾り、お茶代を取ったという。それを可能な限り再現したものだ。《醤油画資料館》は、狩野派から草間彌生まで醤油で描いた日本美術を一堂に集めたもので、日本の象徴ともいえる醤油が油絵の代わりに画材として採用されていたらこうなっていただろうという「仮説」の資料館だ。《す下降にンバンレパ兵神神兵パレンバンに降下す》と《帰って来たペインターF》は、日本美術の特異点ともいうべき戦争画に焦点を当てた作品だし、《なすび画廊》は日本独自のガラパゴス現象である貸し画廊に切り込んだもの。いずれも日本美術の奇形的な部分を俎上に上げている。90年代にこうした傾向の作品が登場してきたとき、たしか「自虐的美術史観」と批判した人がいたが、笑いをもって自己を批評する態度は「自ギャグ的」というべきかもしれない。

2018/02/02(村田真)

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未来を担う美術家たち 20th DOMANI・明日展

会期:2018/1/13~2018/3/4

国立新美術館[東京都]

文化庁が続けている新進芸術家海外研修制度(かつて在外研修制度と称していたため「在研」と呼ばれる)の成果を発表する展覧会。在研はすでに半世紀の歴史があるが、展覧会は今年で20年。今回は1975-88年生まれで、ここ5年以内に研修経験を持った11人のアーティストが出品。中谷ミチコは粘土で人物や動物の彫刻をつくり、それを石膏で型取って雌型にし、そこに着色した樹脂を流し込んで固めた一見凹型レリーフながら表面は平らという、ユニークな彫刻を制作している。ドレスデン滞在を経て作品はより大きく、より複雑になった。今回は壁に掛けるのではなく材木を組んだ上に展示したため、裏側がどうなっているのかという好奇心にも答えてくれている。研修先にケニヤを選んだ西尾美也は、街ですれ違った通行人と衣服を交換して写真に撮るというプロジェクトを続けているが、今回はケニヤ人に東京に来てもらいその役を託した。その結果、パツパツの女性服を着た大きなケニヤ人と、ダブダブの革ジャンを羽織った小柄な日本人という対照的な構図ができあがった。そのほか、日本各地で発掘された陶片と、明治期に来日したエドワード・モースを結びつけるインスタレーションを発表した中村裕太や、戦前は体操選手としてベルリン五輪に出場し、戦後は尺八奏者として活躍した人物の生涯をフォトグラムによって表わした三宅砂織など、日本を相対化してみせた作品に興味深いものがあった。

いずれも仮設壁で仕切られた空間内で行儀正しく作品を見せているが、そうした展覧会の枠組みそのものを問おうとした作家もいる。雨宮庸介は、過去につくられた作品を見せる場なのに、なぜ「明日展」なのか、しかもイタリア語なのかと疑問を投げかけた。これは実際だれもが思うところで、文化庁の林洋子氏もカタログ内で、「なぜ『明日』なのか、なぜイタリア語なのかというツッコミを受けつつも(それは20年前のムードとしかいまでは答えようがない)」と告白している。そこで雨宮は完成作品を展示するのではなく、「人生で一番最後に作る作品の一部を決めるための練習や遂行をしている」状態を現出させるため、その場で制作することにしたという。会場で作業している人を見かけたら、たぶん雨宮本人だ。体よく収まった展示より説得力がある。

2018/01/29(村田真)

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松下徹 開閉しろ都市 Part2「常磐の部屋」

会期:2018/01/12~2018/02/03

SNOW Contemporary[東京都]

白い放物線が少しずつズレながら何十本もきれいに引かれている。振り子から絵具を垂らして描いたそうだ。その曲線に沿って切り取った板を組み合わせて1枚の絵にしている。ほかにもペンキを塗った板を円や四角に切り抜いて別の板にはめ込んだり、厚さの異なる板をレリーフ状に重ねたり、余った端材を壁の下に並べたり。フランク・ステラのフォーマリズムとイミ・クネーベルの放置感とストリートアートの即興性をミクストアップした、最良のジャンクアート。

2018/01/24(村田真)

Unknown Sculpture #6 末永史尚「ジェネリック・オブジェクト」

会期:2018/1/11~2018/1/28

ギャラリー21yo-j[東京都]

塀に使われるブロックが8個×2段で計16個、床に斜めに置かれている。そのいくつかにはバツ印や井桁、半円を山型に3つ重ねた青海波などの装飾が描かれている。タイトルの「ジェネリック・オブジェクト」から推測するに、これは最大公約数的なブロック塀か。四角い物体ならなんでも「絵画化」してしまう末永の新作だ(これは床置きなので「彫刻化」かもしれない)。壁には高さ5センチ、厚さ2センチほどの正方形や円形を組み合わせたような物体が突き出ている。が、展示している高さがそれぞれ異なり、色も赤や青などさまざま。これはなんだか見覚えがあるな……、この形、この大きさから察するにメジャー(巻尺)ではないか。ちょうど壁の高さを測っている状態にも見える。

ギャラリーの隅に目を転じると、ベージュと水色の四角い平らな箱がひとつずつ。これはなんだろう? ヒントは手ごろなサイズと、側面にある、折り曲げてできたような三角形にありそうだ。作品リストを見ると、正解はコピー用紙の包み。ま、正解もハズレもないが、モチーフはどれもそこらにある身近なモノばかり。それを「ジェネリック・オブジェクト」に還元して、壁、床、壁と床の境界といった絵画や彫刻の生息場所に置いている。いやーおもしろい。ギャラリーを出たら右手に青海波のブロック塀が目に入って来た。ここにあったか。


2018/01/18(村田真)

村上華子展 ANTICAMERA(OF THE EYE)

会期:2017/12/11~2018/1/19

第一生命ギャラリー[東京都]

重厚な第一生命日比谷本店のビルを入ってギャラリーに向かうと、入口から金の額縁が目に飛び込んでくる。このギャラリーには似つかわしくない作品だなと思いつつ入室してみると、額縁ではなく、縁が黄金色をした大きなプリントであることがわかる。いやそれは最初からわかっていたんだけど、いちおう書き出しとして知らんぷりして書いてみました。第一生命がスポンサーを務める「VOCA展」で昨年、佳作賞を受賞した村上華子の個展。「ANTICAMERA(OF THE EYE)」と題するシリーズは、100年ほど前に生産されたものの、未使用のまま残されていた最初期のカラー写真「オートクローム」の乾板を現像したプリント作品。だからなにかが写っているわけではなく、100年のあいだにわずかながら光学的・化学的変化を起こしてシミのような偶然の模様が成長したのだ。額縁のように見えたのも、乾板の周囲にたまたま瑪瑙のような美しいパターンが現出したもの。作者もこれを見て「お、これは絵画だ!」と思ったのではないか。

2018/01/16(村田真)

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