2018年01月15日号
次回2月1日更新予定

artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

生誕120年 東郷青児展 抒情と美のひみつ

会期:2017/09/16~2017/11/12

東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館[東京都]

ぼくが初めて知った日本の画家は、たぶん東郷青児だと思う。幼いころ東横線沿線に住んでいたので、たまに父親が自由が丘のモンブランの洋菓子を買ってきてくれたのだが、その包装紙をデザインしていたのが東郷青児だったからだ。星空にのっぺりした女性の姿が描かれたもので、多少絵心のあった母親の口から「トーゴーセージ」という名を聞いたように思う。もっとも子どもにとっては包装紙より中身のほうがはるかに重要だったが。ともあれ東郷青児という画家は、ぼくのなかでは最初はとても甘美な思い出とともにインプットされていた。それが長じて美術に興味を持つようになると、その甘美すぎる絵柄とは裏腹の二科会のドンとして君臨する「帝王」の顔がかいま見えてきて、すっかり興ざめしてしまう。その彼が大正時代にキュビスムや未来派のスタイルをいち早く導入した前衛画家であることを知るのは、ずっとあとのこと。そんなわけで、東郷青児はぼくのなかでは浮沈の激しい画家なのだ(考えてみれば藤田嗣治も岡本太郎もぼくのなかでは浮沈が激しい)。
展示は、18歳で開いた個展の出品作《コントラバスを弾く》や、19歳で第3回二科展に初入選した《パラソルさせる女》など、初期の清新な絵画に始まり、7年間のパリ生活を経て帰国後《超現実派の散歩》などの傑作をものしつつ、デザインや壁画などにも手を染め、いわゆる東郷スタイルが固まっていく戦後までを振り返るもの。陰影をのっぺり描く東郷独自のスタイルは、すでにパリ時代から始まっているようだが、その後デザインを手がけるようになって加速していったように感じる。戦後になるともはや少女のイラストと変わりなく、陳腐としかいいようがない。この評価の低落はだれの目にも明らかで、同展の出品点数を見ても、絵画に絞ると戦前の30年間(1915-45)が41点なのに対し、戦後の32年間(1946-78)は17点しかない(60年代以降に絞るとわずか3点)。年とともにいかに作品が衰退していったかがわかる。逆に戦後、東郷は二科会の再建に尽くし、長く会長として君臨。ハデな前夜祭を繰り広げたりタレント画家の作品を入選させたり、戦前の前衛精神はどこへやら、世間受けしそうなパフォーマンスばかりが目立つようになる。
まあそんなことはどうでもよくて、この展覧会でハッと目が止まったのは藤田嗣治との関係だ。この10歳ほど年上の先輩とは20年代のパリで出会ったようで、その後二人は二科展内部に前衛的な傾向の画家たちが立ち上げた九室会の顧問を務めたり、 髙島屋から水着のデザインを依頼されたり、百貨店の壁画を競作したりと、戦前は緊密な関係を続けた。同展にはふたりの合作といわれる《海山の幸》も出ている。さてここで疑問。戦時中、藤田が戦争画にのめり込んだことは知られているが、東郷は戦争画を描かなかったのだろうか。戦後、藤田は戦争責任を問われて日本を去ることになったが、東郷は逆に二科展を舞台に影響力を強めていく。その違いは、単に戦争画を描いたか描かなかったかの違いなのか。
東郷は支那事変後、明らかに弥勒菩薩像を意識した伝統回帰的な《舞》を制作しているが、戦争画は描いた形跡がない。カタログの年譜を見ると、1943年「第2回大東亜戦争美術展・第九室に《出發》を招待出品」とあるが、どんな作品だったのかわからない。また戦後には飢えた母子を描いた《渇》と題する珍しい作品もあるが、基本的に戦前も戦後もほぼ一貫して洋風の女性像を描き続けたようで、戦争による大きな断絶はなさそうだ。考えられるのは、東郷は甘美な女性像を得意とする画家だったため軍からの依頼が来なかったのではないか。それに対して藤田も20年代は「乳白色の肌」で知られた画家だったが、30年代に入ると人気に陰りが見えてきたため、みずから進んで従軍し、戦争画の制作で起死回生を図ったのかもしれない。二科展の前夜祭などを見ると東郷も相当のお調子者だったことがうかがえるが、おそらく歴史に名を残そうとする野心と、ヌードの女性像も凄惨な戦争画も敬虔なフレスコ画も描き分けてしまう技量において、藤田にはおよばなかったに違いない。

2017/09/15(金)(村田真)

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生誕150年記念 藤島武二展

会期:2017/07/23~2017/09/18

練馬区立美術館[東京都]

藤島武二の絵ってどこがいいのかよくわからない。いや別に悪いとは思わないけど、とりたてていいとも思わないし、ずば抜けた個性があるようにも見えない。代表作を挙げろといわれても《黒扇》か《東海旭光》くらいしか思いつかないし、これだってひとつ年上の黒田清輝とどこがどう違うのか説明できない。というか藤島という画家の存在自体、黒田の大きな影に隠れてしまって目立たないのだ。にもかかわらずそれなりに評価されているのが不思議だった。で、この展覧会を見てわかったのは、黒田の下で東京美術学校で後進の指導にあたり、生涯を美術教育に費やしたこと、思いのほか雑誌の挿絵や本の装丁などのグラフィックの仕事が多かったこと。要するに生活のため画業以外のバイトに精を出していたのであり、むしろそれが彼の地位と名声と大衆的な人気を確保したのではないか、ということだ。しかしいくら生活のためとはいえ、画家がバイトにのめり込むのは本末転倒、制作時間は削られるわ情熱や冒険心はそぎ落とされるわロクなことがない。藤島作品に通底するある種のハンパ感はそんなところに起因するのかもしれない。
もうひとつ興味があったのは戦争との関わりだ。藤島は日中戦争が始まった37年にはすでに70歳の重鎮で、その年に第1回文化勲章を受章。その6年後の太平洋戦争中に亡くなっているので、いわゆる戦争画は描かなかったが、戦争に関連した絵は同展にも何点か出ていた。例えば《ロジェストヴェンスキーを見舞う東郷元帥》は制作年は不明だが、日露戦争時の美談をテーマにした戦争画だし、《蘇州河激戦の跡》は日中戦争における戦跡を描いたもの。ほかに、直接戦争を描いたものではないけれど、晩年に宮中学問所のために制作した日の出のシリーズは、昭和前期という時代背景、中国やモンゴルという場所、皇室からの依頼、そしてなにより「日の出」というモチーフから広い意味での戦争画と呼べるかもしれない。《東海旭光》はその代表作といえるものだが、残念ながら《黒扇》ともども今回は出ていない。

2017/09/07(木)(村田真)

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引込線2017

会期:2017/08/26~2017/09/24

旧所沢市立第2学校給食センター[埼玉県]

文字どおり「引込線」でやってたときには見に行ってたけど、会場が給食センターに移ってからは足が遠のいてしまい、訪れるのは今回が初めて。出品は遠藤利克や伊藤誠といったベテランから若手まで20組で、調理機器の置かれた大空間、事務室、休憩室、駐車場などに作品を展示している。おもしろいものもつまらないものもいろいろあるが、もっとも印象に残ったのは寺内曜子のインスタレーション《かまいたち》。とてつもなくスゴイというのでもないのだが、ちょっと傷口に触れるような、あるいは見てはいけないものを見たような妙な感触がある。角の部屋の窓を黒いシート(裏は赤)で覆い、2カ所をバツ印に裂いたもの。ひとつはそのままバツ印のかたちに光が入り、もうひとつは裏面をこちら側に裏返して、窓の上下左右に赤い三角形を広げている。ただそれだけなのだが、絶妙なのは裏を赤にしたことと、切り口を直線ではなくあえてギザギザにしたこと。そのことによってただのバツ印が赤らんだ傷口に見え、それを開いたところは舌か陰唇を連想させるのだ。いや、そんな連想をするのはぼくだけかもしれないが、たとえ作者にもそんな意図はなかったとしても(寺内は一貫して表と裏、内と外といった問題をテーマにしてきた)、こんな場所でエロスとタナトスを感じさせる痛々しくも艶やかな作品に出会えた喜びは大切にしたい。小雨のそぼ降るなか、屋外では吉川陽一郎がひとりシジフォスのように延々と円を描いていた。ごくろうさん。

2017/09/07(木)(村田真)

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大山エンリコイサム ファウンド・オブジェクト

会期:2017/09/01~2017/09/30

コートヤードHIROO[東京都]

ニューヨークの骨董屋で見つけた時代ものの版画や写真に、グラフィティのストロークを施した作品15点の展示。元の絵柄は花、人物、建物、風景などさまざまで、そこに細密な鉛筆やアクリル絵具でジグザグパターンを描き加えている。グラフィティを「落書き」とすれば、これは紛れもなく版画や写真への落書きであり、大げさにいえば他人の作品へのテロともいえる行為だが、グラフィティの「ゴーイング・オーバー」がそうであるように、元の画像を汚したり隠したりせずに丁寧に線描しており、オリジナルを尊重していることがわかる。バンクシーにも古い絵画に手を入れて現代的な風刺画に変えてしまう作品があるけれど、大山は意味を変えるというより、オリジナルの画像への即興的なリスポンスを試みているのかもしれない。サイズも小さめでコレクションするには手ごろ。

2017/09/01(金)(村田真)

Under 35 廖震平

会期:2017/08/25~2017/09/13

BankART Studio NYK 1階ミニギャラリー[神奈川県]

35歳以下の若手作家に発表の機会を与えるU35シリーズの第2弾は、台湾出身の廖震平の個展。彼が描くのは一見ありふれた風景画のようだが、どこか変。例えば木が画面のちょうど中央に立っていたり、画面の枠に沿って四角い標識が描かれていたり、道路のフェンスが画面をニ分割していたり、不自然なほど幾何学的に構築されているのだ。そのため風景画なのに抽象画に見えてくる。というより具象とか抽象という分け方を無効にする絵画、といったほうがいいかもしれない。
1点だけ例を挙げると、巨大な木を描いた《有平面的樹》。右下から斜め上に幹が伸びているが、白くて丸い切り口が画面の中心に位置しているのがわかる。いったんそのことに気づくと、もうこの絵は風景も木も差しおいて、白い丸が主役に躍り出てくる。太い幹や暗い木陰や細かい枝葉は、白い丸を際立たせるための小道具にすぎないのではないかとすら思えてくるのだ。そもそも彼は風景を描いていない。風景を撮影してタブレットで拡大した画像を見ながら描いているのだ。その意味では「画像画」というべきか。だからなのか、彼の表象する風景からはなんの感動も伝わってこない。伝わってくるのは絵画を構築しようとする意志であり執念だ。そこに感動する。

2017/08/25(金)(村田真)

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