artscapeレビュー

村田真のレビュー/プレビュー

笹川治子〈中村研一作品とともに〉 届けられた色

会期:2023/09/02~2023/11/05

はけの森美術館[東京都]

はけの森美術館の「はけ」とは崖状の地形のこと。最寄りの武蔵小金井駅から歩くと坂を下っていくのは、ここが多摩川の河岸段丘に位置しているからだそうだ。そのせいか「水はけ」もよく、近くには森も点在している。戦後、画家の中村研一(1895-1967)がこの地に移り住み、没後の1989年に遺族が自宅とアトリエを「中村研一記念美術館」としてオープン。その後、小金井市が受け継いで「中村研一記念小金井市立はけの森美術館」となった。通称を「はけの森美術館」としたのは、中村が広く知られた画家ではないからだろう。そのため最近は中村のコレクション展だけでなく、若手作家の個展も開くようになった。

確かに中村は知名度は高くないが、あるジャンルではよく知られた存在だ。それは戦争記録画においてである。東京国立近代美術館が所蔵している戦争記録画153点のうち、もっとも多いのは藤田嗣治の14点だが、藤田は別格として、その次に多いのが中村の9点なのだ。宮本三郎の7点、小磯良平の5点を上回っている。数だけではない。鬼気迫る激戦を描いた大作《コタ・バル》(1942)をはじめ、戦闘機と軍艦を俯瞰した《マレー沖海戦》(1942)、戦争画とは思えない印象派のような色づかい筆づかいの《北九州上空野辺軍曹機の体当りB29二機を撃墜す》(1945)まで、モチーフも表現スタイルも多彩なのだ。ひょっとしたら彼は戦争画によって絵画の可能性を試していたのかもしれない、と思えるほどだ。

今回ここで笹川治子が個展を開くことになったのは、彼女が戦争画に深い関心を抱き、「戦争画STUDIES」展(2015)や「1940s フジタ・トリビュート」展(2018)などの企画に関わってきたからだろう。展示も「中村研一作品とともに」と銘打ち、笹川作品に加えて中村の戦時中の絵画やスケッチなど約50点を並べているから、戦争画に関連する作品であることは間違いない。だが実は、中村の戦争画に触発された作品は多くない。たとえば《6日間》《夕方から正午まで》は、横たわる兵士が最後に見たであろう南国の光景を写した映像で、明らかに南方戦線を想起させるが、これは5年前の旧作だ。

新作の《粒子》や《Recalling》には戦争を想起させるものはなにもない。《粒子》は色とりどりの球体を会場のあちこちに分散して置いたインスタレーションで、それがなにを意味しているのかよくわからないが、タイトルの「届けられた色」がヒントになるかもしれない。中村作品は戦争画にしろ人物画にしろ色彩が問題になることはあまりないが、だからこそ笹川はあえて色彩に目を向けさせようとして、さまざまな色の塊(色素)を置いたのではないか。

《Recalling》は、画面を横切る飛行機を映した後で白い画面に1本の線を引いたり、海岸に棒で線を引いて波が消していったりする様子を捉えた映像作品。線を引く(ドローイング)行為を通して、描くことの原初的な衝動を表わしているようにも見える。どうやら彼女は戦争画をモチーフにしながら、「戦争」を超えて色彩に思いを馳せ、絵を描くことの根源に立ち戻ろうとしているのではないか。それはまた、中村の戦争画を「戦争画として読む」のではなく、色と線で織りなされた1枚の「絵画として見る」ことを促しているようにも受け取れる。戦争画に妙な「期待」を抱いた者は肩透かしを食らわされるだろう。


公式サイト:https://www.hakenomori-art-museum.jp/sasakawa

2023/09/02(土)(村田真)

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吉村弘 風景の音 音の風景

会期:2023/04/29~2023/09/03

神奈川県立近代美術館 鎌倉別館[神奈川県]

1980年前後、ぼくはしばしば吉村弘さんと会っていた。パフォーマンス・アーティストで、のちに国際芸術センター青森(ACAC)の館長を務める浜田剛爾さんが毎月のように自宅で開いていたパーティーに、ぼくも吉村さんもよく参加していたからだ。パーティーにはほかにも浜田さんのアシスタントをしていた若いアーティストや、たまに音楽家の小杉武久さん、映像作家の飯村隆彦さんらも顔を出していた(みんな鬼籍に入ってしまった)。サティ弾きのピアニストで浜田さんのパートナーの島田璃里さんの手づくり料理をいただき、外国土産の珍しい酒を飲みながら、彼らの話を聞くのが楽しみだった。

吉村さんはがっしりした体躯に口髭を生やしたコワモテだったが、小さな目は優しく、ちょっと鼻にかかった静かな話声は彼の音楽のようにふんわりしていた(なにを話したかほとんど覚えていないが)。しかし吉村さんとの付き合いはその2、3年間だけで、その後たまに美術館などで彼の音楽に触れることはあったものの、本人とはほとんど接点がないまま2003年に亡くなったことを知った。その最後の仕事が神奈川県立近代美術館のためのサウンド・ロゴ《Four Post Cards》で、葉山館の開館時に公開されてまもなく逝ってしまったという。もう没後20年になるのだ。

サウンドアーティストなので、出品は楽譜や同人誌、記録写真、映像など資料類が多いが、図形楽譜やオリジナルのサウンドオブジェ(音具)など視覚的な作品も出品され、見て楽しめる展覧会になっている。年譜をたどってみて、高校時代にエリック・サティの音楽に出会ったこと、大学時代には詩人グループと知り合い、卒業後コンクリート・ポエトリーを発表していたこと、小杉武久率いるタージ・マハル旅行団に参加されていたことなどを知った(ひょっとしたら40年前に聞いていたかもしれないが)。

彼の図形楽譜は五線譜がモコモコと動き出して雲やカモメのようなかたちになったり、音具は空き缶を再利用して意外な音を出したり、どれも優しく、ささやかで、ユーモアに富んでいた。それはサティのいう「家具の音楽」のように、コンサートホールで鑑賞する交響曲だけでなく、日常生活の延長としての音楽表現を考えていたからだろう。

しかし、図形楽譜にしろ、音具にしろ、サティや環境音楽にしろ、あるいはサウンド・パフォーマンスやサウンド・インスタレーションにしろ、どれも吉村さんが言い出しっぺというわけではなく、だれかがすでにやっていたこと。その意味では時代を切り拓いた先駆者ではないし、穏やかな性格ゆえアーティストとしてのインパクトにも欠けるし、音楽と美術の領域にまたがっていたせいかまともに論じられたこともなかったように思う。もっとも吉村さん自身、先頭に立ってアートを変革していこうとか、サウンドアートで名を馳せてやろうなんて考えていなかったに違いない。彼の音楽はただ静かに響いているだけだ。


公式サイト:http://www.moma.pref.kanagawa.jp/exhibition/2023-yoshimura-hiroshi

2023/09/01(金)(村田真)

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挑発関係=中平卓馬×森山大道

会期:2023/07/15~2023/09/24

神奈川県立近代美術館 葉山館[神奈川県]

1970年前後の中平卓馬と森山大道の写真をなんの予備知識もなくパッと見せられたら、どう思うだろうか? アレ、ブレ、ボケの写真はカッコイイと感じるかもしれないが、それはいまだからいえること。当時は(いまでも事情を知らない人には)ヘタな写真、失敗写真としか映らなかったはず。それがカッコイイと感じるようになるには、作品が生まれてきた文脈、つまり言葉が必要だった。もちろん写真に限らずあらゆる表現を理解するには言葉が必要だが、とりわけ彼らの写真には言葉が欠かせない。そうでなければ、この展覧会はモノクロのブレボケ写真ばかりが続く悲惨な写真展となっていただろう。

中平と森山が初めて会ったのは1964年のこと。同い年(1938年生まれ)で、ふたりとも逗子に暮らしていたという。葉山館で同展が開かれるゆえんだ。当初は中平が雑誌編集者、森山が写真家という関係だったが、中平も写真を発表するようになり、森山との「挑発関係」が生まれる。ふたりは競うように既成の写真概念を突き崩し、アレ・ブレ・ボケによる挑発的な「反写真」を次々と世に問うていく。

その方向性を端的に表わしているのが、カタログに再録された彼らの言説だ。「写真はピンボケであったり、ブレていたりしてはいけないという定説があるが、ぼくには信じがたい。第一、人間の目ですら物の像をとらえるとき、個々の物、個々の像はブレたり、ピンボケだったりしているのだ」(中平)。「何が写真なのか一点の懐疑も持ってない写真、つまりリアリティ欠落の写真、そんな写真へのボクの嫌悪と訣別の念(略)」(森山)。これだけでも従来の写真を否定し、根源から写真を捉え直そうとする彼らの意志が伝わってくる。

こんな言葉もある。「ただものがものとしてあること、そしてそれ以外の一切の人間的、情緒的な彩色をとりはらって、ものがものであるという一事に直面しようというひそかな欲望が、ぼくの中に生まれてきた」。これを読んで、李禹煥が書いたのかと勘違いしてしまった(実際は中平)。それほど同時代・同世代のもの派の思想──もののホコリを払ってあるがままの世界と出会う──とも通底していたのだ。

いや、わざわざ言説を探り出さなくても、彼らが1970年前後に出した写真集や書籍のタイトルを並べてみるだけでもいい。中平らが始めた同人誌『PROVOKE』(「挑発する」という意味)をはじめ、『来たるべき言葉のために』『まずたしからしさの世界をすてろ』『写真よさようなら』『なぜ、植物図鑑か』など、まるでアジテーションではないか。当時の時代性が色濃く現われている。

展覧会では、森山が撮ったホルマリン漬けの胎児の写真に、編集者だった中平がタイトルと文章をつけた「無言劇」から、中平の死後、ふたりが多くの時間を過ごした逗子、鎌倉、葉山界隈をスナップショットした森山の『Nへの手紙』まで、雑誌、写真集、ヴィンテージ・プリントなどが展示されている。写真がスライドのように次々と映し出されるコーナーがいくつかあるが、そのうち1カ所は延々と言説だけが流れていて、彼らにふさわしい構成だと思った。余談だが、森山の写真には「森山神社」「葉山大道」という地名が写っていて、ちょっと嬉しくなった。


公式サイト:http://www.moma.pref.kanagawa.jp/exhibition/2023-provocative-relationship

2023/09/01(金)(村田真)

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ミレーと4人の現代作家たち─種にはじまる世界のかたち─

会期:2023/07/01~2023/08/27

山梨県立美術館[山梨県]

山梨県立美術館は開館前の1977年にミレーの《種をまく人》(1850)を1億円余りで購入し、公立美術館のコレクション1点としては高すぎないかと賛否を呼んだ(いまとなってはあまりに安い買い物だが)。そのおかげで山梨は「ミレーの美術館」として全国的に有名になり、地方の美術館としては異例の入館者数を記録。後続の美術館も山梨に続けとばかりに一点豪華主義に走ったものの、どこも成功したとはいいがたい。柳の下にどぜうは1匹しかいないのだ。

山梨がエライのは、その後もミレー作品を買い集め、いまでは油彩12点を核に素描、版画など合わせて70点、「ミレーの美術館」に恥じないコレクションを築いたこと。しかし、いつまでもミレー頼りでは時代に取り残されると思ったのか、近年は現代美術にも力を入れるようになった。開館45周年を記念する今回の企画は、ミレーと現代美術を正面からぶつける大胆な試みだ。駆り出されたアーティストは山縣良和、淺井裕介、丸山純子、志村信裕の4人。いずれも山梨という土地柄や、ミレーがモチーフにした「土」「農」「食」「羊」などに触発された作品を制作している。

最初の山縣の部屋に入ると、さまざまな道具や家具や衣服がいくつかに分かれて集積され、壁にはミレーの絵画や写真が掛かっている。大掛かりなインスタレーションだが、山縣がファッションデザイナーと知ってびっくり。だから大きな織機や古着があるのね。それにしてもこれがミレーとなんの関係があるんだろう? ミレーは19世紀半ばにパリを襲ったコレラの流行を機にバルビゾン村に移り、農民画家として生涯を過ごすことになったが、山縣もコロナ禍で山梨県の富士吉田と長崎県の小値賀島に活動の場を広げることになったという。この富士吉田と小値賀島に共通するのが養蚕業だった。なるほど、ミレーと自分の活動を重ねたインスタレーションなのだ。

次の部屋の淺井は、壁や床に泥絵具で先史時代の岩絵のようなプリミティブな図像を描いている。これらの素材は山梨県内で採集した土で、白っぽい象牙色から黄土色、赤茶色、濃い焦茶色まで、柔らかく暖かいいわゆるアースカラーと呼ばれるものだ。驚くのは正面の深紅の壁の中央に、泥絵具に囲まれてミレーの《種をまく人》が据えられていること。同館を代表する目玉作品をこんな大胆に扱うとはずいぶん思い切った試みだが、もともとこの《種をまく人》が描かれた当時は「土で描いたみたいだ」と評されたそうだ。確かに次の世代の印象派に比べれば泥のような暗褐色に覆われている。だとすれば、この名画を当初の「土の絵」として見直そうということかもしれない。



淺井裕介 展示風景[筆者撮影]


その次の丸山の作品は、中央に家屋の廃材を並べ、そこにレジ袋でつくった花を挿したインスタレーション。なんだか朽ちた廃屋からカビが生えてるような独特の侘しさを感じさせる。壁には食用の廃油で描いた花のような不定形のドローイングを展示。いずれも新たに購入した素材ではなく、日々の生活のなかで出てくる廃物を再利用したものであり、農村で自然のサイクルのなかに生きたミレーのつましい生活と重なり合う。 最後は志村で、以前は場所に合わせたサイトスペシフィックな映像インスタレーションを発表していたが、近年は羊をモチーフにしたドキュメンタリー映像になってしまった。同館にはミレーの《夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い》(1857-1860)があり、羊つながりで選ばれたわけだが、悪いけど映像作品は苦手なので素通り。


丸山純子 展示風景[筆者撮影]



この期間中、ミレーの主要作品はコレクション展の観覧料(520円)では見られず、倍近い特別展の料金(1,000円)を払わなければならない。おまけにミレーを見ようとすると妙な現代美術まで目に入ってくる始末。知らずにミレーを鑑賞しにきた観客にとってはとんだ「災難」だが、これを機に現代美術にのめり込んでいく人がいるかもしれない。ミレーだけでなく、現代美術も見れーってか。


公式サイト:https://www.art-museum.pref.yamanashi.jp/exhibition/2023/939.html

2023/08/25(金)(村田真)

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春の画 SHUNGA

日本美術史には長いあいだ触れてはいけないタブーの領域があった。その代表が「戦争画」と「春画」だろう。両者は絵の目的こそ真逆に思えるが、どちらも見る人の気分を高揚させる点、それゆえお上が統制した点では似ていなくもない。その結果、両者は一時期ながら狂い咲きのように豊穣な成果を生み出した。しかし戦争画が敗戦とともにわずか数年で終息し隠蔽されたのに対し、春画は繰り返し何度も取り締まられたにもかかわらず密かに流通し、いまだ根強い人気を保っている。そして偶然の一致だが、両者とも2015年から再評価の気運が高まっているのだ。戦後70年にあたるこの年、戦争画を含む展覧会が各地の美術館で開かれ、また永青文庫で大々的な「春画展」が開催されたのだ。

戦争画はさておき、春画については、2013年にロンドンの大英博物館で大規模な「春画展」が開かれたので、それを日本にも巡回させようとしたら国公立美術館・博物館が開催を拒否。結局、細川護煕が理事長を務める永青文庫が受け入れることになったという経緯がある。そんなドタバタ劇が前宣伝になったのか、21万人を動員し話題になった。お上が見せまいとするほど大衆は見たがるものなのだ。

この映画は、鳥居清長の「袖の巻」の復刻プロジェクト、数人が寄り集まって密かに春画を鑑賞する「春画ナイト」、大英博物館での「春画展」発案者や春画コレクターら外国人へのインタビュー、北斎の春画「蛸と海女」のアニメ化など、盛りだくさんのエピソードを折り重ねたドキュメンタリー。もちろん百点を超える春画も無修正で登場する。

春画は西洋にもあるが、違うのは、日本では名だたる浮世絵師のほぼ全員が春画を手がけていることだという。描いていないのは正体がはっきりしない写楽くらい。それほどポピュラーなジャンルだったのだ。いや春画は浮世絵の単なる1ジャンルではなく、たとえ禁止されようが需要は確実にあったことから、役者絵や風景画などに比べてはるかにカネもテマもヒマもかけてつくられていた。それゆえ現在の技術では復刻するのが難しいのだ。その意味では春画こそ浮世絵のなかでも最高峰の芸術だといっていい。

また、春画というと男性が密かに楽しむものというイメージが強いが、実は嫁入り道具のひとつとして嫁にもたせ、夫婦で楽しむこともあったという。政府も少子化対策を進めるなら春画の振興に力を入れたらどうだろう。映画にも意外なほどたくさんの女性が登場する。春画ナイトの出席者は朝吹真理子、橋本麻里、春画ールら大半が女性だし(ヴィヴィアン佐藤も出ていた)、そもそも監督がアートドキュメンタリーを得意とする平田潤子だ。ちなみに、大英博物館での「春画展」の入場者も約半数が女性だったという。と書いてるうちに、女性の描く春画も見たくなってきた。


公式サイト:https://www.culture-pub.jp/harunoe/

関連レビュー

春画展|村田真:artscapeレビュー(2015年10月15日号)

2023/08/23(水)(村田真)