2018年11月15日号
次回12月3日更新予定

artscapeレビュー

五十嵐太郎のレビュー/プレビュー

THE ROYAL EXPRESS、《下田プリンスホテル》、《ベイ・ステージ下田》

[静岡県]

お昼に横浜駅を出発する伊豆観光列車「THE ROYAL EXPRESS」に乗車した。水戸岡鋭治がデザインを担当し、浅いアーチの格天井は皇室用客車をイメージしたものだろう。最後尾の読書室、コンサートのための車両、厨房だけがある車両、子供の遊び場がある車両など、各種の空間をリニアに繋ぐのは、列車ならではの構成だ。もっとも、エクスプレスという名前をつけているが、実際は速く到着することはあまり重要ではなく、むしろ3時間かけて下田に向かい、昼食、眺望、演奏を楽しむのがクルーズ・トレインの醍醐味だ。

リノベーションの関係で、下田は十数年前に何度か通っていたが、保存運動していた「南豆製氷所」が解体されてからは初めての訪問である。製氷所跡は今風の飲食施設《ナンズ・ヴィレッジ》に変化していた。しかし、なまこ壁以外の地域アイデンティティとなりうる建築だから、やはり残せばよかったと思う。山中新太郎が手がけた蔵ギャラリーを備えた旧澤村邸の改修(観光交流施設)、ペリーロードなどを散策してから、《下田プリンスホテル》に泊まる。45年前の建築なので、客室のインテリアは現代風に改装されているが、エレベータのコアや海を望むレストランほか、円筒のヴォリュームをあちこちに散りばめ、曲線好きの黒川紀章らしさを十分堪能できる。全体としては、海に向かってV字に開き、雁行配置された全客室がすべてオーシャンビューの明快な構成をもつ。

翌朝はシーラカンスK&Hによる《ベイ・ステージ下田》を見学した。物産館、飲食施設、駐車場、史料編纂室、会議場、最上階の博物館などが複合した道の駅である。道路側からは浮遊するガラスのボリュームが船のように見え、反対側のファサードは縦のルーバーが目立ち、オープン・デッキから海を望む。なお、博物館の展示デザインは、空間の形式性が明快で興味深いが、情報量がやや少ないような印象を受けた。

THE ROYAL EXPRESS 読書室


《ナンズ・ヴィレッジ》


旧澤村邸の改修(観光交流施設)


《下田プリンスホテル》円筒のヴォリューム


《下田プリンスホテル》雁行配置された客室


《ベイ・ステージ下田》道路側から見るガラスのボリューム


《ベイ・ステージ下田》オープン・デッキ


2018/07/14(土)(五十嵐太郎)

ゴードン・マッタ=クラーク展

会期:2018/06/19~2018/09/17

東京国立近代美術館[東京都]

ゴードン・マッタ=クラークについては、切断系のいくつかの作品と、レストランを営む「フード」の活動は知っていたが、本展はほかに知らないプロジェクトがいろいろと紹介しており、ついに日本で彼の全貌に触れることができる貴重な内容だった。住居・空間・都市の空間と使い方に対するぎりぎりの挑戦は、建築では超えることが難しい一線を軽々と超えており、きわめて刺激的である。実際、彼は空き家に侵入して床や壁を切断したり、倉庫を改造したことによって、逮捕状が出たり、損害賠償請求が検討されている。美術館の依頼による仕事や許可を得たプロジェクトにしても、建築の場合、手すりなしで、人間が落下可能な穴をつくることは不可能である。とはいえ、リチャード・ウィルソン、川俣正、西野達、Chim↑Pom、L PACK、アトリエ・ワンの都市観察などを想起すれば、マッタ=クラークは現代アートのさまざまな活動を先駆けていたことがわかる。

彼は建築を学び、その教育を嫌い、父のロベルト・マッタと同じく、アートの道に進んだ。展覧会場の窓を破壊し、ときにはピーター・アイゼンマンを激怒させたこともある。が、やはりマッタ=クラークの作品はとても建築的だと感じさせる。円、球、円錐などのモチーフを組み合わせた切断の幾何学が美しいからだ。特に倉庫に切り込みを入れた「日の終わり」は、暗闇のなかに光を導き入れ、建築の破壊というよりも、空間の誕生を感じさせる。原広司の有孔体理論のように、閉ざされた箱に穴を開けること。その結果、光が差し込む(=開口の誕生)のは、建築の原初的な行為そのものではないだろうか。「日の終わり」は倉庫を聖なる教会に変容させたかのようだ。また内部の床や壁の切断も、垂直や水平方向に新しい空間の連続を生成している。彼の手法は、非建築的な行為と解釈されることが多いけれど、壊されゆく建築の内部に新しい建築をつくっているのだ。

早稲田大学建築学科小林恵吾研究室が製作した「サーカス」のダンボール模型(左)、美術館の前庭に展示された《ごみの壁》(右)


《スプリッティング:四つの角》


手前は「リアリティ・プロパティーズ:フェイク・エステイツ」、会場デザインは小林恵吾


《クロックシャワー》(写真右手)


「オフィス・バロック」(写真左手)と「市場」カテゴリの展示エリア(写真右手)


2018/07/07(土)(五十嵐太郎)

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庭劇団ペニノ「蛸入道 忘却ノ儀」

会期:2018/06/28~2018/07/01

森下スタジオ[東京都]

森下スタジオにて、庭劇団ペニノの『蛸入道 忘却ノ儀』を観劇する。『地獄谷温泉 無明ノ宿』の全体がぐるぐると回転する2階建ての温泉宿の舞台もすごかったが、今回も期待をまったく裏切らない大胆な空間が出迎える。もはや舞台上のセットと観客席の境界が曖昧になり、両者を含む全体が統一されたデザインだった。すなわち、鞘堂形式によって寺院風の空間を挿入しており、観客の座る場所の背後もお堂の内部という見立てなのである。また蛸風に変形した花頭窓が並ぶのだが、観客が手伝うことによって、その開閉を行なう。蛸にちなむことから、当然、イメージ・カラーは赤である。道内のインテリアや照明、また観客が寄進(?)して俳優が着用する衣装も同じ色だ。中央の檀が、2間×2間なのが、やや不自然だと思っていたら、なるほど、合計で8本の柱である。言うまでもなく、蛸の足の数から間取りが決定されたものだ。

おそらく、消防への配慮と熱の対策のために、天井の一部をあけていることを除けば、劇場ではなく、完全にお堂の内部である。細かく細部を観察すると、曲線的な肘木なども通常のものとは意匠が違っており、芸が細かい。ここで観客が目撃するのは、セリフや筋立てのあるドラマではない。「蛸教」とでもいうべき、擬似宗教の儀式に同席するような異様な体験に否応なく巻き込まれる。観客も手で音を出しながら、儀式の一部となるのだ。同じ経文を反復しながら、音楽や身体の動きが変わることによって、差異をうみだし、やがて熱が堂内に広がり、本当に温度が上昇していく。実際、仏教の声明やキリスト教の聖歌など、宗教は音楽性を帯びていくのだが、それを追体験するような場だった。これを限りなくリアルなものとするために、拡大された舞台美術が、劇場の空間を書き換えている。なお、個人的に興味深いのは、奥に聖なる場があるのではなく、天理教の甘露台のように、信者が中心を囲む形式が採用されていることだった。

2018/07/01(日)(五十嵐太郎)

「建築倉庫ミュージアムが選ぶ30代建築家」「ル・コルビュジエ / チャンディガール展」

建築倉庫ミュージアム[東京都]

今春、リニューアルした建築倉庫を訪れた。以前とは入口が変わり、脇からではなく、正面から入場するかたちとなり、企画展示の空間もとても良くなっている(入場料はさらに高くなったのだが、せめて学生割引くらいは導入したらよいのではないか)。展示室Bの「建築倉庫ミュージアムが選ぶ30代建築家─世代と社会が生み出す建築的地層─」展は、昨年のU-35組のメンバーをベースに5組の若手を選出している(齋藤隆太郎、岩元真明+千種成顕、酒井亮憲、三井嶺は、大阪や仙台の巡回展でも展示していたが、今回は藤井亮介が増えた)。齋藤の挨拶文によれば、社会や環境に対する建築的な解答を通して、「新しいチャレンジ」を模索している状況を提示し、上の世代との対話や議論を生みだすことを狙ったという。会場が大きくなったこともあり、新規の模型も増えていた。なお、会場の両側の棚には、企画展の内容とは別に、過去の名作、建築倉庫がセレクトした作品、コンペの模型なども展示していた。

もうひとつ建築倉庫で開催中だったのが、展示室Aの「ル・コルビュジエ / チャンディガール展─創造とコンテクスト─」である。東京大学の千葉学研究室が全面協力し、ル・コルビュジエ研究者の加藤道夫も監修に入る、本格的な企画だった。会場では、まずアプローチにル・コルビュジエがインドで手がけた建築の模型を一直線に並べ(アーメダバードの繊維業会館など)、つきあたりの壁からチャンディガールの紹介が始まる。そしてスケッチやドローイングのほか、大成建設が所蔵する絵画、ホンマタカシが撮影した写真、大型の模型などを展示し、複数のメディアを通じて、都市計画と建築群を紹介する。注目すべきは、床に大きくチャンディガールの平面をプリントし、その上に州議事堂や高等裁判所など、主要な施設の模型を置いたことだ。都市という広がりを想像させる有効な展示手段だろう。

「建築倉庫ミュージアムが選ぶ30代建築家」展


「建築倉庫ミュージアムが選ぶ30代建築家」展、展示室Bの棚




「ル・コルビュジエ / チャンディガール展」


「ル・コルビュジエ / チャンディガール展」


2018/06/24(日)(五十嵐太郎)

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平田オリザ『日本文学盛衰史』

吉祥寺シアター[東京都]

高橋源一郎の小説を原作とした平田オリザの演出による演劇『日本文学盛衰史』を見る。数多くの文豪が次々に登場するため(俳優も性別を超えて、役をかけ持ちしたり、最後は胸に名札をつけていた)、最初は誰が誰なのかを把握できず、とまどうが、現代にも射程を伸ばしながら、日本近代文学史の諸問題を考えさせる内容だった。すなわち、明治期の文学者が言文一致を模索し、内面を発見する一方で、国家と言語の関係を意識した歴史を、和風建築の料亭で開催された4人の葬儀を通じて、ポストモダン的に検証していく(ラストは駆け足で、AIが小説を執筆するようなSF的な未来予測も!)。これまでとは異質の語りと身ぶりを演劇において提示したチェルフィッチュの『三月の5日間』も引用されるなど、笑わせるシーンも少なくない。それにしても、原作に込められた濃密な情報量と、さまざまな参照群を演劇化する平田の手腕は見事である。

われわれが当たり前だと思っている、小説という形式や世界の認識。それが近代においてどのように生成したかは、柄谷行人の『日本近代文学の起源』などでも論じられたテーマだが、小説や演劇という方法によっても実験的に表現可能であることに驚かされた。特に演劇はライブであるからこそ、いままさに起きている日々の時事問題も組み込みながら、随時、台詞を改変していく(例えば、開演前のナレーションにおける「日本大学盛衰史」という読み違え)。現在、日本の政治は、言葉と文書を徹底的に軽く扱い、ジョージ・オーウェルのディストピア小説『1984』のような事態がリアルに進行している。そうしたタイミングだからこそ、いま「日本文学盛衰史」が演じられることに大きな意味があるはずだ。ところで、この演劇を見ながら、やはりまったく新しい経験をすることになった日本近代建築でも同じようなことができないかと考えさせられた。

2018/06/23(土)(五十嵐太郎)

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