毎月1日、15日更新の美術館・アート情報をお伝えするWebマガジン

artscapeレビュー/プレビュー

松田達のレビュー/プレビュー

集合住宅物語

発行所:みすず書房

発行日:2004年3月1日

千葉大学の岡田哲史研究室主催の千葉大学建築レクチュアシリーズにて、植田実氏と同席する機会があり、その機会にと思って本書を手にとった。350ページの分厚い本。全ページの半分近くが、鬼海弘雄による豊富なカラー写真。この写真の量は尋常ではない。集合住宅物語とはよくいったものだ。植田のテキストはいわゆる一般的な建築的記述から、ぐいぐいと集合住宅における生活そのものに入り込む。「歴史」ではなく「物語」として、個々の集合住宅を描き出す。だから写真も竣工時のものではない。人や生活の風景がある、生きられた集合住宅の写真である。戦前と戦後、同潤会アパートから代官山ヒルサイドテラスまで、40近くの集合住宅が、植田の目で描き直される。一般的な建築本に慣れていれば慣れているほど、建築における「生活」をあぶり出す本書の描き方は、新鮮に見える。

2010/05/13(木)(松田達)

『建築雑誌2010年4月号 特集〈郊外〉でくくるな』

発行所:日本建築学会

発行日:2010年4月20日

従来の郊外論を問い直そうとする意欲的な特集。中谷礼仁編集長による新体制の建築雑誌における特集号である。本号の担当委員は、東京電機大学の伊藤俊介氏と首都大学東京の饗庭伸氏。郊外は都市外縁部として、一律に無個性で均質な空間とまとめられる傾向があるが、実際にはもっと多様であり、そこに向かい合おうというのが本号の主旨である。饗庭氏によれば、世界を理解する三つの方法「帰納法」「演繹法」「類推法」のうち、帰納法では郊外が画一的だと結論づけられる傾向があることに対して、演繹法と一部類推法でアプローチしたのだという。特に興味深かったのは、大野秀敏氏(建築家)、福川裕一氏(都市計画)、藻谷浩介氏(地域エコノミスト)による鼎談であり、郊外には歴史性や多様性があり(あるいはこれから生まれる可能性があり)、それを読み込むべきという大野氏、藻谷氏に対し、都市計画を専門とする福川氏は、郊外はやはり均質だと真っ向から対立し、中心市街地の重要性を指摘する。つまり、まさに本特集号の是非が多角的に捉えられた対談となっている。その他、「理想」や「夢」から「虚構」と「幸福」へ、「故郷」から「地元」へという、用語の変化から「郊外」を考える重松清氏と若林幹夫氏の対談、車を長い廊下として郊外全体がつながっている空間の仕組みを「インドア郊外」と定義しつつ、郊外における場所性や差異を見出していこうとする岩佐明彦氏の論考も興味深かった。この特集であれば「湾岸」に関しては、どこかで触れても良いのではないかと思った。

2010/05/10(月)(松田達)

彦坂尚嘉+五十嵐太郎+新堀学『空想 皇居美術館』

発行所:朝日新聞出版

発行日:2010年5月30日

美術館・美術批評家の彦坂尚嘉が約10年前から提案していた「皇居美術館空想」の書籍化である。彦坂尚嘉、五十嵐太郎、新堀学の3人が著者であるが、辛酸なめ子、藤森照信、暮沢剛巳らによる寄稿もあり、シンポジウムや座談会では、政治学者の御厨貴、原武史、政治活動家の鈴木邦男、社会学者の宮台真司が加わるなど、執筆陣も豪華だ。筆者は直接彦坂氏から皇居美術館の話はよく聞いていたが、あらためて本書を読むと、特にシンポジウムと座談会の記録は圧巻であり、まさに「皇居」とは、さまざまな分野の人たちが議論を繰り広げることのできる巨大な「敷地」であったことを実感する。馬鹿げた提案ではなく、シンポジウムでは過去の天皇制に関する議論、歴史、また皇居の空間史などを追っているが、提案の不自然さはまったく見えてこない。むしろこれだけ議論を誘発する優れた提案だといえるのではないか。もちろん本になるまで構想から10年もかかっており、出版できたこと自体が快挙だと言えるだろう。タブーに触れるのではないかと、こわごわと眺めている人がいれば、手にとって読んでみるとまったくその印象が変わる本であろう。

2010/05/10(月)(松田達)

『都市計画』(都市計画学会誌)284号

発行所:日本都市計画学会

発行日:2010年4月25日

特集は「1960年代の都市計画 再考」。都市計画学会誌の中でも、特に印象的な号である。執筆陣も、青山やすし、蓑原敬、平良敬一らをはじめ、錚々たるメンバーである。編集担当の武田重昭、佐藤宏亮らは、現在われわれが直面している都市状況の原点として1960年代をあげ、線引きや容積制度が定まり、オリンピックなどの大規模イベントに伴って都市基盤の整備もなされたこの時代の再考を促す。初田香成は、川上秀光の論考他を参考に都市再開発を再考し、木下光は、浅田孝の1950年代と1960年代の活動などから、浅田のもっていた都市像をまとめ、平良敬一は、編集者の視点から1960年代の都市計画について語るなど、いずれも「熱い」内容である。日本の都市計画を大きく再考する布石となるような特集だと感じた。
ところで、この読み応えのある号を読みつつさらに貪欲に思ったのは、半世紀前の1960年代からさらに半世紀遡った1910年代についても、いずれぜひ特集してほしいと感じたことである。旧都市計画法の制定された1919年とその周辺の出来事を同様にクローズアップできると、現在の日本の都市を定めている大きな土台と前提にいきつくのではないかと思った。

2010/04/30(金)(松田達)

花田佳明『植田実の編集現場』

発行所:ラトルズ

発行日:2005年5月1日

建築メディアはウェブも含めて変動の時期にあるが、メディアと編集環境の変化を具体的に考えることは意義深いと考えられる。先日、岡田哲史氏のコーディネートによる千葉大学建築レクチュアシリーズというシンポジウムにて、植田実氏と話す機会があり、本書を手にとった。編集者植田実の活動を年譜的に、また多方面から非常に丁寧に追った本。植田実の評伝である。著者は、神戸芸術工科大学の花田佳明。植田の二つの大きな仕事といえば、『都市住宅』と「住まい学体系」シリーズがあげられるが、本書は植田の生まれから、書き手としての活動、批評と夢の往復運動がその根本にあるという花田による植田論まで、とても重厚な語り口で植田実の全貌が語られる。磯崎新や原広司の若手時代も知ることができる。おそらく、ひとりの建築の編集者についての評伝としては唯一であろう。特に、最後に日本の建築ジャーナリズム史におけるさまざまな編集者と植田実の位置づけについて語られるが、興味深いのは、その中で植田は『国際建築』の編集長をつとめるなど、建築ジャーナリズムの草分けと言え、職人的な立場を取る小山正和に近いかもしれないと書かれている点である。上記のシンポジウムの場で、筆者は直接植田から、編集者としての小山への共感を聞いた。必要のないものを切り落としていく編集をする点で、植田の編集はモダニズム的であるかもしれない。花田の言葉によれば「批評」的な部分だと言えよう。一方、書き手としての植田には「夢」的な部分もある。それこそが、モダニズム的な切り捨てを乗り越える部分であり、彼方にある世界を編集する原動力となっているといえるのではないか。その二面性こそが、植田が編集者であると同時に、編集者を超える所以である。

2010/04/21(水)(松田達)

▲ページの先頭へ




2010ドガ展エトワール初来日