artscapeレビュー

福住廉のレビュー/プレビュー

流政之 展──建築と彫刻──

会期:2009/03/26~2009/05/15

GALLERY A4[東京都]

「割れ肌」で知られる彫刻家・流政之の個展。石彫刻やその写真、関連資料などを展示した。なかでも見応えがあったのが、四国にあるというスタジオを紹介する短い映像作品。瀬戸内海を一望する丘にそびえ立つ大きな建物は、一見すると要塞のようだが、室内に展示された数々の作品を見ると、それ自体がすでに美術館のようにも見える。

2009/03/31(火)(福住廉)

アーティスト・ファイル2009──現代の作家たち

会期:2009/03/04~2009/05/06

国立新美術館[東京都]

国立新美術館の恒例企画。「とくにテーマを設けず、学芸スタッフが日ごろのフィールドワークの中で注目する作家たちを取り上げ、それぞれ個展形式で紹介する展覧会」だ。全国の公立美術館でエゴイスティックなだけの奇天烈きわまりないテーマが恥ずかしげもなく披露されていることを考えれば、共通するテーマを設定しないことは、ひとまずよしとしよう。けれども、それにしても気になるのは「フィールドワーク」という言葉。学芸スタッフが日ごろどんなフィールドワークをしているのだろうと不思議に思って図録を開いてみたが、それを伺わせる記述はほとんど見受けられない。フィールドワークとは、数値や文字として表象される以前の「生」のデータを収集するという明確な目的意識にもとづきながら、特定の対象や現場に継続的に入り込む活動を指している。であれば、学芸スタッフが鑑賞者に説明しなければならないのは、美術評論家のように作家論を論じることではなく、むしろそのフィールドワークの正確な報告と、それを根拠にして当該作家を取り上げることの根拠を論理的に説く推薦文の公表ではないか。鑑賞者と美術評論家のあいだが限りなく近づいている今、中途半端な作家論に耳を傾けてやるほど鑑賞者は寛容ではない。学芸スタッフとしての職責をまっとうに果たしてほしい。

2009/03/30(月)(福住廉)

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「方法マシン」によるピアノ独奏『サーチエンジン─ピアニスト炎上─』

会期:2009/03/29

川崎市市民ミュージアム[神奈川県]

『複々製に進路をとれ 粟津潔60年の軌跡』展の関連企画として催された方法マシンの公開パフォーマンス。ネット上から無作為に拾い上げた楽譜をその場でプリントアウトし、それをピアニストの岡野勇仁がすぐさま演奏、使い終わった音符をシュレッダーにかけるというパターンをいくども繰り返した。タイトルにある「ピアニスト炎上」は、かつてじっさいに燃えるピアノを弾いた山下洋輔の過激なパフォーマンスを下敷きに、ネット上の「炎上」も含意されているらしいが、そのねらいはどうあれ、結果的には、残念ながら美術館における通常のピアノ演奏会のように見えてしまった。方法マシンのメンバーが音符をダウンロードするのに手間取り、妙な間ができてしまったのとは対照的に、ピアニストはどんな楽譜が来ようとも、即座に演奏してみせ、その卓越した技術力だけが際立っていたからだ。けれども、よくよく考えてみれば、コンセプトを練り上げる段階で、ピアニストが決して「炎上」しないことは明らかだったはずだ。これを前衛の衣を借りながらも、じつは穏当に遂行される公立美術館のパブリック・プログラムのひとつとしてとらえるか、それとも前衛を継承しようにも、それが不可能にならざるをえない時代の悲喜劇とみるかで評価は分かれるだろう。一観客の勝手な言い分をいっておけば、美術館で中途半端な前衛意識に彩られたピアノの演奏会を聞くくらいなら、たとえ前衛の焼き直しだと批判されるとしても、燃え盛るピアノを見てみたいし、その巻き上がる炎のなかで演奏するピアニストであれば、なおのこと見てみたい。

2009/03/29(日)(福住廉)

平町公「大谷の図」

会期:2009/03/15~2009/03/30

上野の森美術館ギャラリー[東京都]

VOCA展と同時期に開催された個展。たとえば三瀬夏之介の絵と比べると、いかにも大味な印象が否めないが、それでも空間の壁を埋め尽くした長大な絵巻は圧巻。簡略化されて描かれた人の姿が、どういうわけかみんな夢遊病者のように見えるのもおもしろい。

2009/03/29(日)(福住廉)

VOCA展2009 現代美術の展望─新しい平面の作家たち

会期:2009/03/15~2009/03/30

上野の森美術館[東京都]

40歳以下の平面の作家を対象とするVOCA展。選考委員は、毎年のように絵画の「貧困」「不作」「窮状」を嘆いてきたが、今回はVOCA賞の三瀬夏之介をはじめ、樫木知子、竹村京、高木こずえなど、新進気鋭の平面作家たちがそれぞれ力作を見せて、見応えがあったように思う。とりわけ、すばらしかったのが、淺井裕介と田中幹。淺井は、従来の「マスキング・プラント」のほかに、紙ナプキン(!)に描いた絵を発表していたが、まるでファミレスで描いたような素振りが、狭いアトリエで鬱屈としている平面作家たちには見られない、健やかなリアリティを感じさせた。「0」(ゼロ)のスタンプを無数に打ちつけた田中幹の絵は、平面の中に無限の宇宙空間を感じさせるという意味ではありがちといえるが、その一方で反復と増殖によって前面化させた0の物質性が、なにをやっても0に帰してしまう暗い虚無感を軽々と乗り越えるほど、すばらしく際立っていた。虚無を虚無のまま描くのではなく、それを前提にしていかに描写するのか、そのありうる解答のひとつを提示していたように思う。

2009/03/29(日)(福住廉)

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