artscapeレビュー

福住廉のレビュー/プレビュー

本城直季 新作写真展 ここからはじまるまち Scripted Las Vegas

会期:2009/03/04~2009/04/12

epSITE GALLERY 1[東京都]

写真家・本城直季の新作展。例によって、都市風景をジオラマのように撮影した写真を発表していたが、もともと広大な砂漠の真ん中に人工的に切り開かれたラスベガスをモチーフとしているせいか、その人工性がいつも以上に倍増していたように感じられた。圧倒的なオイルマネーを背景に、奇天烈な都市計画が進行しつつあるというドバイをどのように撮影するのか、ぜひ見てみたい。

2009/03/28(土)(福住廉)

転校生

会期:2009/03/26~2009/03/29

東京芸術劇場中ホール[東京都]

平田オリザの戯曲『転校生』を飴屋法水が演出した話題作。一般から募った女子高生に女子高生の役を演じさせ、しかも飴屋ならではの演出や脚色も加え、すばらしい舞台に仕上がっていた。階段状に組まれた舞台装置を教室に、観客席の通路を廊下にそれぞれ見立てた上で、そこを縦横無尽に行き交う女子高生たちの動きと、まさに同時多発的に生まれる会話の嵐。その動きは視点を確定することができないほど目まぐるしく、その声はどこかに焦点を合わせれば別の声が聞こえなくなるほど重層的で、多中心的だ。一人ひとりの役柄に細かくキャラが設定されていることはもちろん、こうした群集のダイナミズムが、女子高生のリアルな生態を確実にとらえ、舞台上で進行する物語によりいっそうの厚みをもたらしていた。初老の転校生がクラスに突然入ってくることで、それと入れ代わって(文字どおり押し出されるかたちで)唐突に命を絶つ生徒。そのことに気づかぬまま、「死」や「生」について論じ合い、そして放課後を迎えるクラスの日常。その劇中において、女子高生たちにとっては転校生が異人として取り扱われていたが、私たち観客の多くにとっては当の女子高生こそ異人の典型である。その異人の存在をとおして「死」と「生」の問題を考えさせるという意味でいえば、この演劇は前衛的な実験劇というより、むしろ古来から連綿と受け継がれている民話的な伝承物語に位置づけられるのかもしれない。

2009/03/27(金)(福住廉)

タノタイガ個展 T+ANONYMOUS

会期:2009/03/07~2009/03/29

現代美術製作所[東京都]

アーティストのタノタイガによる個展。風俗嬢に扮したセルフポートレイトのシリーズや、本人のデスマスクを陳列したインスタレーション、木彫りでヴィトンのバッグをつくり、そのフェイクを肩に掛けながらパリのヴィトン本店に潜入する映像作品などを発表した。一見すると、リアルとフェイクの境界を行き来しながら、アイデンティティのありかを模索しているように見えるが、しかし、展覧会のタイトルに暗示されているように、おそらくタノタイガが実践しているのは、唯一無比の存在証明を達成するための「自分探し」などではなく、自分なんてどこの誰でもありうるというニヒリズムの徹底ではないだろうか。だからこそ、ヴィトンのフェイクにもなれるし、風俗嬢にだってなりうるのだし、そうしたある種の柔軟性が生きやすさのヒントであるような気がした。

2009/03/27(金)(福住廉)

日本画探検 古い絵と新しい絵

会期:2009/03/05~2009/03/29

板橋区立美術館[東京都]

板橋区立美術館が所蔵する古美術作品を現代美術のアーティストたちの作品とともに紹介する展覧会。河鍋暁斎、狩野養信、狩野栄信、狩野典信らと、フジイフランソワ、しりあがり寿、平山郁夫、山本太郎らが共演した。頭では理解しつつも、古典と現代をここまで直接的に並列させられると、技術的な問題はもちろん、対象を見る視線の強度の圧倒的なちがいに愕然とさせられる。古典には到底かなわない現代の絵描きたちは、何を描き、どこへ向かえばよいのかと考えあぐねざるを得ない。

2009/03/26(木)(福住廉)

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世界の短編映画ドキュメンタリー編

会期:2009/03/24

UPLINK FACTORY[東京都]

世界の短編ドキュメンタリー4本を公開する上映会。Jan Zabell監督による《滴が何を知る?》のほか、Tinatin Gurchiani監督《女性の肖像》、André Hörmann監督《カルカッタが呼んでいる》、東谷麗奈監督《Shall We Sing?》が続けて上映された。全体を一貫していたのは地球を丸ごと覆い尽くしつつある現在のグローバリズムのありよう。《Shall We Sing?》はニューヨークに駐在する日本人ビジネスマンを中心に結成された男声合唱団の活動を、《カルカッタが呼んでいる》は文字どおりカルカッタから英米豪各国の家庭に営業をかける電話オペレーターの青年の暮らしをそれぞれ伝える映像だ。テヘランの駅でさまざまな世代の女性たちに幸せを問う街頭インタビューを繰り返した《女性の肖像》を見ると、社会制度はもちろん人びとの精神に隅々まで神の存在が根づいていることがわかる一方で、西洋的な進歩思想が十分に受け入れられていることにも気づかされる。《滴が何を知る?》のシャープな映像は、ベルリンの国会議事堂で働く清掃員たちの労働を描き出していたが、西欧的な民主主義の殿堂をピカピカに光り輝かせるために延々と繰り返される単純労働こそ、現在のグローバリズムの典型的な現われだと思った。

2009/03/24(火)(福住廉)