2018年09月15日号
次回10月1日更新予定

artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2018

会期:2018/04/14~2018/05/13

京都新聞ビル印刷工場跡ほか[京都府]

「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」が6回目を迎え、今年も、京都市内で多彩な展覧会、イベントなどが展開された。

この写真フェスティバルの特徴のひとつは、寺院、町家、倉など、京都特有の環境を活かしたインスタレーション的な展示に力を入れていることだが、今年は新たに2つの会場が加わった。グローバリズムや富裕層の物質主義を批判的にドキュメントしたアメリカの女性写真家、ローレン・グリーンフィールドの「GENERATION WEALTH」展は、京都新聞ビルの地下1階の印刷工場跡で開催された。かつて輪転機などが置かれていた、インクの匂いが微かに漂うかなり広いスペースを使った大規模展だが、廃屋化した部屋と派手なカラープリントの取り合わせが見事にはまって、強烈なインパクトを与える展示になっていた。また、丹波口の京都中央市場内の旧貯氷庫の建物(三三九)でも、ギデオン・メンデルの「Drowning World」展が開催された。洪水に襲われた人々の行動を追った映像を、マルチスクリーンで見せる展示だが、やはりやや特異な空間によって、視覚的な効果が増幅されていた。

だが、今回の企画展示の目玉といえるのは、帯製造・販売の老舗である誉田屋(こんだや)源兵衛 竹院の間で開催された深瀬昌久「遊戯」展だろう。2012年に亡くなった深瀬の回顧展は、諸事情により国内ではなかなか開催できなかった。今回、深瀬昌久アーカイブスのトモ・コスガと、テート・モダン写真部門のキュレーター、サイモン・ベーカーがキュレーションした250点に及ぶという展示は、その意味で画期的なものといえる。しかもそのなかには、深瀬が再起不能の重傷を負った事故の直前に開催された「私景’92」(銀座ニコンサロン)に展示された「ブクブク」、「ベロベロ」、「ヒビ」といったシリーズや、「烏」シリーズの最終ヴァージョンとなる、手札判の印画紙にプリントした写真にサインペンでドローイングした連作など、ほとんど未発表だった作品が多数含まれている。深瀬の自己探求の凄みをあらためて感じるとともに、もっと規模の大きい、本格的な回顧展を見てみたいと強く思った。

「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」のもうひとつの呼び物というべき、サテライト展示の「KG+」も、今年は70以上に増えている。とても全部回るわけにはいかなかったが、見ることができたなかでは、山谷佑介の「The doors」(ギャラリー山谷)のパフォーマンスが出色の出来映えだった。山谷が叩くドラムの振動に合わせて、彼の周囲に設置した数台のカメラのストロボが発光し、シャッターが切られる。さらにカメラはプリンターに接続していて、その場で写真がプリントされて床に散らばっていく。スリリングなセルフポートレートの出現の現場を、目の当たりにすることができた。

会場があまりにも広範囲で、とても一日では回りきれないこと。チラシの情報や地図の表記がわかりにくいこと。「UP」という今回のテーマが、ほとんど浸透していないので、展示やイベントの設定に統一感がないことなど、いくつか気になる点はあった。だが、これだけの規模と内容の企画を、毎年質を落とさず継続できていることだけでも、賞賛に値するのではないだろうか。

2018/04/15(日)(飯沢耕太郎)

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ライアン・マッギンレー「MY NY」

会期:2018/04/06~2018/05/19

小山登美夫ギャラリー[東京都]

ライアン・マッギンレーは2003年に、25歳でニューヨークのホイットニー美術館で個展「The Kids Are All Right」を開催した。その伝説的な展覧会が、2017年にデンバー現代美術館で再現され、同名の写真集がSkira Rizzoli Publicationsから刊行された。今回の小山登美夫ギャラリーでの展示は、そのなかから約10点を選んで再構成したものである。あわせて、彼が当時使っていたポラロイドカメラや、ヤシカのコンパクトカメラも展示してあった。

ニュージャージーからニューヨークに出てきた1996年以来、マッギンレーは「身近なボヘミアン的な環境」で出会った人物たち`を、取り憑かれたように撮影し続けていた。一晩でフィルム20~40ロールを撮ることもあったという。そんな撮ることの歓びと恍惚、逆にそのことがオブセッションとなっていくことへの不安や苦痛とが、この時期の彼の写真には両方とも刻みつけられている。

マッギンレーは、ホイットニー美術館の個展の大成功で一躍アート界の寵児となり、その後コンスタントに力作、意欲作を発表していった。だが、「The Kids Are All Right」に脈打っている切迫した感情は、それ以後の作品では次第に失われていったように見える。今回展示された、血と精液の匂いがするスナップ写真やポートレート(セルフポートレートを含む)を、脱色して小綺麗にすることで、写真の世界を生き延びていったわけだ。それを頭ごなしに否定する必要はないだろう。だが、今回展示された作品を見ると、別な選択肢もあったのではないかとも思ってしまう。

2018/04/11(水)(飯沢耕太郎)

ミリアム・カーン「photographs」

会期:2018/03/10~2018/05/12

ワコウ・ワークス・オブ・アート[東京都]

ミリアム・カーンは1949年、スイス・バーゼル出身の女性アーティスト。ユダヤ系の出自や、フェミニズムをバックグラウンドにしながら、外界と内面世界の狭間で形をとる幻想的なドローイングで知られている。WAKO WORKS OF ARTでの展示は3回目で、2012年の個展のタイトルは「私のユダヤ人、原子爆弾、そしてさまざまな作品」で、前回2016年のタイトルは「rennen müssen 走らなければ」だった。

カーンは1979~80年頃から「自分のアーカイブ」として自作を写真で撮影するようになった。その後、1990年代にスイスの山中のブレガリアで暮らすようになると、身近な環境や、ハイキングの途中で出会った景色を「ローライの小さなカメラ」で撮影し始めた。近年はデジタルカメラを使って、「チープなプリンター」で出力したりすることもある。今回の展示には、そうやって撮影・プリントされた写真が単独で、あるいはドローイングと組み合わされて並んでいた。また、画像を連続的にモニターで上映するインスタレーションもあった。

ドローイングと比較すると、カーンの「photographs」は、軽やかな「思いつき」の産物に見える。プリントのクオリティにはあまりこだわらず、写真を自由に並べることで、イメージ相互の響きあいを楽しんでいる。写真にさらに色鉛筆で加筆した作品もある。まだドローイングと写真との関係性が突き詰められているわけではないが、ユニークな作品世界に成長していきそうな予感を覚えた。この方向を極めていけば、ゲルハルト・リヒターやサイ・トゥンブリーのように、「写真家」としても高い評価を得るようになるのではないだろうか。

2018/04/11(水)(飯沢耕太郎)

吉野英理香「MARBLE」

会期:2018/04/07~2018/05/19

タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム[東京都]

吉野英理香のタカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムでの3回目の個展となる本展のタイトルは、「光の中できらめく結晶石」を意味するというマーブル(大理石)から採られている。「日々のなか」で見出された事物のかけらを、拾い集めていくやり方に変わりはない。だが、2014~17年に撮影された作品から、17点を選んだ今回の展示作品の多くは、金属やガラスの輝き、鮮やかに色づく花々、光の戯れなど、彼女自身が「自由と希望を見出すカギ」と表現するような、美しく、肯定的なイメージに傾いているように思えた。

その「レンズを通して見た光の結晶」を切り出す手つきは洗練されていて破綻がない。前作の「NEROLI」(2016)では、どちらかといえば「匂い」への反応が強調されていたが、今回はより視覚的なアプローチになっている。写真作家としての安定した水準を保つことができる段階に達しているので、安心して写真を見ることができる。だが逆に、このまま洗練の度を強めていっていいのだろうかという疑いも生じてきた。吉野の写真がモノクロームからカラーに変わったのは、2011年の写真集『ラジオのように』(オシリス)からだが、その頃はまだネガティブで不透明な日常の厚みが、そのまま生々しく露呈していた。そこからノイズを削ぎ落としたことで、作品世界がやや小さくまとまってきている。ここで立ち止まることなく、五感のすべてを開放することで、安らぎと危険とが両方とも含まれているような、流動的な世界の像を定着していってほしいものだ。

Erika Yoshino, “Untitled”, 2014, C-print © Erika Yoshino / Courtesy of Taka Ishii Gallery Photography / Film

2018/04/07(土)(飯沢耕太郎)

インベカオリ★「理想の猫じゃない」

会期:2018/04/04~2018/04/10

銀座ニコンサロン[東京都]

インベカオリ★の今回の個展は、ここ数年神保町画廊ほかで開催された展覧会の出品作の集大成である。そこに展示された30点余りの作品を見て感じたのは、彼女の写真の世界が、まさに真似しようのない独擅場になってきているということだ。

黒いスーツにタイトスカートのOL風の女性が、路上でラーメンのどんぶりを抱えていたり、日本髪の女性がフルヌードで雑多なものが溢れる室内に立っていたり、赤いドレスの女性が、水を張った風呂に半ば体を沈めてクリームソーダを啜っていたりするシチュエーションは、普通にはまずありえないものだ。そんな場面を撮影すれば、大抵はシュルレアリスム的な異化効果が生じるだろう。ところが、インベの写真を見ていると、それらがまったくリアルな、「ありそうな」状況に思えてくる。なぜそうなるのかといえば、彼女がモデルたちと話しながら決めていくという場面設定が、ほぼ完璧だからに違いない。むろん最終的にシャッターを切るのはインベ自身だから、彼女のこう撮りたいという確信が、ただならぬ精度に達しているということでもある。ここ数年、彼女の占い師的な察知能力には、さらに磨きがかかってきているようだ。

結果的に「あなたはなぜあなたになったの」という問いかけの答えとして設定された場面は、不気味なほどリアルに、その人が持つ「独特な言葉や価値観」の表現として成立することになった。彼女の写真を見ていて、だんだん怖くなってくるのは、ここまで「私」が剥き出しになってしまうと、それ以上さらけ出すと危険な領域にまで達してしまうではないかということだ。とはいえ怖いもの見たさで、その先も見て見たい気もしてくる。残念だったのは、赤々舎から出る予定だった2冊目の写真集が、展覧会の会期には間に合わなかったこと。ぜひ早めに刊行してほしい。なお、本展は5月7日~16日に大阪ニコンサロンに巡回する。

2018/04/05(木)(飯沢耕太郎)

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