2018年01月15日号
次回2月1日更新予定

artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

新納翔「PEELING CITY─都市を剥ぐ─」

会期:2017/09/26~2017/10/07

コミュニケーションギャラリーふげん社[東京都]

新納翔の新作写真集『PEELING CITY』(ふげん社)の刊行記念展として開催された本展を見て、あらためて高梨豊の「東京人」を想い起こした。「東京人」は、高梨が『カメラ毎日』(1966年1月号)に36ページにわたって掲載した作品で、東京オリンピック直後の多層的な都市空間の諸相が、写真とテキストによってコラージュ的に構成されている。新納が撮影したのは、東日本大震災の前後の時期からの東京とその周辺だが、目の幅を大きくとり、さまざまな距離感の被写体を等価に捉えていく眼差しのあり方に共通性を感じるのだ。とはいえ1960年代と2010年代では、都市空間そのものの手触りがかなり違ってきている。そのことは当然、新納の写真群に写り込んでいるはずだが、ポートレート(近景)、路上スナップ(中景)、風景(遠景)が入り混じる構成に紛れて、くっきりと浮かび上がってこないもどかしさを覚えていた。ところが、10月6日にふげん社で開催されたギャラリートークにゲストとして参加した中藤毅彦の発言を聞いて納得するものがあった。中藤は新納が一時所属していた東京・四谷のギャラリー・ニエプスの主宰者であり、新納の写真を初期からずっと見続けている。その彼が指摘したのは、新納の撮影した写真の中に「ヘルメットをかぶった人物がよく写っている」ということだった。写真集で数えて見ると、たしかにヘルメットをかぶった人物が写っている写真は全111点中10枚ある。帽子をかぶった人物、傘が写っている写真を加えるとその数はさらにふくらみ、全作品の三分の一ほどになる。これはむろん、無意識レベルでの被写体の選択なのだが、ここまで数が多いとやはり何か特別な理由があるのではないかと思えてくる。それはおそらく、ヘルメットが(帽子や傘もそうだが)、何かから「身を守る」ための装具であるということなのではないだろうか。つまり、現在の東京に潜む「危険さ」が、ヘルメットや帽子や傘に対する鋭敏な反応に結びついているのだ。これはやや穿った見方かもしれない。だが、往々にして感度のいいアンテナを持つ写真家は、知らず知らずのうちに何かを嗅ぎ当ててシャッターを切っていることがある。それを無意識レベルから意識レベルまで引き上げて、さらに大きく変貌しつつある都市空間の「皮を剥ぐ」作業を推し進めていく必要があるだろう。

2017/10/06(金)(飯沢耕太郎)

長島有里枝「そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。」

会期:2017/09/30~2017/11/26

東京都写真美術館2階展示室[東京都]

武蔵野美術大学在学中の1993年、パルコが主催する「アーバナート#2」展に長島有里枝が出品した、セルフポートレートを含む「家族ヌード」には衝撃を受けた。まったく新しい思考と感受性と行動力を備えた写真家が出現してきたという驚きを、いまでもありありと思い起こすことができる。その長島の25年にわたる軌跡を辿り直す「代表曲を収録したベストアルバム」(野中モモ)というべき東京都写真美術館での個展は、その意味で僕にとってはとても感慨深いものだった。あっという間のようで、さまざまな出来事が凝縮したその25年のあいだに、ひとりの女性写真家がどのように変貌していったのか、あるいは何を保ち続けてきたのかが、ありありと浮かび上がる展示だったからだ。『YURIE NAGASHIMA』(風雅書房、1995)、『empty white room』(リトルモア、1995)、『家族』(光琳社出版、1998)、『PASTIME PARADISE』(マドラ出版、2000)と続く、キャリアの前半期の写真群には勢いがあり、自分と家族、社会との関係が小気味よく切り取られている。だが、むしろ結婚、出産、離婚などを経た後半期の作品に、写真家としての成熟がよくあらわれていると思う。写真集『SWISS』(赤々舎、2010)におさめられた写真や、母親と共同制作したという個展「家庭について/about home」(MAHO KUBOTA GALLERY、2016)のインスタレーション(写真も含む)には、生の苦味や重みを背負いつつ作品として投げ返し、一歩一歩進んでいくアーティストの姿勢がしっかりと刻みつけられていた。どうしても腑に落ちなかったのは、「そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。」という、どこかのテレビ局のメロドラマのようなタイトルである。もしかすると、タイトルと展示の内容との違和感が狙いなのかもしれないが。

2017/10/04(水)(飯沢耕太郎)

artscapeレビュー /relation/e_00041695.json s 10141246

「断片的資料・渡辺兼人の世界 1973─2018 第1回スナップ─「声」」

会期:2017/09/14~2017/09/30

AG+GALLERY[神奈川県]

渡辺兼人の写真家としての軌跡を辿り直す連続展が、神奈川県・日吉のAG+GALLERYで、7回にわたって開催されることになった。来年9月まで続くその第1回目では、2011年にスタートした新作のストリート・スナップショットのシリーズ「声」が展示された。
渡辺といえば、6×6判の端正かつ厳格な風景写真を思い浮かべる。その彼が、スナップショットを撮影していたことはまったく知らなかったので、展示を見てかなり驚かされた。というのは、画面の隅々まで完璧にコントロールし、1ミリの揺らぎもないプリントをつくり上げていく渡辺のいつもの流儀は、偶発性に支配されるスナップ撮影ではほぼ通用しないからだ。しかも、当初は6×9判のブローニーサイズのカメラを使っていたにもかかわらず、途中から35ミリ判の、しかもとても扱いにくいローライ35に変えたのだという。にもかかわらず、そこに出現してきたのは、いかにも彼らしい「スナップショット」としてのクオリティを保った作品群だった。
展覧会のチラシに、渡辺のストリート・スナップには「『うまく写す』ことに対する執着が一切感じられない」と記されている。「良否や美醜を遥かに超越したところでこれらの写真は制作されている」ともある。そう見えなくもないが、じつはそうではないと思う。「うまく写した」ように見えないように「うまく写して」いるのが渡辺のスナップショットなのではないだろうか。同様に、そこには「良否や美醜」への鋭敏で繊細な配慮が感じられる。「純粋写真」、「絶対写真」のつくり手である渡辺兼人は、ここでもスナップショットの純粋化、絶対化に全力で取り組み、それを見事に成功させているというべきだろう。これから先の連続展示も楽しみになってきた。

2017/09/30(土)(飯沢耕太郎)

粱丞佑『人』

発行所:ZEN FOTO GALLERY

発行日:2017/07/20

歌舞伎町を舞台にした写真集『新宿迷子』(ZEN FOTO GALLERY、2016)で第36回土門拳賞を受賞した韓国出身の粱丞佑(ヤン・スンウー)の「受賞第一作」の新刊写真集である。とはいえ、この『人』のシリーズは2002年から撮り続けられているものなので、本来は『新宿迷子』の前に刊行されるべきだったかもしれない。
写真の舞台になっているのは「横浜中華街から10分ほど歩いた所」にある横浜市寿町。いうまでもなく、東京の山谷や大阪の釜ヶ崎と並び称される「ドヤ街」である。これまでも、何人かの写真家たちがこの街を撮影してきたのだが、粱の撮影の姿勢は根本的に違っているのではないかと思う。彼は寿町を訪れて「撮りたいと強く思い」、街に通い詰めるようになるのだが、しばらくは「ただ見ていた」のだという。道に座り込んで住人たちと酒を酌み交わし、少しずつ顔なじみになると、やっと3カ月後にひとりの男が「お前は何をやっている人間なんだ」と聞いてきた。粱は「写真しています」と答え、そこからようやく撮影が始まった。
このような撮り方、撮られ方で成立した写真が、普通の「ドキュメンタリー」や「フォト・ジャーナリズム」の範疇におさまるものになるわけがない。そこから見えてくるのは、人と人というよりは、むしろ動物同士が匂いを嗅ぎ合い、互いに触れあい、ときには牙を剥き出しにして噛み合っているような関係のあり方である。モノクロームのスナップ写真は、むしろ古典的といえそうな風格を備えているが、そこには時代や国を超越した「どこでもない場所」の感触が見事に捉えられている。だが2017年現在、寿町も少しずつ「以前の姿は消え、高齢化が進み、街の『境界』は曖昧になり他の街となじみつつある」のだという。いまやこれらの写真は、失われつつある記憶のデータベースとしての意味も持ち始めているということだろう。

2017/09/27(水)(飯沢耕太郎)

映画監督・佐藤真の新潟──反転するドキュメンタリー

会期:2017/09/15~2017/10/15

砂丘館ギャラリー[新潟県]

『阿賀に生きる』(1992)、『まひるのほし』(1998)、『SELF AND OTHERS』(2000)といった、日本のドキュメンタリー映画の歴史に残る傑作を残し、2007年に亡くなった映画監督・佐藤真。没後もその仕事の見直しが粘り強く進められ、2016年には多くの関係者が原稿を寄せた評論集『日常と不在を見つめて──ドキュメンタリー映画作家 佐藤真の哲学』(里山社)が刊行された。今回の企画は、佐藤とは縁が深い新潟の地で、彼の業績を振り返るもので、筆者も9月24日に「佐藤真と写真」と題するギャラリートークに参加させていただいた。
旧日本銀行新潟支店長役宅を改装した砂丘館には、『阿賀に生きる』のスチール写真(撮影=村井勇)をはじめとして、佐藤の著書、関連資料などが展示されていた。そのなかには、牛腸茂雄の写真集『SELF AND OTHERS』(白亜館、1977)におさめられたポートレート写真(プリント=三浦和人)もある。佐藤は砂丘館館長の美術批評家、大倉宏の示唆で新潟県加茂市出身の牛腸の存在を知り、彼の写真に強く惹きつけられて映画『SELF AND OTHERS』を制作するに至った。また、長岡市で歯科医院を営みながら、明治30年代~大正時代に膨大な数のガラス乾板の写真を遺した石塚三郎にも関心を抱き、彼の記録写真をベースにした映画も構想していた。その石塚の写真も今回の展示作品のなかに含まれていた。
こうしてみると、佐藤はドキュメンタリー映画作家として活動しながら、無意識のレベルでの視覚的な認識を基本とする、写真表現の可能性にも大きな刺激を受けていたことがわかる。1990年代後半には、当時構想していた『東京』と題するオムニバス映画の準備も兼ねて、自ら東京の街を徘徊してスナップ写真を撮影している(『日常と不在を見つめて』に収録)。佐藤真の映画と写真との関係については、まだいろいろなことが見えてくる可能性がありそうだ。牛腸茂雄についての強いこだわりは、映画『SELF AND OTHERS』に結実したのだが、石塚三郎の写真は、結局映画には使われることなく終わった。そのあたりも含めて、また別の機会に「佐藤真と写真」を総合的に検証する機会をつくっていただきたいものだ。

2017/09/24(日)(飯沢耕太郎)

文字の大きさ